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西遊異譚  作者: こいどり らく
第二章
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第十六話 干し柿。

 そろそろ休み支度をしましょうか。

 日が傾き始めて、泰然たちが足を止め、眠るとことが出来る場所を探す。焚き木を集め、夕食の準備をし、一日が終わる。布を被って木の幹に寄り掛かり、三蔵は、眠りに就くまで、見張りで起きている紫釉の姿をぼんやり見ていた。泰然は眠る馬に身を寄せて、目を瞑っている。

「そういえば、夜、起きてるときにお経を唱えないんですね」

 決まった時間だけ唱えて、その後、見張りの時にお経は聞こえない。三蔵が眠りに就いたあとのことは分からないが、こうして起きている間に聞こえたことはなかった。

「心の中で誦経しています」

 紫釉が視線を焚き木に落としたまま答える。何故か分からないが、眠りに就くとき、紫釉はあまり三蔵の方を見ない。泰然はたまに隣でお喋りに付き合ってくれるときもあるが、紫釉は少し離れた定位置から動かなかった。話掛ければ答えてくれるので、別にいいと言えばいいのだが。

 よいしょと寝返りを打って、紫釉に背を向ける。寝ようと思えば眠れるけれど、どうしようかなと三蔵は、もそもそと懐にしまっていたものを取り出した。

 干し柿だった。昼に貰ったはいいものの、一人だけで食べるのが気が引けて、食べられないままでいた。

 岩肌の険しい山道であっても、旅途中、人とすれ違うことがままあった。三蔵にとっては旅をするための険しい道だが、ここに住む人たちにとっては、この険しい道が主要な通い路なのだと聞いて、旅のために特別な道を歩いている気になっていた三蔵は少しだけ自分が恥ずかしくなった。自分の家に帰るためであったり、知り合いの里に向かう途中であったり、必要なものを買い付けに行く途中あったり、その人たちは必ず、紫釉や泰然の経をありがたがり、彼らに先行く道の安全を祈願してもらう。そうして、心ばかりのお恵みを渡してくる。

 昼にすれ違った親子三人が、この干し柿をくれた。

 干し柿を差し出されたとき、紫釉も泰然も少し驚いていた。何が珍しいのか三蔵には分からず、今まで貰っていたものを思い出してみるも、やはり違いはよく分からない。どれも食べ物だということしか分からなかった。

 まだ母親の腰の高さにも届かない子どもが、母親の影に隠れてもじもじと紫釉たちと干し柿を見ていた。物欲しそうな、未練がましそうな、けれど、何も言えず、口を引き結んだ様は、自分の物を勝手に人に与えられてしまった子ども特有の恨みがましさと悔しさが滲んでいた。

 差し出された干し柿は三つで、親子は三人で、三蔵たちも三人だ。

 三蔵が、あ、と思った時には、泰然が優しげに笑って礼を言っていた。

「ありがとうございます。それでは、ひとつ、頂戴いたします」

「えっ、手前どもが何か気に障ることでも致しましたか。どうぞ全部お受け取り下せぇ」

 両手を差し出し、何度も深く深く頭を下げる父親に、泰然は止めるように穏やかに手を取って、ゆっくりと首を横に振る。

「十分なことでございます。あなた方の目に僕たちは一人一人と映りましょうが、天から見れば半人前にも満たない身です。多くは、身に余る。けれど、あなた方がお与えになってくださる礼を無碍にすることは心苦しく、故に、ひとつだけ頂きたいのです」

 そう言う泰然に、いたく感じ入るように父母は頭を下げ、母親に引き出され頭を下げさせられていた子どもは、けれど、ほっとしてどこか嬉しそうだ。その素直すぎる変化に、三蔵は思わず笑みをこぼした。

「美味しいものは分け合ってこそ、口にも心にもさらに美しい味となるものです。あなた方が僕らに分け与えてくださったことで、その機会に巡り会えたこと、感謝申し上げます」

 有り難く頂戴いたします、と泰然はひとつの干し柿を手に持ち、あとは親子に返した。紫釉とともに深々と礼をして親子と別れる。

「うまく断ったな、泰然」

 親子の影が見えなくなると、ぽつと紫釉が言った。泰然が、肩の力を抜くように大きく息を吐き出した。

「でしょお。あれたぶん手持ちの全部だったよね。焦っちゃったよぉ」

 見るからに手の込んだ干し柿は、贅沢品だろう。

「自分たちの分か、土産かは分からないが、あの子どもが気が気でなかったのは確かだろうな」

 紫釉が珍しく笑いながらそう言うと、泰然が声を上げて笑った。

「かわいかったねぇ~」

「子どもはあれくらい素直でいい。悪いことをしているわけでもないのなら、仏の教えより、楽しみにしていた甘味を取り上げられない方がよほど根が健やかに育つ」

「衣食足りて礼節を知る、だもんねぇ」

 通りすがりの人から恵みを貰うとき、紫釉も泰然も概ね緊張しているらしく、彼らとやり取りをした後は、ほっと息つくように喋り出す。

「三蔵様も足を止めて頂いてありがとうございます」

「いやー、私何もしてないですし」

 二人の邪魔にならないよう、後ろに隠れるように立っていただけだ。

「馬に乗ってるときとか、わざわざ降りてくださったりするじゃないですか」

「いや、それは、そうですけど……」

 初めの時、何をしているか分からず、馬に乗ったまま見守っていたら、偉い人と勘違いされたのか、過剰なほど拝み倒されたことがある。泰然も紫釉も止めてくれなかった。もうあんな気まずさを味わいたくない三蔵は、馬上から遠く人が見えたら、即座に降りることにしていた。今回はたまたま歩いているときだったから事なきを得たのだ。

