47.魔界の犬ぞりレース(挿絵あり)
それはまだ冬の寒さが残るある日のことでした。
「あー、やっぱり中止になっちまったかぁ……楽しみにしてたのになぁ」
「どうしたんですか、アレク?」
「いや、ジャパンワンワンカップっていう犬ぞりレースのイベントがあるんだけどさ」
「犬ぞりって、犬にそりを引かせるあれですか?」
ワタクシがたずねると、兄のアレクサンドルはスマホの画面を見せました。
そこには、ハスキー犬が木製のそりを引いている写真と一緒に、イベント開催中止のお知らせが書かれています。
「そうなんだよ。友達の飼ってるハスキーが出るって言うから応援に行きたかったんだけど、中止になっちまった」
「それは残念でしたねぇ」
「いいなぁ、犬ぞり。俺もワンちゃんに引っぱられてぇなぁ」
「アレクは本当に犬が好きですよね」
「あぁ。来年は犬ぞりレースに出てみようかなぁ」
「いいんじゃないですか。その時は応援に行ってあげますよ」
そんなことを言いながら店の開店準備をしていますと、突然ワタクシのスマホが鳴りました。
「もしもし?」
「ジェル殿、久しぶりでござる」
「……宮本さん!」
宮本さんは私が契約している骸骨です。
今は特に仕事が無いので魔界のアパートでのんびり暮らしているはずなのですが、どうしたんでしょうか。
「ジェル殿! 突然だが、魔界の犬ぞりレースに出場してくださらんか?」
「えっ、犬ぞりレース⁉」
その言葉に、モップで床を拭いていたアレクがピクリと反応してワタクシの顔を見ました。
「アヌビス神の主催で『犬ぞりレース』を開催することになったのに、出場者の数があと1枠足りないんでござるよ」
「それは興味深いですね……」
アヌビス神は、古代エジプトで崇拝されたジャッカルの顔を持つ冥界の神です。
そんな大物が主催するからには、きっとすごい大会なのでしょう。
きっと優勝商品も豪華でしょうし、珍しいものがたくさん見られるに違いありません。
「わかりました。そのレース、ぜひ参加させていただきます」
通話を切ったワタクシを、アレクが期待の眼差しで見ています。
「なぁジェル、今の電話なんだったんだ? なんか“犬ぞりレース”って聞こえたんだけど」
「えぇ、魔界で犬ぞりレースが開催されるそうで。出場者を募集しているそうなんですよ」
「すげぇ、マジかよ! 参加する!」
こうしてワタクシ達は、店のドアに「本日は魔界行きのため臨時休業」と書いた紙を貼って、一緒に魔界へと出かけたのです。
転送魔術で魔界に到着したワタクシ達が目にしたのは見渡す限りの真っ白な雪景色でした。
「これはまた……ずいぶん積もりましたねぇ。まるで雪国じゃないですか」
「そうだなぁ。――おい、あの着物を着た骸骨は宮本さんじゃねぇか?」
感心して周囲を見渡していると、ギュッギュッと雪を踏みしめる音と共に、宮本さんがやってきました。
「ジェル殿!」
「宮本さん、先ほどはどうも」
「よう、久しぶり!」
「アレク殿も一緒とは、これは頼もしいでござるな!」
「犬ぞりレースやるんだって? 俺やってみたかったんだよ! ワンちゃんすげぇ楽しみ!」
「ハハハ、それは良かった。さぁ、あちらが会場でござるよ」
彼はあごの骨をカタカタ鳴らして笑うと、ワタクシ達を雪でできた塀で囲われた会場へと案内しました。
すでに会場には古今東西の悪魔や妖精、妖怪などのたくさんの異形な観客が集まっています。
「すげぇなぁ。前に花見で来た時とは大違いだ」
「ワタクシもこんな状況は初めてですよ。さすがにこんなに異形の存在に囲まれると怖いですか?」
「うーん。ここにいるやつらが、みんなワンちゃん好きなんだと思うとなんかうれしいな!」
「いつものことながら、ポジティブですね……」
異形たちの好奇の視線をくぐりぬけて、集合場所へ案内されると、そこに居たのは神話に名高い怪物たちでした。
「これは素晴らしいですねぇ」
目の前には象よりも大きな灰色の狼が細い紐につながれて優雅に寝そべっています。
「でけぇ! おい、ジェル。このワンちゃんすげぇデカいな!」
「これは北欧神話で有名なフェンリルでしょうかね。ワタクシもさすがに実物を見たのは初めてですよ」
その隣にはフェンリルよりやや小さいサイズで真っ黒な双頭の犬が、蛇の形をした尻尾を振ってこっちを見ています。
