44.アレク、錬金術師になる
それは道端で酔っぱらっている爺さんを見つけたことが始まりだったんだ。
「おい、爺さん。大丈夫か? ……うわ、酒臭ぇなぁおい」
真っ白なヒゲをサンタみたいに伸ばした小柄な爺さんの顔は真っ赤で、完全に酔いが回っているらしく足元はおぼつかない様子でフラフラだ。
「どぅあぃじょぅぶぅじゃぁ~……」
「まったく大丈夫そうに見えないんだが」
俺はふらつく爺さんに肩を貸してやり、近くの公園のベンチに座らせた。
急いで自販機で水のペットボトルを買ってきて蓋を開けて手渡すと、爺さんは水を気持ち良さそうに飲む。
「おうおう、ありがたいのう……」
「家は近いのか? よかったら送って行こうか?」
「おやおや、親切な若者じゃのう……だが、迎えが来たので大丈夫じゃよ。ありがとうなぁ」
爺さんはそう言って立ち上がると、ペットボトルを片手にフラフラと公園の外に向かって歩いて行く。
その先には片手を上げて出迎える、若い男性の姿があった。
男性は俺に会釈をすると、爺さんと一緒に帰って行った。
この寒空の中を酔っ払ったままうろうろしてたら、大変なことになっていたかもしれない。
すぐに迎えが来てくれてよかったなぁ、爺さん。
俺は、安心して家路に着いた。
その日の夜、リビングでいつものように大好きなアニメを観ていると突然、新商品のCMが流れた。
『最強のニューロボット! ゴールデンパン男ロボ! この黄金の輝きを今すぐキミも手に入れよう!』
「うぉぉぉぉ~! パン男ロボが金色だ! 欲しい‼ 欲しいぞ~‼」
思わず興奮して叫ぶと、すぐ隣で一緒にアニメを観ていた弟のジェルマンが冷ややかな目でこっちを見てくる。
「アレク、買っちゃダメですからね?」
「えー、なんで?」
「もう家にはロボットの玩具がいっぱいあるでしょう。これ以上増やしちゃいけません」
「家にあるのは普通のやつだろ。ジェルも一緒に見てたからわかると思うけど、あれはゴールデンで最強で特別なやつなんだよ」
「あんなの金色に塗装しただけのロボットの玩具じゃないですか。ワタクシには何が良いんだかさっぱりわかりませんよ」
俺は頑張って説明したけど、ジェルには理解されなかったみたいだ。
「いいなぁ、ゴールデンパン男ロボ……」
自分の部屋に戻って寝る時間になってからも、俺はずっとさっきのCMのことを思い出していた。
気になりすぎて、棚の上に飾られているパン男ロボの玩具をそっと手に取って見つめる。
「これが金色になったらいいのになぁ……」
そう思いながら俺は眠りについた。
…………。
――遠くの方で誰かが俺を呼んでいる。
「なんだぁ……?」
気が付くと目の前に古代ローマ風の衣装を着て、ブドウがいっぱい乗った杯を片手に持った、若い男性が立っていた。
その隣には見覚えのある真っ白なヒゲの爺さんが、椅子に座っている。
「今日、キミが助けた老人は私の養父だ。親切な若者よ、お礼に願いを叶えてあげよう」
……願いを叶えてくれる? どういうことだ?
――そこで、俺の意識は途切れた。
目が覚めると、いつもと変わりない自分の部屋だった。
「変な夢だったなぁ。願いを叶えてくれるって言ってたけど……」
俺は毛布を掴んで起き上がった。
するとさっきまで掴んでいたふわふわの毛布が金色に変化していく。
「え、なんだ? なんで金色に?」
びっくりして再び触ってみると手触りまでカチコチに変わっている。毛布とは思えないすげぇ硬さだ。
驚いた俺が無意識にベッドに手をつくと、俺が手をつけた部分からどんどん金色に変わっていく。
「もしかして、俺が触れたせいなのか……⁉」
ふと、棚の上のパン男ロボと目が合った。
手に取ると、ロボはどんどん金色に変わっていき、手のひらにかかる重さも、プラスチック製とは思えない金属みたいな重さになってしまった。
「ゴールデンパン男ロボ……」
――もしかして俺が、寝る前にパン男ロボの玩具が金色になったらいいのになぁって願ったから? 願いが叶うってそういうことなのか?
