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96.ジェルの家出

 その日は、朝から気が滅入るような出来事が続いていました。


 高かったお気に入りの紅茶の缶をうっかり落として中身を床にぶちまけ、その掃除に手間取るうちにトーストは冷めてしまい、茹で卵は殻がうまく剥けずデコボコに。

 さらに、先ほど足元に違和感を覚えて確認してみると、靴下には大きな穴が開いていたのです。


「はぁ……この靴下まだ買ったばかりだったんですけどねぇ」


 溜息をつきながらテレビに目を向けると、画面には占い番組が映っていました。


「おひつじ座のあなたは、対人関係に気を付けましょう。ラッキーアイテムはコンバット越前!」


「えぇ、そんなのどうしたらいいんだよ……」


 一緒に観ていた兄のアレクサンドルとテディベアのキリトが困惑しています。


「アレク氏はおひつじ座でありますか?」


「あぁ、俺はおひつじ座で、ジェルはてんびん座生まれだ」


 その後も次々と今日の運勢とラッキーアイテムが告げられていきました。

 画面に映る占い師が、かろやかな声で告げます。


「てんびん座のあなたは運勢最悪。どうにもならないから諦めてね。ラッキーアイテムはシャンプーです!」

 

「諦めてねって何ですか⁉」


 思わずテレビにツッコミを入れるワタクシでしたが、画面が返事をするわけもなく、番組はあっさり終わりました。


「この占い、たまに見るんだけど毎回容赦ないんだよな~」


「ワタクシ、運勢最悪とか言われたんですけど」


「ハハハ、占いは良い時だけ信じる方が楽だぞ!」


 アレクは、何も悩みが無さそうな顔でへらへら笑います。他人事だと思っていい気なもんです。


「……あっシャンプーで思い出した。頼まれてたシャンプー、買ってきてあるぞ」


 彼はそう言って、ドラッグストアのビニール袋を持って来て、中から黄色いボトルを取り出しました。


「これだよな『ニンニクマシマシアブラマシマシカラメ』ってやつ」


「それじゃないですよ。ワタクシが頼んだのは『プレミアムボタニカルリペアサラサラウルトラモイスチャービューティフル』です」


「いや。ジェルが指定したのは、プレミアムボタニカルリペアサラサラエクストラモイスチャービューティフルだ」


「ちゃんと覚えてるじゃないですか、なんで違うの買ってくるんですかね?」


「いや、これが面白かったからさぁ。すげぇぞ。これさ、ラーメンの匂いするやつなんだよ!」


「面白かったからで買ってこないでくださいよ!」


 アレクの軽い返事につい怒鳴ってしまいました。

 朝から小さな不運が続いた上に、テレビでは運勢最悪と言われて内心モヤモヤしていたからでしょうか。


「いやー、実はこれはネタで正解はちゃんと……」


「もう結構です! ワタクシ出かけてきますから!」


「えっ、出かけるってどこ行くんだよ?」


「内緒です! しばらく帰りませんから!」


 ワタクシはアレクの話を聞かないまま家を飛び出しました。

 まるで家出みたいですが、正直あのまま家に居る気分にはなれなかったのです。


 最初にワタクシが向かった先は、友人のシロが住む神社でした。


「あれ? ジェル、急にどうしたの?」


「急にすみません。ちょっと家出してきまして」


「家出……? とりあえず入りなよ」


 突然の来訪にもかかわらず、シロは快くワタクシを迎え入れてくれました。やはり持つべきものは友です。

 お茶を淹れながら、「何かあったの?」と聞いてくれる彼に、ワタクシは兄への不満を熱く語りました。


「アレクったら、ラーメンの匂いがするシャンプーなんて買ってきたんです。 見えている地雷をなぜ敢えて踏むのか、ワタクシには理解できません!」


「アレク兄ちゃんは変な物が好きだからなぁ。ジェルも大変だね~」


 シロは苦笑しながら、ワタクシにお茶を勧めてきます。


「事情はわかったし、今日はうちでゆっくりしていくといいよ」


「ありがとうございます!」


 出されたお茶をひと口いただくと、少しだけ気持ちが落ち着きました。

 普段は紅茶派ですが、たまには緑茶も良いものです。

 シロは「お茶菓子を持ってくる」と言い残し、障子を開けて部屋を出ていきました。


 静かな和室と温かいお茶のおかげで、イライラしていたことも忘れてホッと一息ついたのですが。

 その時、障子越しに声が聞こえてきたのです。


「シロ様、今日は一緒にお出かけする約束ですよ?」


「ごめん、今日は無理かも。また今度でもいい?」


「せっかく準備したのに……」


