15
エラの手元には、先程の薔薇園の管理者に贈られた薔薇が一輪力なく握られている。
ジェームズの脳裏にエラが浮かべた心からの微笑が鮮やかに蘇った。そしてその笑顔を向けられていた管理者へ内心自分が激しく嫉妬したことも。自分に嫉妬する権利がないことを彼は十分に理解しているが。
「ジェームズ、私…やっぱりどうあっても、貴方を信じることは出来ないわ」
やがてエラが恐る恐る呟いた。今までのジェームズだったらすぐに怒鳴るような、彼に異を唱える意見だからだ。しかし彼は怒鳴りはせず、頷くことで彼女に理解を示す。
「君は俺を信じる必要はないーーただ、見ていてくれたらそれでいい」
予想外の言葉だったのだろう、エラが真正面からジェームズを見つめた。
「俺がどうして変わったのかを説明することは、難しい。ただ…これからの俺は君以外の女には目を向けない。君を大切にする。君との間で許された時間を大事にすることを約束する。勿論、他にも自分に課された義務をきちんとこなすことも約束しよう」
エラが琥珀色の瞳に迷いを浮かべながらも彼の言葉を聞いている。
「もう一度言うが…君は信じる必要はない、俺を信じる振りをする必要もない。ただ俺の行動を…ちゃんと見ていてくれたら、…感謝する」
ジェームズが話し終わると、彼女は、つと彼から視線を逸し、手元の薔薇を眺めた。エラが考え込んでいる間、ジェームズは身じろぎもせずに、祈るような気持ちで彼女を見つめていた。
たっぷり10分は黙っていた彼女がやがて視線を上げる。
「私はきっともう…おかしくなっているのかもしれないわね。分かったわ、貴方を信じはしないけれど…初めて会うジェームズ・ブラウンとして見ることに、する」
彼がやや上気した顔で頷くのを見つめながら、エラは心の中で続けた。
(私は愚かな選択をしようとしているのかも知れない…。けれど、どちらにしても、私にはもうどこにも逃げ場がないのだもの…何があってもこれ以上状況が悪くなることなんてないわ。それならば、もう一度だけ…)
瞬く間に2ヶ月が過ぎた。
初秋だった季節も、既に初冬に差しかかり、朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。
驚いたことに、ジェームズは毎日のように家できちんと仕事をこなしているし、夜はエラの隣で眠る。彼が以前約束した通り、家を空けるときには必ずエラに行き先を告げるようになった。愛人の家に行っている様子はまったく見られず、それどころかエラに心酔しているような素振りを隠さなくなり、毎日彼女に、一輪ずつ花を贈るようになった。エラが本気で嫌がらないと分かってからは、庭園での散歩も時々誘ってくるようになったし、お茶の時間も仕事の都合がつけば共にするようになった。
まともに話してみると、ジェームズは意外にも進歩的な考えの持ち主で、そのことにエラはひどく驚かされた。今までの彼とは違う面をここまで見せつけられると、以前の彼の印象が少しずつ薄くなっていく。けれど、エラは決して前の彼を忘れたわけではない、忘れたふりもしてはいない。彼女は相変わらず彼から一定の距離を保っているが、彼は拒否されないということだけで満足そうだ。
義両親もアンドレイもようやく長男夫婦の歯車が回りだしたのかと胸を撫でおろしている。
彼が帰還して3ヶ月ほどが経ち、周囲でブラウン家の跡取り息子が、遂に正気を取り戻したらしい、という噂が囁かれるようになってーールーリアから動きがあった。