俺は慌ててドアを開けて、大声でジェルを呼んだ。
「お~い! ジェル、大変だ~‼」
その間にも、俺が触れた銀色のドアノブは金色に変わっていく。
「アレク……朝から何事ですか、騒々しい」
「大変なんだ! 俺の触った物が全部、金色になっちまうんだよ!」
「これは……⁉」
ジェルは俺の部屋で金色に輝くベッドやパン男ロボに気付いたらしい。
彼はポケットからいつも使っている特殊なルーペを取り出して鑑定しはじめた。
こういう時のジェルは錬金術師らしくてとても頼もしい。
「――ふむ。これは色だけじゃなく素材まで黄金に変わっていますね。 何があったのか詳しく話してもらえますか?」
俺は酔っ払った爺さんを介抱した事と、その爺さんを連れた男が夢に出てきた事を話した。
「なるほど……古代ローマ風の服を着てブドウの乗った杯を持った男性。これは興味深いですね」
「感心している場合かよ! 今のお兄ちゃんは一人で着替えもできねぇんだぞ!」
今、俺が着ているのはお気に入りのラメが入ったビキニパンツと薄いガウンだ。
下手に服に触るとガウンとパンツまで黄金に変わってしまうに違いない。
「それは困りますねぇ。……いや、実は昔ワタクシが読んだギリシャ神話の中に、今回の事件と非常によく似た話があるんですよ」
「ギリシャ神話?」
「えぇ、ギリシャ神話のミダスという名前の王様の話にそっくりなんです」
ジェルはあごに手をあてて、少し考え込むような仕草をした。
「たしか……ミダス王は、酔っ払った老人に親切にした結果、手に触れた物を黄金に変える力を酒の神様から授かったんです」
「完全に俺と一緒じゃねぇか! それでミダスはどうなったんだ?」
「それがですね、最初は何でも黄金に変わるので彼はとても喜びました。しかし手にした食べ物や飲み物、そして触れた周囲の人間まで何もかもが黄金に変わってしまうことに気付き、絶望するのです」
――そうか、触ったら黄金になっちまうってことはトーストも食えねぇし、ジュースも飲めねぇのか。
「ジェル、今日の朝メシは、あ~んってして食わせてくれ」
「嫌です」
ジェルは真顔で即答する。さすが長年一緒に暮らしてきた俺の弟だ。容赦ない。
「じゃあ、俺ずっとこのままなのか? 何か元に戻る方法は無いのかよ?」
「ありますよ」
彼は、あっさりそう言った。
なんだ、元に戻す方法があるなら早く言ってくれよ。
「……でも、せっかくですから、その前にちょっとひと儲けしましょうね!」
あ、ジェル。お前、悪いことを考えているだろ。
その笑顔は、お兄ちゃんを利用しようと考えてる時の顔だぞ。
「アレク、リビングでちょっと待っててくださいね!」
ジェルは俺をリビングに待機させて、家中から捨てようと思っていたガラクタやゴミをたくさん持ってきた。
「さぁさぁ、これに触れてください!」
俺は言われるがままに、割れたツボや、壊れた家具、読まなくなった雑誌などを次々と黄金に変えた。
「ふふ……今の金相場はいくらでしたっけねぇ。これだけあれば大儲けですよ!」
ジェルはゴミが黄金に変わったのを見て、満足そうにニヤニヤしている。
天使のような綺麗な顔なのに欲に塗れて台無しだ。
俺達、別にお金に困ってるわけじゃねぇのに、どうして彼はこうなんだろうか。
「……さて、アレクを元に戻しましょうかね」
ジェルはリビングの床に魔法陣を描き始めた。たしかこれは転送の魔術用の魔法陣だったと思う。
「なぁ、どうやって元に戻すんだ?」