「おい、あのワンちゃん頭が2つもあるぞ! それに尻尾が蛇だ!」
「なるほど。こちらはギリシャ神話に登場するオルトロスですね」
さらにその隣には、3つの頭がある巨大な黒い犬が座っています。
「おお、これは冥府の番犬と呼ばれるケルベロス……!」
「どいつもこいつもやべぇワンちゃんだな……」
「まさかこんな神話の有名な犬達を率いてレースに出られるとは……! ワタクシ感激です!」
「――いや、ジェル殿。彼らはもう先約があるでござるよ」
感極まったワタクシに対し、宮本さんは申し訳なさそうに答えました。
「ジェル殿に乗っていただくのは、こっちの犬でござる」
そこには真っ白でモコモコの、馬くらいのサイズの大きな3つ首のプードルがいました。
「ケルプードルでござる」
「なんですか、ケルプードルって! しかもこの可愛くないサイズ感!」
「何言うんだジェル! ワンちゃんはどんな大きさでも可愛いぞ!」
そう言ってアレクはケルプードルに飛びつき、モコモコの毛に顔をうずめたのですが。
ケルプードルは3つある顔のひとつをアレクに向けて口を開け――
パクッ。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!!!」
「あぁぁぁぁ‼ アレク~~!!!! アレクが食われた~~!!!!」
幸いすぐにまた口を開けてくれたので、事なきを得ました。
「いやぁ、熱烈な歓迎だなぁ。お兄ちゃんびっくりだわ」
「ちょっと、宮本さん! もっと他の犬はいないんですか⁉」
「いやぁ、あとはケルチワワくらいしか……」
宮本さんが指差した柵の向こうでは、頭が3つある小さなチワワがプルプル震えています。
「ちなみにケルチワワは非力ゆえ、そりを引っ張れないでござる。その場合はチワワをそりに乗せてジェル殿達が走ってそりを引くことになるでござる」
「……ケルプードルでいいです」
仕方なく、ワタクシ達はケルプードルの引くそりに乗り込むことにしました。
普通の犬ぞりは2頭以上で引くことが多いのですが、今回の競技は1頭で引くんだそうです。
「確かにあんな巨大な犬を一緒に走らせるとか大変ですもんねぇ……」
ワタクシは、ケルプードルが繋がれた木製のそりに手をかけました。
「さて、どっちが前に座ります?」
「よし、ここはお兄ちゃんに任せろ!」
アレクが前に乗って操縦することになったので、ワタクシはその後ろに座りました。大丈夫なんですかねぇ。
『皆の者、いよいよレース開始であるぞ! 優勝者には素晴らしい褒美を用意してある。張り切って臨むがよい!』
アヌビス神と思われる威厳のある声と共に、スタートを知らせるラッパが鳴り響きました。
「よぉーし、じゃあ行くぞ! ハイクッ!」
アレクがスタートの掛け声を叫ぶと、ケルプードルは勢いよく駆け出しました。
ものすごいスピードで顔に冷たい風がバンバン叩きつけられて、想像以上の迫力です。
「すごいすごい! 意外と速いですねぇ」
「あぁ。大きさも速さも、まるで馬みてぇだな」
「でも風がちょっと寒いですね……ん?」
なにやら後ろからガウガウと犬の吠える声が聞こえて、ドドドドド……と振動が伝わってきます。
振り返ると大きな灰色の塊が向かってくるのが見えました。
「えぇっ! 犬ぞりレースって一斉に走るんじゃないですよね⁉」
「あぁ、普通は1組ずつ走ってタイムを計る競技のはずだが」
「なんかフェンリルが後ろから来てるんですけど!」
「えぇっ⁉ うわっ! ケルプー! もっと走れ‼」
アレクの声にケルプードルは頑張って足を動かしますが、神話の怪物はそれよりも遥かに速いのです。
フェンリルは大きな口を開けて、真っ赤な舌と牙をちらつかせながらぐいぐい近づいてきます。
「あっ、危ないっ! アレク! 左に避けてください!」
「くそっ!」
そして突風と共にワタクシ達はあっという間に追い越されてしまいました。
「うへっ、冷てぇ……あのワンちゃん、雪を巻き上げていきやがった」
「――まだです! まだ来ますよ!」
今度は真っ黒な塊が……いや、あれはオルトロスとケルベロスです。
ワタクシは急いで障壁の呪文を唱えて、衝撃と飛び散る雪に備えました。
ガウガウガウガウ!!!!
ウォォォォォン!!!!
ドドドドドドドド!!!!
