70.バレンタインは温泉へ
今年もバレンタインデーがやってきた。
リビングのテーブルの上には皿に山盛りにされたトリュフチョコがある。
弟のジェルマンが作ってくれたものだ。
「まさか、この量は予想してなかったなぁ……」
「材料を使い切りたかったんで多めに作ってしまったんですけど、さすがに多かったですよねぇ」
「確かに多いけど、ゆっくり食べるから大丈夫じゃねぇかな」
「それが、そうもいかないんですよ」
ジェルは、少し困ったような顔をして俺に空になった生クリームの紙パックを見せた。
「トリュフは生クリームを使ってるから、そんなに日持ちしないんです。2,3日程度で食べきっていただかないと……」
俺は皿の上の粉砂糖にまみれたチョコを見た。
この量を俺とジェルで一気食いしたら後で胃もたれしそうだな。
「だったら、ジンちゃんやシロを呼んで一緒に食ったらどうだ?」
「ワタクシもそのつもりだったんですけど、ジンは大事な商談中で忙しいとのことで。シロの方もスサノオ様に呼び出されて一週間程度不在らしいんですよ」
そっかぁ……じゃあ誰か他に居ないだろうか。
その時、お正月に一緒に酒を飲んだ骸骨の姿を思い出した。
「宮本さんはどうだ? あの人は甘い物も好きみたいだし」
「そうですねぇ。わざわざこんなことの為に呼ぶのは恐縮ですけど……」
そう言いながらジェルは床に魔法陣を描き始めた。
ジェルと宮本さんはいわゆるクライアントと外注みたいな契約を結んでいるらしい。
どういう契約なのかはよくわからないが、宮本さんがすげぇ剣の達人なことから察するに用心棒みたいなもんなのかもしれない。
そんなことを思いながら見ていると、魔法陣が光って着物を着た骸骨が召喚された。
「ジェル殿、何か御用でござるか?」
宮本さんは食事中だったらしく、手に白いご飯が入ったお茶碗とお箸を持っている。
「あ、すみません……やっぱり事前に電話してからの方がよかったですね」
ジェルは恐縮しつつ、事情を話した。
「それはぜひ拙者もご相伴にあずかりたいですな。ついでに飯の友もいただけると助かるのでござるが」
「そうですね。冷蔵庫の残り物でよければご用意しましょう」
ジェルはそう言ってキッチンに向かった。
お茶碗を持ったまま所在なげに立っている宮本さんを見て、キリトがトコトコと駆け寄る。
「宮本氏! 小生と一緒にサニーちゃんのDVDを観るでありますよ!」
「おお、キリト殿! お誘いかたじけないでござる」
そういや、キリトがいつの間にか宮本さんと仲良くなってたんだよなぁ。良いことだとは思うが。
そのおかげもあってか、鑑賞会は大いに盛り上がった。
「キリト殿! 拙者、サニーちゃんの見事な戦いぶりに感動したでござる!」
「宮本氏にもわかるでありますか!」
「もちろんでござる。弱き者を助け、己の武の道に邁進する姿勢、これこそまさに武士でござるよ!」
「あぁ、宮本さんまでオタクに……」
キリトのふわふわの小さな手と骨の手が握手するのを眺めながら、ジェルはやれやれという表情をしている。
彼はサニーちゃんに興味が無いから、話についていけないんだろう。
俺はトリュフを口に入れながら、ジェルの為に話題を切り替えた。
「そういやさ、フォラスのおっちゃん元気かな? たしか、こないだ地獄に遊びに来るように言われてたよな?」
「あー、フォラスですか? そんなの無視ですよ、無視。今までにも何回か言われてますけども、ぜーんぶ無視してます。行ったら行ったでどうせ“ジェルマンはガリガリに痩せていて心配だから”とかなんとか言って、筋トレさせようとするに決まってますし」
ジェルが自身の細い腕に目をやりながら愚痴をこぼすと、宮本さんが反応した。
「それはもったいないでござるな。骸骨仲間に聞いたんでござるが、なんでもフォラス殿の住む地獄には『美白の湯』という名の素晴らしい温泉があるとか」
「美白の湯? それは初耳ですね」
「入るだけでとても美しくなる温泉だそうでござるよ」
「入るだけでとても美しく……!」
ジェルの瞳がキラキラしている。どうやらかなり関心があるようだ。
「秘湯ゆえに、コネが無いと行けない場所と聞き申したが、フォラス殿ならご存じかと――」