「アレクはこの魔法陣の上に立ってください」
俺は言われた通り、魔法陣の上に立った。もしかして、俺をどこかに転送させるつもりなんだろうか。
そう思っていると、ジェルはミダスの話の続きを語り始めた。
「ミダス王は、自分の能力を元に戻してほしいと神に祈りました。その願いは聞き入れられ、神からお告げが下ったのです」
「どんなお告げだ?」
「…………」
ジェルは俺の問いには答えず、転送用の呪文を唱え始めた。
俺の足元の魔法陣が光り輝き始める。
「おい、ジェル! どんなお告げだったんだよ⁉」
「――パクトロス川で身を清めなさい。そうすれば元に戻るでしょうと」
「えっ、川ってあの、今、真冬なんだけど⁉ おい、ジェル! オマエまさか……」
「すぐに迎えに行ってあげますからね――」
その言葉を最後に、俺の体は光に包まれた。
転送される時にいつも感じる、独特の浮遊するような感覚がする。
そして、急にキーンと冷たい空気が肌に触れたかと思うと、俺の体は川に向かって落下していた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
ザバーン!!!!
急に冷たい水に包まれて、俺は溺れそうになりながらも必死でもがいて、なんとか水面に浮上した。
「グヘッ、ゲホッ、クソッ……ジェルめ……」
そのまま冷たい川の中を泳いで、俺はなんとか岸辺にたどり着いた。
着ていたはずのガウンは川に落ちた衝撃で脱げて、そのまま流されてしまったようだ。
「よりによって川の上に転送するとか鬼かよ……へっくし!」
今にも雪が降りそうなどんよりした曇り空の下、パンツ一丁の俺は大きなくしゃみをした。
「――アレク、大丈夫ですか?」
急に俺の目の前に、ジェルが姿を現した。
どうやら本当にすぐ迎えに来たらしい。
「大丈夫ですか、じゃねぇよ! 無茶苦茶しやがって!」
「でも、元に戻ったみたいですよ」
そういや岸辺に上がる時には何も起きなかったし、俺は今も地面に手をついているが、黄金に変わる様子は無い。
「本当だ……」
「パクトロス川がどこにあったのか解明されていないので、適当に勘でその範囲で現存する川に転送したんですが、それでも大丈夫だったみたいですね。さすがワタクシです!」
ジェルは自画自賛して、満足そうにニコニコしている。
適当に勘で俺を川に突き落としたのかよ。もし違ってたらどうするつもりだったんだ。
「いやぁ、よかったですねぇ。アレクは元に戻ったし、ワタクシは黄金が手に入ったし、ハッピーエンドです!」
ハッピーエンド……? まぁそうなるのかなぁ。
釈然としないまま、俺は上機嫌のジェルに連れられて、転送魔術で自宅のリビングへ再び帰ってきた。
すると、さっきまで黄金だったはずの物が、全部元通りのただのガラクタに戻っている。
俺の部屋も確認したが、金色だったドアノブもベッドもパン男ロボも全部元通りになっていた。
「そんなぁ、ワタクシの黄金がぁぁぁ~~‼」
「――なぁ、ジェル。世の中、おいしい話ってのはそうそう無いもんだぞ」
「くっ……そうですねぇ」
そして、ジェルのせいで真冬の川に突き落とされた俺は、見事に風邪をひいて寝込んでしまった。
その代わり「ゴールデンパン男ロボ」を買っても良いと許可がもらえたので良しとしよう。
風邪が治ったら買いに行く予定だ。
「楽しみだなぁ」
俺は毛布を握り締めて、それがもう黄金に変わらないことにホッとしながら眠りについた。




