第二十四話 頭巾の男。
目深に被った頭巾のおかげで男の目元はよく見えないが、口元は上機嫌に弧を描いている。袈裟を着ているから化生寺の僧侶であるのだろうが、三蔵が出会ってきた僧侶たちとは何かが違う。
有り体に言うならば、全体的に尊大だ。
(なんか、なんか身に覚えがあるな)
突拍子もない提案と噛み合わないやりとりにデジャヴを覚えつつ、三蔵は、帯を拾い直して男の見えない視線から逃れるように背を向けた。
帯を腰に巻きながら考える。
三蔵を旅に送り出すときに、観世音菩薩たちは旅に出ればもう手助けが出来ないというような話をしていたが、寺などがあれば何かしら助けることが出来るとも言っていたように思う。ということは、観世音菩薩自身でなくても似たような存在が三蔵の前に現われて助けてくれるということもあるのではないか。この頭巾男は、もしかしたら観世音菩薩や恵岸と似たような存在という可能性があるのでは。そうであるならば、紫釉を迎えに行くことが叶うかもしれない。
三蔵は、袈裟まで結び終えると、何とか頭巾男の言動への整合性を見つけ出し、向けていた背を戻して、男の方を向いた。
「あの、」
「手早いな。そうか、普通は一人で着替えを済ませるものだったか」
男の言うことは、やはりどこか浮世離れしている。
「あなたは、もしかして菩薩的な人ですか?」
立ったままなのも何なので、男と同じように床に座った三蔵は、あなたの名前は何ですか? と聞くがごとく問い掛けた。
初めに観世音菩薩や恵岸と対話をしたおかげで、三蔵の神仏に対するイメージは、すっかりフットワークの軽い存在となっていた。
けれど、彼らは通常、どんなに人間が追い詰められようと、どんなに縋り願おうと、そう簡単に人間の前に姿を現すことはない。如来が囚われてからは、自分の意思で動くことすら不自由になっている。能動的に姿を現し、手を差し伸べるということを、本来、することのない存在なのだ。彼らの在り方を歪めるほどに、世の理が歪んでしまっているからこそ起こっている事象の数々しか知らない三蔵には、『通常起こりえること』の水準が、この世界の者たちと、かなりずれていた。
御仏から受ける施しが、その最たるものだ。
三蔵に、菩薩的な人か? と問われて、男は、ぽかんと口を開けて唖然とした。どうしたらそんな問い掛けが生まれるのか欠片も理解できなかったからだ。
「そ、れは……どういう意味だ?」
「あなたは観世音菩薩みたいな人かどうかって意味ですけど」
要領を得ない答えに、男は口元を歪めた。
「御仏は人ではないが」
「ええと、だから、あなたが神様かどうか聞いてます」
「なぜ私をそうだと思う」
先ほどの唖然とした雰囲気を収めて、男は冷めた声で問い掛けた。問いに問いを返され、三蔵は怯むも、答えないことには話が進まないと思い、口を開いた。
「旅に出たらもう手助けは難しいけど、寺院とかなら導きを授けられるだろうって、観世音菩薩さんが言ってたから」
ワンチャンいるかもしれないと思った。あと、あなたの言動が何かずれていたから、という理由は言わないでおいた。
「それは御仏自ら、貴方を助けると言われたということか」
「まぁ、そうです」
実際、どういう風に導いてくれるかなど三蔵は知らない。知らないから、頭巾男に、あなたは神か? という間抜けな質問をしている。
「……御仏にとって、貴方はそんなにも近しく、慈しむ存在か」
問われて三蔵は、首を傾げた。男の受け答えが、己が菩薩的な存在だったとしたら違和感があるように思えたからだが、三蔵は男の問いに少し考えてから正直に答えた。
「分かんないです」
観世音菩薩や恵岸の眼差しや口調を思い出して、三蔵は思う。
「でも、こっちに来てから、私があまり苦労しないようにとか、できる限り助けようと心を砕いてくれたりとか、そういうことばっかり考えてくれてて」
足らないことも多かったが、それでも、疑わずにいる理由になるくらいには尽くして貰ったと三蔵は思っていた。
「だから、助けてくれるものなんだろうなって」
彼らは初めから三蔵を助けようとしていた。手を差し伸べていた。できる限り、そうしようと動いてくれていた。
「貴方は、御仏をそう信じたのだな」
男の口調にはどこか羨望が宿っているように思えた。
「神様は、試練を与えるものなんだと思ってたので、けっこう意外だったんですけどね」
返された答えに、男は意外そうに口角を上げた。
「試練を与えるもの、か。御仏の加護を持つ貴方でもそう思うか」
「加護だけ与えられているわけではないので」
三蔵にとって不条理な旅を強いたのも彼らだ。不確定な助けでは加護とも呼べないだろうと三蔵が思ってしまうくらいには、どうしてこんなことしなきゃならないのだと思ってもいる。
(というか、この人、ほんと何なんだろ)
三蔵は、まじまじと自分がどういう存在か明かさない頭巾男を見た。
この世界の人たちは、玄奘三蔵という存在をどう知らされているのだろう。名も分からない頭巾男は、三蔵の話すことを全て理解しているように思える。
(異世界から呼ばれたとか、普通、知っているものなのかな)
旅途中で会った人たちは、名乗らなかったこともあるが、三蔵を三蔵だと認識していなかった。見て分かるものではないらしい。化生寺の僧侶なら、三蔵が玄奘三蔵だと知っていておかしくはないが、ここまで話が通じるものなのだろうか。やはり菩薩的な何かなのではないだろうか。
気付けば、『あなたは何者ですか?』と顔に書いてあるような三蔵に不躾に見つめられ、男は思わず笑った。
「すまない、私の話に答えさせてばかりであったな。先ほどの貴方の問いに答えよう」
答える気がないわけではなかったんだと三蔵は思った。
被っていた頭巾を脱いだ男は、観世音菩薩とは正反対の青い目をしていた。
「私は『観世音菩薩的な人』ではないよ」
面白そうにそう答える男は、けれど、三蔵をとくと眺める眼差しに、観世音菩薩たちと同じような温かさが宿されていた。
「ただのしがない皇帝だ」
「うん?」
「この国、長安の皇帝太宗という」
化生寺の部屋の床に直に座って笑う男は、世迷い言を言っているわけではなさそうだった。
ここまで、文学フリマ東京37で加筆修正+おまけ小噺が収録されたものが製本されます。
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