51.河童の妙薬(挿絵あり)
青い空。眩しい太陽。そして、大量のスパンコールで輝く兄の股間。
「なぁ、ジェル。やっぱりさぁ、お日様の光を浴びるって大切だよな!」
「……アレク。それはいいですけど、いいかげんその下品なパンツはやめて普通の下着をはいてくださいよ」
ワタクシの視界の端では、兄のアレクサンドルがはいている下品なギラギラパンツがうざいくらいに輝いていました。
急に彼は何を思い立ったのか、我が家の庭にビーチベットを持ちこんでパンツ一丁で日光浴をし始めたのです。
「何言ってんだ。このパンツが俺の普通だし、自分がしたい格好をしてるだけだぞ」
「まったく。どうもアレクとは美的センスが相容れませんねぇ。なんとかあの下品なパンツを我が家から根絶したいものですが……」
彼の下品な半裸姿をなるべく視界に入れたくないワタクシは、早々に自分達の経営するアンティークの店「蜃気楼」に退避することにしました。
「まぁ、せいぜい焼きすぎないようにすることですね。ワタクシ達の肌はあまり日光に強くありませんから」
「大丈夫だって。ちょっとお日様の光を浴びながら横になって南国バカンス気分を味わうだけだから」
「ならいいですけど」
彼の言うこういう時の“大丈夫”ほど信用ならないものは無いのですが、ワタクシはそこまで大変な事になると思っていなかったのです。
――まさか、夕方まで彼が寝てたなんて。
「うぇぇぇぇ~、ジェル~! 痛いよ~! ヒリヒリして何もできねぇ!」
アレクの肌は全身真っ赤になっていました。
今までも多少は日焼けで赤くなることはありましたが、こんなに真っ赤なのを見たのは初めてです。
これはもう火傷と言っても過言ではありません。
「助けてくれ! 痛くて服も着れねぇ!」
「あぁ、どうしましょう! 日焼けに効く薬なんて我が家にはありませんよ! えーっと、えーっと……そうだ! とにかく患部を冷やすことですね!」
冷やす患部は……全身じゃないですか! こんなのどうやって冷やせと⁉
「水、氷、雪。――あっ、そうだ。全身を一気に冷やす方法があります!」
ワタクシは急いで床に召喚の魔法陣を描きました。
「上手く召喚に応じてくれるといいんですけどねぇ。契約してない存在は必ず来てくれるとは限らないので……」
成功率を上げるために精一杯、魔力を注ぎ込みながら呪文を唱えると、魔法陣が光り輝き始めました。
「――我が求めに応じよ、雪女!」
「ゆ、ゆきおんな⁉」
そして魔法陣から現れたのは、昔話でよく見る黒髪に白い着物姿の雪女……ではなく、真っ白な髪の毛に白い着物姿のお婆さんです。
「ふん、何か用かえ?」
お婆さんは見ず知らずの人間に召喚されたのが不満なのか、警戒心をむきだしにしています。
「あれ? 雪女にしては……んんっ、いえ、何でもございません」
思っていたのとずいぶん違うなと思いつつ、軽く咳払いをしてワタクシは雪女と思われるお婆さんに頼みました。
「すみません、雪女さん。大至急、冷却してほしい男がいるんです! できれば自然解凍オッケーだと助かります!」
「おい、ジェル。俺を冷凍食品みたいに言うんじゃねぇよ」
「あれまぁ、そっちのお兄さん。あんたずいぶん良い男だねぇ~!」
雪女は、アレクの方を見ると目を見開いて、急に愛想よくなりました。
「えっ、俺?」
「しかし、その姿はどうしたんだい? 全身真っ赤じゃないかえ」
「日に当たったままうっかり寝ちまったんだ。もうどこもかしこもヒリヒリしてて痛くて痛くて……」
アレクは泣きそうな顔で雪女に訴えました。
「それは可哀想にねぇ。だけど、たとえアタシの力で全身冷やしてもその真っ赤な肌は治らんよ」
「えぇ~、じゃあどうすりゃいいんだ⁉」
雪女は「そうさねぇ……」とつぶやいて、何か思い出そうとするかのように視線を空中に彷徨わせました。
「……あぁそうだ! 河童の妙薬を塗るといい。河童だけが持っている不思議な薬さね。たとえ手を切断してもそれを塗ると元に戻せるくらいすごい薬だよ」
「やべぇな、それ!」
――なるほど。河童の妙薬の話なら文献で読んだことがあります。