それを聞いたジェルは、少し思案した後におもむろにポケットからスマホを取り出した。
「もしもし、フォラスですか? ワタクシ達、明日そちらへ行こうと思うのですが。……はい、ではよろしく」
「おい、ジェル!」
「たまには親孝行もいいですね。余ったトリュフを手土産に地獄へ行きましょう」
「お、おう」
目的は親孝行じゃねぇだろ……と思いつつ、俺は頷いた。
ジェルの目的はどうであれ、俺はフォラスのおっちゃんが住んでいる地獄に行ってみたいと思ってたしちょうどいい。
キリトは観たいアニメがあるから留守番すると言うので、俺とジェルの二人だけで行くことになった。
宮本さんも誘ってみたが、やんわりと断られた。
「親子水入らずの時間に拙者が加わるわけにはいかないでござるよ。どうか楽しんできてくだされ」
――親子。そうなんだよなぁ。血のつながりはないけど、フォラスのおっちゃんは俺たち兄弟の後見人だから、親子みたいなもんだ。
親孝行、ちょっとでもできるといいんだけどな。
翌日、転送魔術の光に包まれて移動した場所は「地獄」のイメージにはほど遠いところだった。
俺たちの顔写真が付いた横断幕で飾りつけされたでかい門があって、門の真下に居る三つ首の大きなもこもこの白いワンちゃんが俺たちを見て大きな声で吠えた。
前に魔界の犬ぞりレースで一緒に走ったケルプードルだ。
「おー、ケルプ―! 久しぶりだなぁ」
ケルプードルの首には、ハワイでしか見たことないような大きな花のネックレスが付いている。
まるで式典か何かの為にオシャレをしているかのように思えた。
「しかし、どういうつもりなんでしょうねぇ……」
ジェルはケルプードルを撫でた後、門を見上げて横断幕をにらんだ。
「あの横断幕は、何って書いてあるんだ?」
「祝☆フォラス様のご子息ご帰還、って書いてあるんですよ」
すると、横断幕の文字を読み上げたと同時に門が開いた。
門の向こうにはたくさんの人が集まっていて、皆が拍手している。
やたら皆の体格が良いように見えるし、翼や角なんかも生えているので、悪魔とか鬼とかそういうのかもしれない。
「えっ、なんだなんだ?」
彼らはずらりと左右に並んでいて、中央には赤いカーペットが敷かれていた。まるでアカデミー賞だ。
「いとし子達よ! よく父の元に帰って来てくれた!」
戸惑う俺たちの前に、両手を大きく広げたフォラスのおっちゃんが現れた。
ジェルは不機嫌そうに顔をしかめている。
「この大げさな歓迎はなんですかいったい?」
「我が息子たちがやって来ると聞いて、歓迎する為に配下の者たちが集まってきたのだ」
「はぁ……それはどうも」
周囲には2000人くらいは居る感じだが、こんなにたくさんの人が俺たちに会いに来たのか。
試しに俺が群衆に向かって軽く手を振ると、それだけで皆が「うぉぉぉぉ!!!!」と大歓声をあげた。やべぇ。
おっちゃんは満足そうな顔で俺たちを見た後、ジェルの手にしている箱に気づいた。
「ジェルマン、その箱はなんだ?」
「あぁ、これ。手土産のワタクシが作ったチョコレートです。どうぞ」
ジェルは、そっけなくトリュフの入った箱を渡したが、おっちゃんはそれをまるで優勝トロフィーのように観衆の前に掲げた。
「皆の者、見よ! 菓子をもらったぞ!」
「うぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「ヌンッ! しかも手作りであるっ!」
「うぉぉぉぉぉぉ!!!!」
盛り上がる周囲に対して、ジェルは困惑しつつもなんとか愛想笑いを浮かべている。
まぁそうだろうな。余り物を持ってきただけだし。
おっちゃんはすっかり上機嫌になってジェルの背中をバンバンたたいた。
「さぁ、地獄を案内してやろう。いや、その前に歓迎パーティか……」
「いえ、どちらも結構です。ワタクシは『美白の湯』に行きたいので」
ジェルの言葉に、場が静まり返った。
そりゃそうだよな。せっかく歓迎してくれてるのにそれを拒否して温泉に行きたいって言ったんだから。
しかし、おっちゃんは感極まった表情でジェルの手をとった。
