59.100年ぶりの再会
数え切れない量の書物が並ぶ、巨大な書庫。
――あぁ、こんなの一生かかっても全部読み終えることなんてできやしない。
一人の人間が生涯で得られる知識はあまりにも少ない。この世の知識をすべて集めて根源に至るには、時間が足りなさすぎる。
絶望したワタクシに悪魔はなんと言ったか。
永遠の命の代償はなんであったか。
「……あぁ、夢でしたか」
リビングで本を読みながら、ついうとうとしていたようです。
「おい、ジェル。暇だからパン男ロボ一緒に観ようぜ!」
兄のアレクサンドルは、いつもと変わりない笑顔でアニメのDVDのパッケージをこちらに向けています。
「いえ、ワタクシは結構です」
「ちぇ……」
「アレク氏! 小生と観るでありますよ!」
「おう、キリトは初見だろうからお兄ちゃんが解説してやるよ!」
クリーム色のテディベアが、見た目に似つかわしくない声で参加表明したのでアレクは顔をほころばせました。
このテディベアは、キリトという名のオタク青年の幽霊が憑依しているのです。
彼らは趣味が合うらしく、よく二人でアニメ鑑賞会をしているので今日もそうなることでしょう。
「やれやれ……」
二人に騒がれると読書ができないので、ワタクシは店に退散しようと腰を上げました。
するとどういうわけか、突然目の前の空間がぐにゃりと歪みだしたのです。
「転移魔術……? アレク、キリト! 気をつけてください! 誰か来ます!」
これは何か「人ならざる者の仕業」に違いないと身構えると、目の前の空間から黒いマントにギラギラのビキニパンツ一丁のマッチョのオッサンが現れたではありませんか。
「ヌォォォォ! アレクサンドル、ジェルマン! 愛し子達よ! 会いたかったぞォ~!!!!」
目の前のパンツ一丁のマッチョはマントをばさりと翻し、大きく両手を広げ、大声で叫びました。
「あなたはフォラス……! なんで来たんですか⁉」
「そなたらが我のところにちっとも挨拶にも来ないからだ。さぁ、100年ぶりに再会のハグをしようではないか!」
「寄るな触るなパンツが感染る!」
「ヌォォォ……相変わらずジェルマンは冷たい!」
抱きしめようとしてきた腕をワタクシが拒否すると、フォラスは嘆きましたが、半裸のマッチョに抱きしめられるなんて、嫌に決まってるじゃありませんか。
「誰かと思えば、フォラスのおっちゃんじゃねぇか! 相変わらずいい体してんな!」
「おうおう、アレクサンドルもすっかりたくましくなりおってからに! よぉ~し、久しぶりに一緒に筋トレでもするか!」
「いいな! どっちが先にギブアップするか競争だ!」
アニメそっちのけで急に目の前で腕立て伏せを始めた二人を、キリトがソファーから立ち上がって不思議そうに見ていました。
「ジェル氏、あのマッスルな御仁はどなたでありますか?」
「フォラスです。キリトは知らないでしょうけど、あれでも地獄の総裁を務めている悪魔なんですよ」
「総裁。つまり偉い悪魔なんですな。ただの変態マッチョにしか見えないでありますが」
「まぁそうですね。でも知識や悪魔としての力はかなりのものですよ。なにせ、ワタクシとアレクに不老不死を与えてくれた人ですから」
「なんですと⁉」
――そう、今から300年以上前にワタクシの目の前に現れた悪魔。それがフォラスでした。
「そして彼はワタクシ達に不老不死を与えただけでなく、筋トレしろだのプロテインを飲めだの世話を焼いてきて……ワタクシはどんなに頑張っても筋肉なんてつかないのに!」
「アレク氏は喜んでそうですな」
「えぇ! アレクはすっかり感化されて、あの下品なギラギラのパンツを愛用するようになって……!」
「そういえば、フォラス殿も同じパンツでありますな」
「ウザいから、最近はこっちからは連絡を取らないようにしてたんですけどねぇ。まさか押しかけて来るとは……」
目の前のマッチョは、アレクと談笑しながら軽々と腕立て伏せをしています。
アレクも額に汗は浮かべていますが、ちゃんとそのペースに付いていってるのだからすごい。