人間や馬に悪戯をした河童が、人間にばれて懲らしめられ、詫びの印として薬を渡すというストーリーです。
とてつもなく強力な傷薬ですから、それならアレクの酷い日焼けもたちどころに良くなることでしょう。
「じゃあ、河童を召喚して……いや、それよりも河童の住んでいるところへ行った方が確実ですかね」
ワタクシの言葉に、雪女は軽く眉間にしわを寄せながら答えました。
「それは難しいかもしれんよ。河童たちは、今は魔界に移住して大きな沼で集団生活しとる。人間には行けぬ世界さね」
「大丈夫です、魔界なら何度も行ったことがありますから」
「……強引にアタシを呼び出したり、魔界にも行ったことがあるって。あんたいったい何者だい?」
「ジェルマンという名の、ただの錬金術師ですよ」
こうしてワタクシは、パンツ一丁のアレクを連れて魔界へ出かけたのです。
雪女から聞き出した河童の住む沼は、とても美しい場所でした。
「沼なんていうから、苔と雑草の生い茂る汚いのを想像してましたが……」
澄んだ水を湛えた水面はたくさんのランプでライトアップされていて、まるでエメラルドのように美しい緑色です。その周囲は適度に木が茂り、色とりどりの花が咲いています。
沼のほとりには綺麗に平たく磨き上げられた白く大きな大理石があり、河童たちがそこに座ってのんびり談笑している様子が見えました。
河童の姿も想像と少し違っていて、とても色が白く頭に皿らしきハゲた部分があるのと背中に甲羅と手に水かきがある以外は、人間にとてもよく似ています。
話しかけるタイミングを計りながら観察していると、ワタクシ達に気付いた1匹の河童が、こちらへ近づいて来ました。
「あんれ、ダン吉!」
「えっ、俺? だ、だんきち……?」
河童はなぜかアレクに向かってダン吉と呼びかけました。
「ダン吉、おめぇその体はどうしただ? 真っ赤でねぇか! ひゃぁぁぁ! 皿も甲羅も無くなってしもたのか⁉ こりゃぁ大変じゃあ……」
河童は心配そうに、アレクの体をペタペタと水かきのついた手で触れてきます。
どうやら、彼のことを仲間だと勘違いしたようです。
「そこに寝転べ。おらが薬を塗ってやるから、ちょっとここで待ってろ」
この河童は妙薬を持っているようです。これは話が早くて助かります。
「……ところでそっちのあんたは、ダン吉をここまで連れて来てくれたんだべか?」
「えぇ、そうです。ダン吉さんをよろしくお願いいたします」
ワタクシはとっさにそう答えました。
「ジェル!」
「しっ、アレク。そのまま仲間のふりをしておきなさい」
「でも嘘はよくないぞ」
「黙ってれば大丈夫ですよ。それにアレクだって早く治したいでしょう?」
「で、でも……」
アレクが戸惑いながらもその場に寝そべって待っていると、河童は白い器を持って戻ってきました。
「ダン吉、可哀想になぁ。この妙薬さえ塗ればすぐ治るだよ」
「うん、ありがとう。ヒリヒリしてすごく辛かったんだ」
「しかしおめぇ、皿や甲羅はどうしちまったんだ? まるで人間でねぇか」
「あー、あー、えーっとその……取れちまったんだよ!」
「そうか~。きっとまた生えてくるから安心するべ」
河童はとても大らかな性格のようで、アレクが動揺して答えているのにもまったく気付いていないようです。
「髪の毛がずいぶん伸びちまってるな。これじゃ新しい皿が生えてこねぇべ? おらがひっこ抜いてやろうか?」
「ひぃっ、そんなことされたら、お兄ちゃんハゲちゃうから……いや、後で自分でやっとくから遠慮しとくわ」
「そうか~。そういやダン吉よ。おめぇ、奇妙なもん身に付けてるな?」
河童は薬を塗りながら、アレクのギラギラと輝くパンツを見つめています。
「これはビキニパンツだ。都会のハイセンスファッションで超オシャレなんだぞ。俺のアイデンティティだ」
「そうか~。よくわからんがお宝なんじゃな。綺麗でえぇなぁ~!」
河童は素直に感心してパンツを見ています。そんな感心するような物ではありませんけどね。
「…………ほれ、塗り終わったぞ。これで安心じゃ!」
「すげぇ! ヒリヒリしなくなった! ありがとう!」