「そういえば、三蔵様は干し柿はお好きですか?」

「干し柿ですか? えーと、食べたことないです」

「えっ!?」

「えっ」

 驚かれて、驚いた。

「食べたことないんですか」

「な、ないです」

 彼女の生活の中で、干し柿はそこまで身近な食べ物ではなかった。小さな頃も、特に食べていなかったと思う。コンビニで売っているドライマンゴーやら白桃なら身近であったが、ドライフルーツを好んで選ぶこともそこまでなかった。

(あのこが好きだったな)

 ぱっと友人の顔が過る。

 姿だけが、浮かぶ。

(フルーツグミならよく買ってたけど)

 白桃ドライフルーツと交換して食べさせて貰ったなと、ドライフルーツを食べたときの感じを記憶から引っ張り出す。嫌いではなかった。

「わぁ! じゃあちょうどよかった」

 泰然がよかったぁと嬉しげに笑う。

「ひとつだけ頂いた干し柿、どうしようかと思っていたんです。三人で分けても一口ずつくらいにしかならないですし。三蔵様、食べてみてください」

 包まれた干し柿を泰然が差し出してくる。

「えー、いや、頂けないですよ」

 言いつつも、正直、かなり興味があった。

 紫釉が甘味と言うくらいだから甘いのだろうし、コンビニなどあるわけがない道すがら、菓子と呼べるようなものは一切口に入れていない。あんなにも毎日、新発売がどうのとわいわい言いながら食べていたのに。コンビニレジ横に置いてあった季節限定チロルチョコ買っておけばよかったなぁと、たまにしょうもない後ろ髪を引かれたりしていた。 

「いいいから、いいから」

 にこにことしながらも、泰然は有無を言わさぬ強さで三蔵に干し柿を渡してしまう。

「今すぐ食べなくても、小腹が減ったときに持っているといいと思いますよ」

 戸惑いながら干し柿を受け取った三蔵に、横から紫釉がそう付け足す。

「干し柿は、普通の柿と違ってハズレがないからいいものです」

「昔、渋柿にあたった時は泣きたくなったものねぇ」

 泰然が世にも悲しそうな声を出すので、紫釉も三蔵も思わず笑った。







 日が落ちて、泰然は眠りに就き、紫釉はこちらを特に見ない。

 三蔵は、こっそりと手の中にある干し柿を、ゆっくりと食んだ。

 砂糖が一切使われていない自然のままの味は、砂糖をふんだんに使った菓子を食べることに慣れきっていた三蔵に、わずかなえぐみをともなって柿特有の甘さを味わわせた。

 美味しい、のだと思う。

 期待していた味と違っていただけで、本当に久方ぶりに口にした甘さだ。飢えていたものが満ちていく感覚がした。

(美味しいものは、分け合ってこそ口にも心にも美しい味に、かぁ)

 分ければよかった。食べてから思う。

 満たされてから、そう思う。満たされてからでないと、そう思えなかった。

 三蔵は干し柿を食べ終え、膝を抱え直して身を丸めた。溢れそうになる夜のような暗い何かをこぼさないよう身の内にぎゅっと溜め込んだ。飲み込んだ干し柿の甘さは舌に残り、起き上がって傍に置いていた水を口に含めば生温さが喉に落ちていく。

(冷たい水、飲みたいな)

 ぽつりとこぼれる。

 どう頑張ろうと、この場所にいるというだけで、三蔵は不足を感じてしまう。それでも少しでも過不足がないよう紫釉や泰然が心を砕き、差し出してくれる手を、三蔵は取りこぼさないよう受け取るのにせいいっぱいだった。足りないと言わないようにするのに、いっぱいいっぱいだった。

 泣いてはいけないと思いながら、三蔵は目に涙が滲むのを止められなくなる夜がもう何度かあった。

 家に帰りたい。

 帰りたいけれど、帰りたいからやめることができない。この旅を止めたくても出来ないなら、何を言っても仕方がなく、早く終わらせるためには、与えられるものを与えられただけ貰いながら、焦燥を飲み込んでいくのが一番いい。

 そう自分に言い聞かす。それがきっといちばん賢い。

 抱え込んだ膝に顔を埋め、涙をこぼさないよう息を整える。自分の匂いすら癒やしとは程遠いものになっていた。

 壁も屋根もなく、どこで鳴いているかも分からない夜鳥の鳴く声が、ぬるい草木の臭いとともに肌にまとわりついて不安を掻き立てる。三蔵が知る夜と、この世界の夜の深さは途方もなく溝があった。日が落ちると火を熾さなければ指の先すら見えず、何が潜んでいても驚くことができない。どこまでも深い闇夜は、人が目を開いて活動するには不便が過ぎ、起きていても目を瞑っているかのようだった。

 今も、焚き火の明かりが届かない場所はぽっかりと闇が開いている。

 明かりのある紫釉たちの方へ寝返りを打とうとして、そんな気になれず縮こまる。

 深く、どこまでも深く何も見えない闇を見つめ、三蔵は眠りに逃げるように目を閉じた。いざ眠ろうと思えば、どんな場所だろうと拍子抜けするほどに健やかな眠りを得られるという御仏の恩恵は、彼女に確かな形をともなってもたらされていた。

 一人で、夜を恐れなくてよかった。

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