 会話の主はシロと、この神社に住むユリノキの精霊、ユリちゃんです。 どうやら、ワタクシのせいで予定が急遽変更となってしまったようでした。

 まだ我が家には帰りたくないですが、それはさすがに申し訳ない。


 なのでお煎餅を持って戻ってきたシロに、ワタクシは座布団から立ち上がって伝えました。


「そろそろ失礼しますね」


「でもさっき家出してきたって……」


「いえ、大丈夫ですから!」


「えっそうなの?」


「何とかなりましたので」


「どういうこと?」


「リア充死すべし!(急な予定が入りましたので結構です)」


「建前と本音が逆だね!」


「これは失敬。では、失礼いたします」


 軽くお辞儀をして、ワタクシはその場を後にしたのでした。


「さて、どうしましょうかね……」


 シロが無理でもまだ他にも頼れる人はいますし、焦ることはありません。


 ワタクシはスマホから魔人のジンに電話しました。

 彼は世界中を飛び回っている行商人です。きっと何とかしてくれるでしょう。


「ハロー? あらー、ジェル子ちゃんから電話してくるなんて珍しいわねぇ」


「気分転換したいのですが、どこかに遠出しませんか?」


「あらぁ、ちょうど良かったわぁ! 今、モンゴルに居るのよ。これからゴビ砂漠に向かうんだけど、ラクダの世話をする人が足りなかったのよ! 一緒にどうかしら~?」


「お断りします。ありがとうございました」


 ワタクシが次に向かったのは、魔界にある古いアパート。そこで出迎えてくれたのは、ワタクシが召喚の契約をしている骸骨の宮本さんでした。


「ジェル殿。急にやって来てどうなされた?」


「えぇ、たまには一緒にお茶でもと思いまして」


「そうでござったか。ささ、上がられよ」


 宮本さんの部屋では、骸骨たちが集まってちゃぶ台を囲んで談笑していました。


「おや、先客でしたか」


「近所に住む骸骨仲間でしてな。定期的に我が家で集会を開いているのでござるよ。ジェル殿もよろしければご参加くだされ」


「はぁ、それはどうも」


 ワタクシは空いている座布団の上に座り、骸骨たちの話に耳を傾けました。


「この前ね、膝がギシギシ言い出してさ! 関節が弱ってるのかなぁ」


「あるある! 俺なんて、肩が外れるたびに『老化ですね』って言われるんだ!」


「いやぁ、湿度高いと骨がキシむよなぁ!」


 頷き合いながら「骨あるあるトーク」に華を咲かせる骸骨たち。

 宮本さんも頷いているので、たぶん共感できるのでしょう。

 しかし、当たり前ですがワタクシには何一つ共感できません。


「あ、あの……急用を思い出しましたので失礼します」


 居心地の悪さに耐えきれず、ワタクシは早々に部屋を後にしたのでした。


 最後に向かったのは、同じく魔界にあるフォラスの住む屋敷です。

 彼は地獄の総裁を務める偉い悪魔であると同時に、ワタクシとアレクの後見人でもあります。


「ぬぉっ、ジェルではないか! 急にどうしたのだ⁉」


「別に用事なんてありませんよ。ちょっとした気分転換です」


「何かあったのであるな」


 ギラギラのビキニパンツにマントを羽織っただけの姿で、彼は深刻な顔を見せました。


「フォラス……心配してくれるのですか?」


「我が子を案ずるのは親として当然であろう」


 爽やかに微笑むフォラス。

 半裸マッチョのオッサンが、なんだか急に頼もしく思えてきました。


「――安心せよ、ジェルマン。すべては筋肉が解決してくれるであろう!」


「えっ」


「筋肉と対話せよ! さすれば道は開ける! さぁ『マッチョ育成ルーム』でトレーニングしようではないか!」


 フォラスの手がワタクシの肩に伸びましたが、全力で回避しました。


「いえ、お世話になりました!」


「まだ何もお世話しておらんぞ、ジェルマ~~ン!!」


 こうしてワタクシは数時間の旅の末、自宅に戻ったのです。

 自宅を離れて気分転換と思ったのに、結局疲れただけだった気がします。


「お帰り、ジェル。どこ行ってたんだ?」


「何でもありません。ただの散歩です。シャワーでも浴びてきます」


 浴室のドアを開けると、シャンプーなどが並ぶラックに新しいボトルを見つけました。


「これはプレミアムボタニカルリペアサラサラエクストラモイスチャービューティフル……ちゃんと買ってきてくれてたんですね」


 ――やはり自宅が一番ですね。


 ワタクシはしみじみそう思いながら、髪を洗ってリラックスしたのでした。

次回の更新は5月3日(土)です。

ここまで読んでくださりありがとうございました!

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