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幼い頃は、時折呼び出されてはジェームズの代わりに、家の用事を済ませたりだとか、義母と共にパーティに参加したりする程度だった。しかし思春期を迎えた辺りからジェームズは女関係にだらしなくなり、相手方の家への謝罪などの後始末に駆り出されることも増え、正直辟易していたが立場が弱い彼にはどうすることも出来なかった。彼は享楽的で自堕落なジェームズを心から軽蔑していた。
彼への軽蔑が決定的になったのは、既婚者であるジェームズがルーリアという女の手管に絡めとられ、彼女に現を抜かし、戦果をあげるために戦争に行くと言い始めたことだった。ブラウン夫妻は必死で止めたが、愚かな息子の耳には忠告は何一つとして届かなかった。
それに個人的に彼は、ジェームズがエラを裏切っているのがどうしても許せなかった。
「それで、あの人は俺を呼び寄せて、俺も戦争に行くように指示したんだ」
「…なんですって?」
死ぬかもしれないのに、彼も戦争に行くように指示したですって?
ジェームズのために?
人のことを一体何だと思っているの…?
(彼も…私も、彼らにとってはどうでもいい人間なんだわ…)
エラが思わず怒りのあまりに呻くと、ドアがガタンと音を立てて開いたので思わず彼らはハッとして口を噤んだ。
人影がゆらり、と室内に入ってくる。
「遂にエラに知られてしまったのね…」
そこには蒼白になった義母が立っていた。
彼は義母が来るのは想定内だったようで落ち着いて彼女に声をかける。
「マッケンジー中佐があの病院に入院していたのは、盲点でした」
応接間に入ってきた義母はため息をついた。
「彼がエラに近づくのを見ていたわ…。慌てて貴方達の後を追って帰宅したの。仕方ない…どちらにせよいつまでもエラには隠し通せるとは思っていなかったもの」
(お義母さまは…全てを知って…いらっしゃった…?)
義母は呆然としているエラの顔を見ると、力なく微笑んだ。
「彼を責めないであげてね。…全ては、私が仕組んだのよ、エラ」
「私はね、ジェームズにとても期待していたの…夫との仲がうまくいっていないから…子供だけはちゃんと育てたつもりだった…。でも何かが間違っていたのね、エラも知っている通り、あの子は本当に…駄目な男に育ってしまった」
戦争に行くと喚き続けるジェームズの説得を諦めた義母は、密かに彼を呼び寄せ、戦争に彼も出征し、ジェームズを陰から見守るように指示した。
(お義母さまのそういうところが…ジェームズを駄目にしていたのに…)
彼の母は重い病気を患っていて、その入院費用を払うという条件で彼は受け入れた。そして、戦争に出征する前夜、ジェームズはエラに離婚を宣言したその足で義母の部屋を訪れ、全く同じことを言った。
「ジェームズに思いとどまるように言ったわ。あの後妻業の女はブラウン家を破滅させる。せめて愛人のままにしておきなさいって…エラには申し訳ないけれど、私はそう言ったの。だけどジェームズは聞く耳をもたなかった」
息子はそのままルーリアの家に行き、家族には会わないまま出征した。ほどなくして彼も出征することになり、義母は彼を呼び寄せて、戦争中にもし息子の気持ちが変わるようなことがあったら知らせるようにと頼んだ。ブラウン家が裏で手を回して、彼はジェームズを見守ることの出来る近い部隊に配属された。義母が出来ることは全て手を尽くしたはずだが、しかし出征して数カ月後、ジェームズは呆気なく戦死した。
「敵の爆撃に驚いたジェームズが壕の外に走り去って、…俺が助ける隙はなかった」
彼はすぐに義母に手紙で知らせた。愛する息子の戦死を知って義母は嘆き悲しんだが…万が一の、いざというときには入れ替わりとなるように動くよう、出征直後に手紙で彼に知らせていた。発案したのは義母だが、もちろん義父も今ではアンドレイも知っている。当事者の中ではエラだけが知らされていなかった。
(分かってはいたけど、私はやはり、あくまでも嫁であって…彼らの家族ではないんだわ…)
自分の立場を改めて思い知らされて、エラは俯いた。
入れ替わりを指示されていた彼はジェームズが戦死した事実を隠蔽することに成功する。もともと役に立たないジェームズが生きようが死のうが部隊には大きな影響はなく、そもそもが役たたずの彼の印象は薄かった。仕方なくマッケンジー中佐の力も一部借りたが、とりあえず街の人々にはジェームズ戦死のニュースは知らされないで済んだ。ジェームズの遺骨の一部は彼が持って帰ってきて、義母に渡した。
「少なくても数年でいいから、彼にジェームズの代わりをしてもらおうと頼んだのよ」
それで出征してから半年後、突然手紙が自分に来るようになったのかと納得がいく。そして手紙の中で、人が変わったかのように思えたのは当然だ。だってそのときには既にジェームズはジェームズではなかったのだから。
「どうして、入れ替わりをしなくてはならなかったんですか?…戦死した、で良かったではありませんか」
エラは未亡人にはなるが、ブラウン家の指示にしたがって彼らが望むように振る舞っただろうし、ブラウン家にはそもそもアンドレイというもうひとりの跡継ぎになり得る息子もいる。ルーリアも、ジェームズが戦死したとあらば諦めるだろう、と思ったのだ。
「普通はそうでしょうね…でもね、ジェームズがあの女に遺言を残していたことが分かったの」