「ヌォォォォ! わざわざあんな辺境に視察に行くというのか! よくぞ言ってくれた! それでこそ我が愛し子たちであるっ!」
「あのような田舎にまで気を配る、さすがフォラス様のご子息様だ!」
「地方の内政に力を入れるとは、名君の器ですな!」
皆、盛大に勘違いして拍手して喜んでいる。ジェルの笑顔はさすがに引きつっていた。
早くここから逃げないとヤバい気がしたので、俺はおっちゃんに今すぐ出かけたいと申し出た。
「ならば、ケルプードルの引く車に乗っていくと良い」
ほろが付いた馬車みたいな物を、おっちゃん達の部下が用意してくれた。先にケルプードルが繋がれている。
名残惜しそうなおっちゃん達に万歳三唱で見送られながら、俺たちは地獄の門を後にした。
馬車ではなく犬車……なんて言葉があるのかどうかわからないが、馬みたいにでかいケルプードルの引く車は俺たちを乗せてどんどん進んでいく。
あまり道が整備されていないのか上下左右に揺れてゴトンゴトンとうるさいのが難点だが、さすが魔界の犬ぞりレースに出場するだけのことはあってとても速い。
「これが地獄かぁ……」
俺は物珍しさに車の窓から外を眺めた。
茶色い土壁と木々に囲まれた殺風景なヨーロッパの田舎町といった感じで意外と普通だ。
「人が拷問されてて血がドバーッとかそういうの想像してたんだが、そうでも無いんだな」
「地獄は何層にも分かれているんですよ。ここはまだ上の階層ですからね。地下に行けば行くほど重罪人が集まっていると聞きますから、下層の方はもっと地獄っぽいんじゃないですかね」
俺が感心しながら相槌をうつと「さすがにワタクシも行ったことがないので詳しくは知らないんですけど」とジェルはつぶやいた。
確かに、そう気軽に行く場所じゃねぇしな。
そこからしばらくするとさらに木々が増えてきて、とうとう山道に入ってしまった。
おっちゃんが「辺境」と言っていただけのことはある。
目的の温泉はそこから3時間ほどで到着した。
途中でケルプードルが疲れてしまったので休んだりした分も込みなので、この程度で到着したのは早い方だろう。
「こんなことならさっさと転送魔術を使えばよかった」とジェルがぼやいている。
車の中はふかふかのクッションが敷き詰められていたのでさほど苦では無かったが、それでも腰が痛い。
俺たちは外に出て大きく体を伸ばした。
「いやぁ~疲れたなぁ。これは温泉に入ってゆっくりしたいよな」
「そうですねぇ。温泉で美しくなって、さらに温泉成分を解析して販売すれば大儲けできますよ! 美白の湯、楽しみです!」
――ジェルがやけに乗り気だと思ったら、そんなこと考えてたのか。
目の前には小屋があって、そのすぐ傍に白い岩で囲まれた
地面から透明のお湯が湧き出している。
俺が温泉をもっと近くで見ようとした瞬間、ジェルが叫んだ。
「アレク! そのお湯は危険です! 近づかないでください!」
「えっ⁉」
「美白……そういうことでしたか……」
ジェルは悔しそうにつぶやいた。
「おいおい、どういうことだよ」
ジェルは小屋の壁に貼られた木の板を指さした。太い文字で何か書いてある。
「温泉成分、過酸化水素。骸骨以外は入らないように。長時間入らないようにしましょう、と書いてあるんです」
「かさんかすいそ?」
「漂白や殺菌に使う成分です。薄めれば消毒液にもなりますが、人体には有毒ですよ。爆発する可能性もありますし」
「でも宮本さんが秘湯だって……」
「骸骨仲間に聞いたって言ってましたからね。詳しいことは彼も知らなかったんでしょう。たしかに骨格標本の漂白にも使う成分ですから、骸骨であれば白くはなるでしょうし、嘘ではないですから」
ここまで一気に説明して、ジェルは肩を落とした。
「はぁ……また儲けそこなってしまいました」
「ジェル、そうがっかりするな。温泉くらいお兄ちゃんがいくらでも連れて行ってやるから」
――こうして俺たちの地獄への旅は幕を閉じた。
温泉には入れなかったが、普段見られないところに行けたし楽しかったんで俺は満足だ。
また機会があれば、おっちゃん達に会いに行きたいと思う。
次回の更新は3月4日(土)です。
ここまで読んでくださりありがとうございました!




