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西遊異譚  作者: こいどり らく
第一章
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第七話 法明

「あの……」

 どうしていいものか分からず、三蔵が、またおずと声を掛けようとすると、ドタバタと足音が聞こえてきた。

「ねぇー、紫釉ー、三蔵様出てきたぁー?」

 どこか呑気な調子の声が、固まったままの二人の間にふわりと割って入る。

「えっ、なにやってんの? 二人とも」

 部屋でもなく、何故か廊下で、正座をして見合っている紫釉と三蔵に目を見開いて彼はその場で足を止める。

 そろそろ座布団もない床板の上に正座しているのが辛くなってきていた三蔵は、助かったとばかりによろりと立ち上がった。

「あ、えっと、法明さんとお話がしたいって言ったら、案内してくれるって……」

「そうなんですか? 紫釉、じゃあ早くしなきゃじゃん。何固まってんの」

 そう声を掛けられて、紫釉はやっと呪縛から解けたように動き出した。

「わかっている、泰然たいらん

 彼は何事もなかったような顔をして立ち上がった。

「まぁ、どうせ、こっちの作法に慣れてない三蔵様にいきなり傅かれて思考停止しちゃったんでしょ。法明様から説明も受けてたのに、ほんと融通効かないよねぇ、紫釉は」

 泰然と呼ばれた青年は、声と同様、呑気な雰囲気をまといながら、遠慮も何もなくそう言い放つ。

「三蔵様も驚いちゃいましたよね。ごめんねぇ」

 泰然は、紫釉と違い、三蔵に対して畏まらず、ただの十五の子どもに対して多少丁寧とはいえ、まだ相応といえる対応をしてくれる。

 三蔵はほっと肩の力を抜いて、泰然に釣られるように頬を緩めた。

「あ、紹介が遅れました! 僕は泰然って言います。こっちは紫釉。僕ら三蔵様のお世話係になったので、何かあったら、何なりとお申し付けくださいね」

 そう言われ、まさか交代でずっと部屋の前で待機するということだろうかと恐ろしい疑問が頭をもたげたが、とっさにどう聞いていいか分からず、三蔵は、開けた口を噤んだ。あとで法明に聞こうと固く誓う。

「そろそろ日も傾いで暗くなってきました。夕餉の準備が済んでおりますので、法明様とどうぞお食事を。お話もそこで」

 全く意識していなかったが、言われて、三蔵はお腹が減っているような気になってきた。案内されるがままについていこうとして、はた、と気付く。

「あ、あの、起きたままの格好なんですけど」

「え? あ、ああ、そうか。三蔵様が目覚めるまでずっと恵岸様がお整えになられていらっしゃったので……」

 困ったなと泰然が眉を下げた。

「法明様はそのままでよいと仰せになっておりました。後で恵岸様がまた整えに来てくださるそうです」

 気になるようならこちらを、と紫釉が持っていた上掛けを三蔵に渡す。

「紫釉、そのためにそれ持ってきてたんだ。えらいねぇ」

「ありがとうございます」

 紫釉は、泰然の言葉には特に反応せず、三蔵のお礼に対しては頭を下げて応えた。

「恵岸さんって、あの、厳つい感じの……」

 上掛けを羽織って前で合わせながら、三蔵は先程の記憶を手繰り寄せる。観世音菩薩が、一歩後ろに控えていた武人のことを、確か『恵岸』と呼んでいた。

「はい。法明様が三蔵様をお助けになられてから七日、あの御方が三蔵様の一切のお世話をなさっておりました」

「法明様を含めて、僕ら、お許しが出るまで、部屋に近寄ることすら禁じられてたんですよ」

 三蔵が目覚めてやっと、観世音菩薩から法明に指示が移り、世話役を言い渡されたのだと泰然は話す。

「一切のお世話……」

 寝たきりの人間の一切の世話を意味するところを考えようとして、三蔵はいや考えるな。不可抗力で仕方のないことだったのだから、と自分に言い聞かせ、考えることを即座に放棄した。

