13
孤児院でのジェームズは、エラが今まで見たことないほどの堂々たる立ち振舞いであった。
今までの彼はこういう慈善活動を忌み嫌っているというのもあったが、普段の振る舞いにもどこか子供っぽさが抜けなく、垢抜けなかったものだが、今日の彼は落ち着いていて、初老の院長との会話もそつなくこなしている。
ジェームズと初めて直接対面した院長は間違いなくブラウン家長男の噂を聞いていたのだろう、目の前の立派な青年と、噂の自堕落な青年像との落差に相当驚いているに違いない。何回か訪れて顔見知りのエラに、ちらちらと視線を送ってきていたので、院長の混乱しているであろう心中は察するに余りある。
しかし、エラが心底驚いたのはその後であった。
孤児たちが集っている部屋に行くと、彼が躊躇いもなく寄ってきた幼い女の子を抱き上げたからだ。そして、その仕草は危なげなく、とても慣れているようにエラには思えた。
「お兄さん、もっと高い高いして」
「仰せのままに、おちびちゃん」
彼は嫌がる顔ひとつ見せずに、女の子を抱き上げた。女の子がとても楽しそうに笑うので、その様子を見た孤児たちが次々にジェームズに寄ってくると、彼は嫌な顔を一つしないで相手をしてやっている。エラはその様子を呆然と見守っていた。エラの隣に院長がそっと寄ってきて、彼女に囁いた。
「ジェームズ様は、素晴らしい方ですね」
訝しげに彼を振り返ると、院長は頷く。
「普通義務を果たしに視察には来ても、上流階級の男性は触ると汚れるとでも思っているのか、孤児を抱き上げたりなんかしませんよ。彼は実にお優しい」
エラはぼんやりと孤児たちと戯れるジェームズに視線を向けた。
孤児たちはすっかりジェームズに懐き、お兄さんまた来てねと口々に別れを惜しんでくれた。ジェームズは、エラをエスコートしてまず馬車に乗せた。すると後ろから院長が彼を呼ぶので、ジェームズは御者に出発を待つように伝えると、彼のもとへ戻った。何か2言3言言葉を交わしているのが馬車の窓から見えた。ジェームズが、ぽんと院長の肩を叩くと、初老の男は微笑みながら頷く。それから夫がこちらに向かってくると御者に何かを伝えてから中に乗り込んできた。
馬車が走り出すと、エラは夫の顔を見た。彼と馬車に乗るのは初めてではないが、いつもエラがいないかのように足を伸ばし、だらしなく座ったものだった。しかし今日の彼は彼女が窮屈な思いをしないようにということだろうか、自分の長い足を曲げて、気を遣ってくれているようだ。
妻が取り組んでいる慈善事業に理解があり、子どもたちに好かれ、初めて会った院長にも好感をもたれる。妻にも気を配ることが出来て、優しくエスコートをしてくれる、美丈夫な夫。
彼は今更私が望んでいた夫像そのものになりつつある。
今更、とエラは心の中でもう一度呟く。
「…先程、院長と何を話してらしたの」
珍しくエラから話しかけると、ジェームズはその美しい瞳を驚いたかのように見開いた。彼は2,3回瞬くと、表情を少しだけ緩めて彼女の問いに答えた。
「この近くに薔薇園があるそうなんだ。彼は、君がきっと気にいるだろうから帰りに寄るようにと言ったんだよ。折角だから、今向かっている」
「え?」
「あの孤児院に薔薇が咲いている一角があるだろう?君がいつもそこで目を留めているから、院長は君がきっと薔薇が好きなんじゃないかと思ったらしい」
ああ、とエラは思った。
薔薇というのは特殊な栽培法で、きちんと手入れをしないと綺麗に咲かない。あの孤児院には、職員の中に薔薇の栽培法を知っている人間がいて見事な薔薇を咲かすことが出来るのだ。
「俺がいると君は心からは楽しめないだろうが…まぁ行ってみよう」
ジェームズが静かに微笑んだ。