正直、インテリジェンスなワタクシには理解しがたい世界ですけど。
「――ところで、最近の人間界はどんな感じであるかな? 我も見て歩きたいのだが、案内してくれるか」
「おう、いいぜ!」
「ちょっとアレク! 勝手に決めないでください!」
「だって俺達を心配してせっかく来てくれたのに、観光もせずに帰れとか可哀想じゃねぇか」
「この変態マッチョを野に放つというのですか⁉」
「俺達がちゃんと付いて行けば大丈夫だって!」
「ムンッ! よろしく頼むぞッ!」
「はぁ……しょうがないですねぇ」
面倒くさいことになってしまいました。
とりあえず連れて行くにしても、今の彼はパンツ一丁なので服を着てもらわないといけません。
「ヌゥ……ジェルマンが着ているのと同じのでいいだろうか? ムンッ!」
フォラスが気合を入れると、ワタクシと同じ紺色の執事服姿になりました。
適正サイズが理解できていないのか、パツンパツンで襟は窮屈そうだし、ブラウスのボタンは今にも弾け飛びそうです。
正直ペアルックになるのは不快ですが、まぁそれでも、パンツ一丁で出歩かれるよりはいいでしょう。
「じゃあ、外の世界を案内して差し上げますよ。どこに行きたいんですか?」
「そうであるな……愛し子達が普段よく行く場所に我も行きたいぞ」
ワタクシたちが普段よく行く場所――
「シロの神社とかどうだ?」
「そうですねぇ」
あの神社なら境内には足湯もあって手ごろな観光スポットと言えなくもないし、悪くないかもしれません。
神社に悪魔を連れて行くのはどうかと思いますが、まぁ別に宗教戦争が起きるようなことも無いでしょうし、大丈夫でしょう。
ワタクシ達は、フォラスを連れて友人の氏神のシロが祭られている神社に向かうことにしました。
フォラスは周囲をキョロキョロしながら歩いています。
「ヌゥッ、あの走る箱は何だ⁉ あんな物は見たこと無いぞ!」
「あれは自動車です」
「なにッ! 我の知る自動車は屋根の無い馬車のような形であったが……ずいぶん変わったのだな」
おそらくフォラスの知識は100年前で止まっているのでしょう。
見るものすべてが新鮮に違いありません。
「このカラフルな箱は何だ?」
「自動販売機です。容器に入ったコーヒーやお茶を売っているんですよ」
「なるほど。では箱よ、コーヒー3人分売ってくれ。……おい、聞いているのか?」
バンバンッ! ベコッ!
フォラスが呼びかけながら自販機を軽く叩くと、機械がへこみました。
「ちょっと! なにやってるんですか⁉」
「ヌゥ……返事が無い。うっかり殺してしまったかもしれぬな」
「いや、別に中に人が居るわけではありませんから!」
「さらっと怖いこと言ったな、おっちゃん……」
慌ててへこんだ機械を錬金術で修復して、お金を入れてコーヒーを買って渡しました。
「そういや、フォラスのおっちゃんは神社は初めてか?」
「そうであるな。どんなところか楽しみだ」
コーヒーを飲みながら朗らかに笑う彼は、ただの人の良さそうなマッチョのオッサンにしか見えません。
このままおとなしく観光してくれるといいのですが。
「ほら、おっちゃん。あれが神社だぞ。鳥居が見えるだろ」
「ヌゥ……素晴らしいッ! ウォォォォ!!!!」
フォラスはいきなり叫ぶと、走りだして鳥居に向かって大きく跳躍し、ぶら下がって懸垂し始めたのです。
「おっちゃん! それは筋トレ器具じゃねぇぞ!」
懸垂する彼をアレクが引きずりおろして、とりあえず拝殿に向かいました。
「いいですか、ワタクシの言う通りにお参りしてくださいね!」
「ヌゥ……わかった」
「まず、この吊り下げてある大きな鈴を鳴らして……」
ワタクシが賽銭箱の上に吊り下げてある鈴紐を揺らすとガランガランと大きな音が鳴りました。
「そして、お辞儀を2回した後に2回手を叩く」
パンッパンッ! と拍手を打ってみせるとフォラスは頷きました。
「なるほど……まずこの鈴を鳴らすのだな」
ガランガラン! ブチッ! ガシャン!!!!
