薬では治らない
「先生、お願いします」
そういって彼女は唇をかみしめた。
うるんだ瞳はまっすぐに、わたしに訴えつづけている。
人類は科学を発展させることで、さまざまな愚かさに適応している。忍耐や努力は忌避され、心を制する意志は薄れ、薬に依存する度合いは深まるばかり。そして、それは金になる。欲望を満たすため、あるいは強制的に制限するために、あらゆる薬がつくられている。
「ひとつだけ、あなたの悩みを解決できる薬があります。ですが……」
「かまいません」
どのような作用があり、どのような副作用が危惧されるのか。説明する責任は、もはや法的にも存在していない。情報を求める意思と、情報を伝える義務感。どちらかが欠けてしまえば、情報伝達が行なわれることはない。
希望をしまいこみ、彼女は退出した。
その後ろ姿を見送り、わたしは、次の依頼人を待った。
わたしは国家資格をもつ売人。依頼人から話を聞き、ふさわしい薬を与えることで報酬を得ている。多くの依頼人がわたしのもとを訪れ、金がなくなるまで薬を買いつづける。わたしは薬を売りつづける。
○
「どういうことですかっ!?」
一日ぶりの依頼人は、薬が効かないと涙ながらに主張していた。
そんなはずはない。わたしは彼女に説明した。これは性犯罪者の刑罰用に開発された薬であり、性欲を減退させる効果があること。効果が強すぎて、生きる屍のような人たちがいること。あなたの恋わずらいに効果がないなど、とうてい考えられないと。
「どうしてそれで恋わずらいが治るとおもったんですかっ!?」
恋愛は生殖本能のなせるもの。性欲が減退すれば治るものではないだろうか。それで治らないとすると、それはもはや恋愛ではなく、お母さん的ななにかではないだろうか。
「わたしの恋心は純粋なんですっ! 肉欲とは無縁なんですっ!」
「無縁?」
「あたりまえですっ!」
恋愛感情と性欲が別次元であることは受けいれよう。しかしながら、まったく関係がないという主張を受けいれるのは難しいものがある。人それぞれ違いはあるにせよ、直結している人が大半ではないだろうか。
「友人とおもっていた相手でも、距離が近づいたらドキッとしません? 友人関係が壊れるとおもいません?」
「えっ、べつに肉体関係もったくらいで恋愛関係にならないでしょ?」
「ん?」
「ちょっと肌を許したくらいで調子にのるやつとか、最低じゃないですか」
わたしが言葉につまる間にも、彼女は怒りのボルテージをあげていった。もはや対話にもならず、涙もすっかり乾ききった依頼人は、高価なセレブ目薬を受けとることで退出を決めた。
○
「友人の提案で、嫁さんにドッキリをしかけたんです。おれと離婚してくれって、離婚届をわたして、そうしたら嫁さん、なんの迷いもなくサインをしたんですよ。おれがメッチャあわてると、友人が出てきて、逆ドッキリ大成功~って騒いだんです。おれもう、泣きながら笑って、さんざんに飲んで、気づいたら朝で、いつの間にか一人になっていたんです。嫁さんが出かけるのはいつものことだから安心していたんですけど、その間に、離婚届が提出されていたんですよ。友人と再婚してたんですよ……先生、おれ、どうしたらいいんですかね?」
依頼人の話を聞き流しながら、わたしは考えていた。
「とりあえず、もっとアホになれる薬でも出しときますね」
恋わずらいに効果的な薬について。
彼女の性欲がすごいだけ、という可能性について。