86.キリト失踪事件
それは梅雨の時期のわずかな晴れ間の出来事でした。
「よし、これでスーパーエクセレントパン男ロボが9凸だ! あと1体だぞ」
「アレク氏、ガチャ石がもう無いでありますよ」
兄のアレクサンドルとテディベアのキリトは、それぞれスマホを見ながら二人で盛り上がっています。
どうやらスマホゲームをしているようなのですが、何を言ってるんでしょうか。
「このゲームな、同じキャラクターをガチャで引いて合体させて強化する仕組みなんだよ。何体重ねて強化したかを凸って呼んでるんだ」
「9凸ってことは9体同じキャラクターを引いて、合体させたってことですか?」
「そういうこと」
「そんなに同じキャラクターが何体も引けるもんなんですか?」
ワタクシの疑問に対し、アレクは片方の眉をキュッとあげて得意げな顔をします。
「そこはまぁ、お兄ちゃんのリアルラックの良さと課金パワーで何とかする感じだよなぁ」
「課金パワー……?」
「要はリアルマネーをつぎ込んでいるでありますよ」
そんなことにお金をつぎ込むなんて勿体ないなぁと思うのですが、彼らはそれが当たり前と認識しているようでした。
「オタクたる者、好きなコンテンツには出来る範囲で金を落とさないとな」
「アレク氏の言う通りであります! 我々の課金がこのゲームを存続させているであります!」
我々って……キリトはアレクからお小遣いをもらってゲームをしているのですから、実質アレクの課金だと思いますけどねぇ。
「お、リアルイベント開催のお知らせだってさ!」
アレクが弾んだ声でスマホを覗き込みました。どうやら近くのイベントホールでそのゲームのユーザーに向けた展示会があるようです。
「限定グッズ販売に……会場に来た人限定で好きなキャラクター1体もらえますだってさ! これで完凸できるぞ!」
「アレク氏! 小生も連れて行ってほしいであります! クマーマンが欲しいであります!」
キリトが反応したので、ワタクシは即座に反対しました。
「ダメですよ。あなたの中身はオタク幽霊でも、見た目はテディベアなんですよ? もし会場でうっかりはしゃいだりしたら騒ぎになります」
「じゃあ動かずじっと黙ってたらいいでありますか?」
「でも人ごみで汚れたらテディベアとしての価値が――」
「またそれでありますか⁉ 結局ジェル氏はお金のことしか頭に無いであります!」
「当然です! 自分の資産を心配して何が悪いんですか?」
「いやいや、そのボディを買った金は元々キリトが憑りついてた人形を売り飛ばして得た金じゃねぇか」
「だったらこの体は小生のものであります! ジェル氏にどうこう言われる筋合いはないであります!」
「だったら好きになさい! キリトがどうなってもワタクシは知りませんから!」
そこまできつく言うつもりは無かったのに、ついヒートアップしてケンカになってしまいました。
そしてワタクシはその言葉を後悔することになるのです。
イベント当日、キリトはアレクのサブバックに入って出かけていきました。
サブバックは中が透明になっていて、中から外が見えるのでそれならキリトも満足でしょう。
ワタクシの言ったことを気にしたのか、バックの中に入っている彼がいたって普通のテディベアのようにおとなしくしていたのが印象的でした。
それから数時間後。急にアレクから電話が入ったのです。
「おい、ジェル大変だ! キリトがいなくなっちまった!」
「えっ⁉」
慌てて会場に駆けつけると、もう展示会は終了していて撤収作業が始まっていました。
「荷物整理している間に気が付いたらサブバックごと居なくなっててさ。キリトのスマホは俺が預かってたから連絡もつかねぇしどうしようかと思って」
「もしかして家出したんですかね……ワタクシがどうなっても知らないなんて酷いことを言ったから」
「それは無いと思う。クマーマンがもらえたから帰ったら一緒にボス戦やろうって約束してたし」
「クマーマン?」
「クマーマンはこのゲームの新キャラでさ、熊のぬいぐるみでキリトによく似てるんだよ。だからキリトが欲しがってたんだけど」