「何やってるんですか⁉」
彼が鈴紐を手にすると千切れて鈴が落ちてしまいました。
すると拝殿の扉が開いて、中には唖然とした顔の氏神のシロが立っています。
「ちょっと何やってるの! ……あれ、ジェルにアレク兄ちゃん?」
「すみません! すぐ直しますので!」
慌てて錬金術で鈴を元に戻して、シロに事情を説明しました。
「悪魔ねぇ……まぁいいけど」
「ヌオッ! 愛し子達に友達ができておったとは……我はうれしいぞ! お近づきのしるしにこれを授けよう」
フォラスは大きな缶入りのプロテインをズボンの中から取り出して、シロに差し出しました。
彼の服の中はどういう仕組みになっているんでしょうか。
「ど、どうも……ちょうど今は境内にスサノオ様の為に奉納された神馬があっちに居るから、見物していくといいよ」
「ムンッ! それは興味深い!」
「あぁちょっと、フォラス! 勝手に行かないでください!」
彼がシロの指し示した方に勝手に行こうとするので、ワタクシが慌てて追いかけると、そこには柵で囲まれた簡易的な厩舎があり、大きな美しい白馬が繋がれています。
「おお、良い馬であるな!」
「これはすばらしいですね」
ワタクシはもっとよく見ようと柵の側に近づいたのですが、それがいけなかったのでしょうか。
「ヒヒ~ン!」
急に馬が大きくいなないて暴れだしたのです。
その時、まさか馬を繋いでいる縄がほどけてしまうなんて、誰も予想しませんでした。
自由になった馬は突進して柵を破壊したあげく、くるりと反転して後ろ足でワタクシを蹴ろうとしたのです。
「ムンッ!」
その時、フォラスがワタクシを抱きしめるようにして庇いました。
彼の体越しに衝撃は伝わってきましたが、そのおかげで傷ひとつなく済んだのは言うまでもありません。
「ジェルマン……無事か?」
「は、はい……」
馬はフォラスの背を蹴り上げて満足したらしく、その場でおとなしくなりました。
そして遅れて駆けつけてきたアレクとシロの手によって、馬は再び繋がれたのですが――
「おーい! 大丈夫か⁉ うわっ、おっちゃん、背中やべぇ!」
ワタクシを庇ったせいで、フォラスの背には真っ赤な血がにじんでいたのです。
「フォラス! どうして庇ったりなんかしたんですか⁉ ワタクシは何があっても死なないんですから別にそんなことしなくても――」
「ヌゥ……それでも、親は目の前で我が子が傷つくのを黙って見ていられぬものなのだ」
――その時、ワタクシの脳裏によぎったのは、遠い日の記憶でした。
『研究は進んでいるか人の子よ』
『また来たんですか』
『ヌゥ……今日は薬草学の本を持ってきたぞ』
『おっちゃん! 剣の稽古をつけてくれ』
『ウムッ、任せておけ』
フォラスは自分を呼び出したのが年若い錬金術師であったことに興味を持ったのか、その後もワタクシ達のところへ訪れるようになりました。
――ワタクシ達が、人の理から外れたあの日も。
『……それで、あなたは永遠の命の代わりにワタクシ達兄弟に何を差し出せと?』
『叡智に執着する人の子よ。我は、そなたらの歩む先を親のように見守ることを望んでいる。もし我が子となってくれるのであれば、そなた達、兄弟に永遠の命を与えよう』
フォラス。あなたは、本当にワタクシ達を我が子のように思っていたのですか……
「おっちゃん! 大丈夫か⁉」
「うむ、こんなのプロテインを飲めばすぐ治る!」
「プロテインは万能薬じゃありませんよ」
幸い、背中の傷は表面だけで、骨や内臓には影響が無かったようです。
その後、傷の手当てをしてワタクシ達は境内にある足湯に浸かりました。
「いやぁ、おっちゃんもジェルも無事で良かったよ」
「ヌゥ……人間界もなかなかにスリリングであるな。興味深い。また100年後にでも来たいものだ」
「……100年後と言わず、昔みたいにいつでも来たい時に勝手に来ればいいじゃないですか」
ワタクシがそう言うと、フォラスは目を見開いてこっちを見ました。
「あなたはワタクシのおとうさ……こ、後見人なんですから」
「あっ、ジェルがデレた! 顔が赤いぞ」
「ヌゥ、そうなのか!」
「違います! これは足湯でのぼせただけですっ!」
皆の笑い声を聞きながら、ワタクシは足湯から出て、ひとり背を向け涼むのでした。