真っ赤だったアレクの肌は、妙薬を全身に塗ったおかげですっかり元の色に戻っていました。ものすごい効き目です。
「本当に、ありがとな!」
「よかったですね、アレク。いや、ダン吉さん。……実はワタクシ達この後、用事がありまして失礼させていただきたく――」
「あのさ……河童さん! ごめん! 実は俺はダン吉じゃねぇんだ!」
「おめぇ、ダン吉じゃねぇのか⁉」
「俺はただの人間なんだ、騙してごめん!」
薬を塗ってもらえたし、あとは適当に誤魔化して退散しようと思ったのですが、アレクが白状してしまった為にそうもいかなくなってしまいました。
しかも、騒ぎを聞きつけたほかの河童たちが次々にやってきます。これはまずい。
「何を騒いでるっぺ……ありゃ⁉ おらが居る!」
「ダン吉!」
ダン吉と呼ばれた河童は顔も髪型も体型もアレクにそっくりでした。これは間違われるのも無理はありません。
ワタクシは観念して、改めて事情を河童たちに説明し、お詫びの言葉を述べました。
「……あんたたちの事情は分かった。本当なら尻子玉でも抜いてやるところだが、正直に話したから勘弁してやる」
「本当ですか!」
「しかし、あれは貴重な薬だ。タダというわけにはいかねぇ」
たしかに、あれはすごい効き目でしたからそうホイホイと使える品ではないのでしょう。かなり高価な品であることは予想できます。
「それで……おいくらでしょうか?」
おそるおそるワタクシがたずねると、薬を塗ってくれた河童はアレクの股間を指差しました。
「その『びきにぱんつ』を寄こせ! そいつをくれたら許してやる」
「へっ? 俺のパンツ?」
「そりゃあえぇなぁ! ハイカラだべ!」
「キラキラしてて綺麗だべ~、おらも欲しいだよ!」
他の河童たちも口々にアレクの下品なパンツを誉めて、うらやましそうに見つめています。
まったく、そんな物が欲しいなんて河童のセンスはどうなっているんでしょうか。ワタクシには理解しがたいものがあります。
「皆、このパンツの良さをわかってくれるのか! お兄ちゃんはうれしいぞ! 家に帰ったらもっとたくさんあるから、だったら全員にプレゼントしよう!」
アレクの言葉に河童たちは歓声をあげました。
――家にたくさんあるパンツを全員にプレゼントする。
これはつまり、我が家からアレクの下品なパンツが一掃されるということです。
ワタクシにとっても、非常に都合のいい展開じゃないですか。
「いい案ですね! ぜひ親切な河童さん達にパンツを進呈しましょう!」
「おぉ、ジェルもそう思うか! よし、決まりだ!」
とりあえずワタクシは、パンツを持ってこさせる為にアレクを家に帰還させて、5分後に再び召喚することにしました。
「いいですか、アレク。河童の皆さんに行き渡るようにありったけ持ってくるんですよ?」
「おう、全部持ってくるから任せとけ!」
5分後に召喚したアレクは、ダンボール箱いっぱいのビキニパンツを持っていました。
河童たちは我先にとパンツを手に取って、喜んでいます。
……やりました。ついにあの忌々しい下品なパンツを我が家から一掃できました!
ギラギラパンツ姿の河童たちに見送られながら、ワタクシは心の中で密かにガッツポーズをしていたのです。
しかし翌日――
「おはよう、ジェル」
「おはようございます、アレク……もう! またパンツ一丁でうろうろして! あれ? なんでまだそのパンツがあるんですか?」
アレクはまたギラギラビキニパンツをはいています。昨日とは違う色なので、続けてはいているわけでは無さそうです。
「パンツは全部、河童たちにプレゼントしたんじゃなかったんですか?」
「プレゼントしたぞ? 新品のを全部」
「えっ、あのダンボールいっぱいのは全部新品だったんですか⁉」
「当たり前だろ。他人にプレゼントするんだから新品じゃないと。俺のコレクション全部手放すのは辛かったけど、今まではいてたやつがまだまだあるからな」
「そんな……」
まさか下品なパンツがそんなに大量にあったなんて。
これは思った以上に根絶が難しいものであると確信したワタクシなのでした。
次の更新は8月7日(土)です。ここまで読んでくださりありがとうございました!