そういえば、開催のお知らせを聞いた時にキリトがそんなことを言っていた気がします。
「とにかく、急いで探しましょう!」
ワタクシ達は撤収作業が進む中、真剣にキリトを探しました。
それなりに規模の大きなイベントだったのもあり、まだ人がごった返していて簡単には見つかりそうにありません。
しかし、そこで有力な手掛かりを得ることができました。
「うん。透明な鞄に入ったクマーマンがトラックに乗ってたよ」
「あれって、クマーマンだよね!」
会場に来ていた子どもたちがたまたまトラックに乗せられるキリトらしき姿を見たらしいのです。
「あの……そのトラックはどんなトラックでしたか?」
「えーっと、白色のトラック!」
「ナンバーとかどこの会社のとか、そういうのはわからないですか?」
子どもたちもさすがにそれは覚えてないらしく、困った顔をしました。
「えーっと、どんな小さなことでもいいんだ。何か覚えていることはないかな?」
アレクが優しい声音で訊ねると、一人の子どもが奇妙なことを言いました。
「ヒヒハロカロエ」
「ヒヒハロカロエ?」
「うん。ヒヒハロカロエってトラックの後ろに書いてあった」
その言葉に他の子どもも、そういえばそうだったと同意します。
「ヒヒハロカロエ……なんだろうな?」
聞き覚えのない単語で、スマホで検索しても当然何もでてきませんでした。
「らくがきか何かですかね……?」
「そうかも。しかし下手くそな字だったよなぁ。テストだったら先生が×つけると思う」
「どんな下手くそな字だったんだ?」
「うーんとね、文字が細かったり太かったりしてた」
それを聞いたワタクシは、ふと思いついたことがありました。
「すみません、具体的にどういう風に書かれていたのか思い出せますか?」
ワタクシは子どもたちから聞き出した通りに文字を書いて、確信しました。
「これはヒヒハロカロエではなく比八口加工と読むのではないでしょうか? おそらく正式名称は比八口加工産業とか、比八口加工株式会社とかそういったものではないかと」
まだイベントの熱気にあてられて興奮冷めやらぬ子どもたちにお礼を言って、ワタクシ達は早速スマホで検索してみました。
すると本当に比八口加工株式会社があったのです。
すぐに電話で問い合わせすると従業員が早速調べてくれてキリトは無事に見つかりました。
どうやら彼は会場内でおとなしく普通のテディベアのふりが出来ていたようです。
「今すぐ受け取りにいきますので、そのまま保管しておいてください!」
ワタクシ達は急いでキリトを迎えに行きました。
向こうで詳しい経緯を聞いたところ、この会社もイベントに出店していて、キリトのことを自社のブースで展示販売していたクマーマンの人形の予備だと思って一緒に回収してしまったのが原因だったようでした。
ワタクシ達が迎えに来るの待っている間、キリトはかなり不安だったのでしょう。
それまではおとなしくしていましたが、無事に家に連れて帰った瞬間、キリトは堰を切ったように話し始めました。
「アレク氏が荷物整理している間に、急に知らない人にトラックに乗せられたであります! スマホもないから連絡もできなくて、もう家に戻れないかと思ったであります!」
「そうか、大変だったな」
「まったく。ワタクシの言うことを聞かないからこんなことになるんです」
思わず文句を言うと、アレクがワタクシにも聞こえるような声でキリトに耳打ちします。
「ジェルはあぁ言ってるけど、自分が酷いこと言ったからキリトが家出したんじゃないかって心配してたし一生懸命探してたぞ」
「ちょっと、アレク!」
「ジェル氏」
「はい?」
「探してくれてありがとうであります」
「……無事でよかったです」
――まだ付き合いこそ短いですが、キリトも我が家の一員なんですから急に居なくなられたら寂しいじゃないですか。
でもそんなことを伝えると、キリトは調子にのるに違いありません。
だからワタクシはそんな思いを心にしまって、紅茶を淹れにその場を離れたのでした。
次回の更新は7月6日(土)です。
ここまで読んでくださりありがとうございました!