 案内される廊下は思ったよりも長く入り組んでおり、途中で、泰然と紫釉が持っていた燭台の蝋燭に火を灯した。

 廊下に明かりという明かりはなく、手に持つ蝋燭の小さな炎だけが光源だった。

 薄々勘付いてはいたが、ここには『電気』というものがないのかもしれない。世界全体のことではなく、この建物だけのことだと思いたいが、そんな都合のいいことが果たしてあるのだろうかと、三蔵はわずかにしか照らされない足元に不安を覚えながら案内されるまま付いていく。

 こちらです、と通された部屋は、三蔵がいた部屋とそう造りは変わらないように見えた。廊下との境目は敷居があるから分かるようなもので、同じ木材の床板が続いている。固そうな編まれた座布団が二枚、間隔を置いて敷かれている。その前に御膳が置いてあり、机はなかった。カレンダーも時計も、ライトも見当たらず、代わりに掛け軸と上品な皿のようなものが飾られている。天井に視線をやっても、電気がつくと思わしき物はない。

 御膳のそばに燭台が置いてあり、本物の炎がゆらめいて御膳を照らしていた。

「法明様をお呼びして参りますので、お座りになってお待ちください」

 紫釉よりかはざっくばらんと思えた泰然も、両膝をつき、三つ指を添える丁寧な礼をして去っていく。

「……」

 紫釉は部屋に残っており、三蔵が立ったままなので、合わせて立ったまま入り口の近くに侍っていた。そこにいはするも、座ることを促しもしなければ、どちらの席に座ればいいか教えてくれることもない。

 御膳の中をちらりと覗いてみる。乗っている料理も皿も同じように見え、どちらに座っても同じかと、三蔵が入り口に近い手前の席へと座ろうとすると、紫釉がいつの間にかにそばに立ち「そちらへ」と促してくる。

「あ、はい」

 三蔵は、なんだやっぱり席決められてたんじゃんと座り掛けていた体勢から慌てて立ち上がって、入り口から遠い方へ座り直した。

 紫釉は入り口付近に戻ると、座布団も何もない固い床に膝を揃えて座る。

 三蔵は思わずこの部屋に他に座布団がないか探した。いぐさで編まれているだけの固い座布団でも、ないよりマシなのではないだろうか。しかし、部屋に視線を走らせても、ないものはない。法明が使うだろう座布団を差し出すわけにもいかず、自分が座っているものをと思ったが、固辞されるのは目に見えている。そもそもこの座布団ともいえない座布団があっても正座している足は痛い。

 足が痺れてきていたが、姿勢を崩せなかった。息が詰まりそうな沈黙だけが落ちている。

「……」

 法明が来るまで、三蔵にとってただただ居た堪れない時間だけが過ぎていった。しかし、彼女にとっては居た堪れなかっただけで、時間にしてはそう長くはなかった。

「失礼いたします」

 法明が襖越しに声を掛けると、紫釉が襖を開く。開いた襖の向こう、やはり法明も老体の身で固い床に膝を揃え、丁寧な礼をする。

 三蔵は慌ててその場で頭を下げるも、法明は、部屋に入り、襖が閉められた途端、腰を叩きながら大きく伸びをした。それはもう豪快に。

「あー、息が詰まりますわい」

 法明は、床の固さとそう変わらない座布団の上に、よっこらせいとのんびりとした動きであぐらを掻いて座った。

 ここに来てからほとんど同じ姿勢のまま緊張で固まっていた三蔵へ、白い眉に覆われた優しい視線が向けられる。

「あなたも」

 しわがれた、けれど、どこまでも穏やかな声が三蔵という存在を捉えてなお、そう呼び掛ける。

「気にせず、足を崩してお座りなさい。疲れたじゃろうて」

 それはきっと『三蔵』という存在ではなく、小さく縮こまる彼女に向けた心からの労りだった。

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