ワタクシ達のすぐ横を、威嚇するように雪を撒き散らしながら轟音と共に怪物が駆けて行きます。
「ふぇぇぇぇ……すげぇな」
「はぁ、たぶんこれでワタクシ達は最下位ですかねぇ……」
神話の怪物達はあっという間に見えなくなってしまいました。
メンバーを見た時にどうせ勝てないとは思いましたが、ここまで圧倒的な差がついてしまうとは。
「もう走っても無駄ですし、棄権しますか?」
「棄権しねぇよ。最後までやることに意義はある! なぁ、ケルプーだってもっと走りたいだろ?」
アレクがケルプードルに問いかけると、ウォン! と元気の良い声が返ってきました。
「だったら最後までやろうぜ!」
「……しょうがないですねぇ」
ワタクシ達は態勢を立て直し、再びそりを走らせたのでした。
そりの速さに慣れてくると楽しいもので、周囲の景色を楽しむ余裕もでてきました。
雪の壁でコースが作られているので、それに沿っていけばいいだけなので気楽です。
「たまにはこういうのも悪くありませんねぇ……おや?」
しばらく走ると、何やら先の方で複数の獣がけたたましく吠える声と地響きが伝わってきます。
「おいジェル、あれ見ろ! 雪崩だ!」
アレクに言われて前方を見ると、山の上に積もっていた雪が大量に滑り落ちて濁流のようになっているではありませんか。
そして一瞬で巨大な怪物達とそりを飲み込み、何もかもが雪に埋もれてしまったのです。
「あぁ……どうしましょう! 急いで助けを呼ばないと!」
「落ち着け、ジェル!」
「でも早く助けないと……えーっと、えーっと……」
「とりあえずお兄ちゃんが宮本さんに連絡するから、ジェルはその間に錬金術で雪を溶かせ!」
「錬金術! その手がありましたか!」
ワタクシは、急いで雪の上に木の枝で魔法陣を描いてその上に立ちました。
簡易的ではありますがこれで多少、効果を増幅できるでしょう。
「こんなに広範囲に干渉するのは難しいですが……やってみるしかないですね」
ワタクシは呪文を唱えて両手を雪にかざしました。
怪物たちが埋もれた辺りに見当をつけて、雪をどんどん水に変えていきます。
「お、3つの頭のワンちゃんだ!」
溶かした雪の中からケルベロスが現れました。
幸い怪我も無いようで、3つの頭をプルプルと元気に振って水を弾き飛ばしています。
「ケルベロス! あなたと走っていた方や他の犬達はどこですか?」
その言葉にケルベロスは我が身に起きた状況を把握したのか、アォーンと一声吠えると鋭い爪の生えたたくましい前足で穴を掘り始めました。
「よし、ケルプーも手伝ってくれ!」
アレクがケルプードルをそりから外すと、ケルベロスに駆け寄って一緒に穴を掘り始めます。
すると穴から筋骨隆々の男性が、そりの残骸と一緒に現れたので急いで救出しました。
「おい、大丈夫か⁉」
「うぅ……私は雪崩に巻き込まれたのか」
「よかった、無事みたいだな」
「さぁ、急いで他の方々も救出しましょう!」
その後もワタクシは錬金術で雪を水に変え、ケルベロス達は穴を掘って皆で必死で救助活動しました。
その結果、怪物達も選手も全員、無事に救助することが出来たのです。
「すまなかった、人の子よ」
「まさか、人間に助けられるとは」
「我々のそりは大破して、もう走れない。そなた達は進むと良い」
救助された選手達は口々にそう言いました。
そしてワタクシ達のそりは彼らに見送られながら、再び雪原を走り始めて、無事ゴールしたのでした。
「よくやったぞ、人間~!」
「いいぞー!」
ワタクシ達がゴールすると、観衆から盛大な拍手が起こりました。
どうやら、雪崩が起きて救助活動したことは既に知れ渡っているようです。
「ありがとう! ありがとう!」
「ありがとうございます!」
ワタクシ達は大きく手を振って歓声に応えました。
少し遅れてフェンリルやケルベロス達もゴールし、歓声はさらに大きくなっていきます。
『……まさか、優勝者が人の子であったとは。うむ、実に良いものを見せてもらった』
我々の元へ主催者のアヌビス神が現れました。
繊細な装飾の施された黄金の腰布をまとっていて、ジャッカルの頭部を持つ半獣であるという伝承通りの姿です。
「なぁ、ジェル。あの人、頭がワンちゃんだな」
「ちょっと、アレク! 声が大きいですよ。それにワンちゃんじゃなくてジャッカルです!」
『では褒美をとらせよう……』
ワタクシ達の目の前に、真っ白な布で覆われた何かが乗った、巨大な荷車が運ばれてきました。
これはお宝の予感……!
『優勝商品のミイラ1年分である』
「……は?」
『ミイラ1年分だ。遠慮なく受け取るがよい』
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
「なぁ、ジェル。1年分ってどういう基準なんだろうな?」
「いいからアレクは黙っててください!」
――そういえば、アヌビス神は冥界の神であると同時に『ミイラづくりの神』としても有名なんでしたっけ。
「……まぁ、珍しいものがたくさん見られたので良しとしましょうかねぇ」
ワタクシ達はミイラの受け取りを丁重にお断りして、会場を後にしたのでした。
次回の更新は4月3日(土)です。
ここまで読んでくださりありがとうございました!




