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西遊異譚  作者: こいどり らく
第二章
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第四十一話 現



 夢は夢だ。

 巻戻る時間などなく、時間は進んだまま、夢の中の出来事がただ現実ではなくなる。それが胸を撫で下ろす結果となるか否かは、見た夢の内容によるだろう。

 長安が夢から解放される時同じくして、魏徴が川の畔で目を覚ました。

 夢で斬られた首が現で繋がるのを待つように、朝日が登り始めた薄明るい空をぼうっと眺めている。目の前に広がるのは夜明けの静かな河であり血溜まりではない。

 生きている。

 傍らには放り投げられた釣り竿と空っぽの魚籠、そして、人ひとりでは到底運べない大きさの乾いた竜の首が地面の上に晒されていた。元々幽冥界を通う習いがある魏徴が渡った先は、人にとっては夢であるが、竜にとっては現と変わらぬ。斬られて地に落ちた竜の首は、朽ちて巡ること許されず地獄へ落ちた。



******




「ああ、よい薫りだのう」

 玄奘三蔵を子猫のように抱き締めて、河竜王は目を細めた。三蔵はされるがまま、何が起きているかすら分かっていない。河竜王の、見た目は細く折れそうな首にしがみついているうちに、いつの間にか一目で今まで見てきた物とは格が違うと分かる建物の中へと入っていった。辿り着いた場所が玉座のある間だということすら理解できずにいる三蔵を抱え、河竜王は何の説明もせず上機嫌に進んでいく。玉瑛を中心に渦巻く瘴気の澱みに三蔵は身を竦ませるが、河竜王にとってはまとわりつく湿気のようなもの。少々だるいが、はしゃいでこもった空気は、入れ換えればよい。玉瑛を守るようにまばらに立ち並んでいた兵士たちが、一寸遅れて襲い来る。もはや己の意思ではないが故に虚ろな動きの彼らを、降り始めの雨を楽しむ軽やかさで雨粒のように払い除け、地に伏す兵士を、水たまりを踏むように歩いて通る。息を呑み震える三蔵を、ほっそりとした腕で赤子のようにあやしながら、河竜王は、玉瑛の前に天女のごとく降り立った。

「妾になる夢は楽しかったか?」

 皇帝の妹の殻に閉じ込められた竜は、玉座から微動だにせず、目の前にやってきた河竜王と三蔵を微笑んで迎えた。その微笑みに執着も妄執の感情もなかった。己を越えた力に引き摺られ長安を幽冥と化し、もはや魂が底をつきかけているのだ。

「ごっこ遊びはいつの時も心躍るよのう」

 それも本人が戻ってきたらやめなければならない。

 夜が、明け始めていた。

 透かし窓から、たなびく雲の薄紫が日の光を受けて溶け出している。河竜王は、抱えていた三蔵をそっと床に降ろした。玉瑛の中にいる竜が、本能で三蔵へと手を伸ばすも、河竜王が横から攫って優しく握り締めてしまう。

「竜よ。悪しき自らに堕ちるは、誰のせいにも出来ぬよ」

 己が所業であるが故に、業竜となる。

「罪を犯したならば、償いを果たせよ。斯くあるべき世に戻れ」

 夢は夢へ現は現へ、別つ。




******




 玉座に座る幼さの残る娘が、まどろみに落ちるように目を閉じた。三蔵にとって見も知らぬ娘だ。きっと深窓の佳人という言葉を書き表そうとしたら、こう描かれるだろうと思える。

(この人が、太宗さんの妹で、邪悪な竜を自分の体に閉じ込めて……)

 息を引き取った。

 ぞわりと怖気が背中を走る。とっさに生きているか確認しようと手を伸ばし掛け、河竜王にやんわりと遮られた。三蔵と代わるように、河竜王が玉瑛の乱れた前髪を慈しむように梳く。さらさらと指からこぼれるよく手入れの行き届いた髪は、すぐに元通りになった。

「玉瑛」

 名を呼ばれ、玉瑛は瞼を震わせてゆっくりと目を開いた。その様子を見て、三蔵はほっと息を吐く。

「天命であったと言えような」

 返し風の瀏風(りゅうふう)が吹き通った。竜姿の夏瀾に運ばれて玉座の前へと降り立った太宗に、河竜王が微笑んで場を譲った。かつて同じ目の色であった妹の眼が、河底でゆらめくような光を揺蕩わせ、兄を見上げる。

「玉瑛」

 消え入るような声で名を呼ばれた妹は、沈む水の中でもつれるように両手を太宗へと差し伸ばした。 

「兄様」

 太宗は、伸ばされた手を掴み、引き上げるように玉瑛を抱き寄せ、涙を流した。

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