40.俺はジェルにいたずらしました(挿絵あり)
その事件は、俺が暇つぶしに書庫から持ってきた魔女の業界誌を自室で読んでいたことから始まった。
「グリマルキン草で猫耳を生やしてイメチェン……?」
なんでも、そのハーブを食べると猫耳と尻尾が生えるらしい。
記事を見た感じオシャレアイテムみたいな感じで紹介されているので、特に害も無さそうだ。
そういや、以前に魔女のおばあちゃん達の箒を改造したお礼にもらったハーブの中に、その草があったような気がする。
「ジェルに食べさせたら猫耳と尻尾が生えたりすんのかな。本人は嫌がるだろうけど、絶対可愛いだろうなぁ。なんなら写真に撮って保存したい……」
妄想の中で猫耳を生やした恥ずかしそうな弟の姿が浮かんで、思わず口元がゆるむ。
「やべぇ、面白そうじゃねぇか」
俺はジェルに見つからないように、こっそり倉庫に置かれているハーブの入ったカゴを確認しに行った。
「これだな……」
目的の草は、緑色で葉っぱの切れ込みが9つに分かれた珍しい形だったのですぐわかる。
こうしてカゴの中で袋に小分けされている何種類かのハーブから、俺は目的のグリマルキン草を無事見つけることができた。
「よし、後はこれをジェルに食わせるだけだな」
俺はキッチンへ移動して、冷蔵庫の中身を確認してみる。
「卵にほうれん草……おっ、冷凍のパイ生地があるじゃねぇか」
ちょうど時間的にはそろそろお昼ごはんだ。
これでキッシュ(惣菜のタルト)でも作ったら、ジェルは喜んで食べるんじゃないだろうか。
俺は、いそいそとオーブンを予熱し始めた。
「さてと。まずは材料を炒めるとするか……」
しかし、ここでひとつ大きな問題が起こった。
グリマルキン草を料理に混ぜるにも、適切な分量がわからないのだ。
「大は小を兼ねるって日本では言うよなぁ。ありったけぶち込むか。どうせほうれん草に混ざってわかりゃしねぇし」
俺はグリマルキン草をてきとうに千切って、全部フライパンに投入した。
タルト型に炒めた材料と生クリームを混ぜた卵を流し込んで、オーブンに入れ20分程度焼くと、生地の焼ける良い匂いがしてきていっきに腹が減る。
完成したキッシュを切り分けて、リビングのソファーに座って読書をしているジェルのところへアイスティーと一緒に持って行った。
「なぁ。キッシュを焼いてみたんだが、よかったら一緒に食べないか?」
「アレクが料理してくれるなんて珍しいですね。どういう風の吹き回しでしょう」
「いやー、暇すぎて雑誌見てたらちょっと作ってみたくなったんだよ」
――材料がヤバイだけで、嘘は言ってない。
「いい匂いですねぇ。ちょうどお腹が空いていたのでありがたくいただきます」
ジェルは、俺のたくらみにまったく気付かない様子で、キッシュを口にして幸せそうに目を細める。
「すごく美味しいです! アレクは料理上手なんですから普段からもっと作ってくださいよ」
「あぁ、また気が向いたらな……」
ジェルはうれしそうに青い瞳を輝かせてパクパク食べている。だがしばらく経っても、俺が期待していたような変化はまったく起きない。
なんだよ、あのハーブ偽物だったのかよ……
じゃあもういいやと思い、俺も座ってキッシュに手を伸ばした。うん、我ながら良い出来栄えだ。
お互い腹が減っていたからあっという間に皿は空になり、俺は満足してソファーにもたれかかった。
ジェルはアイスティーを飲みながら、リラックスした表情で再び本のページをめくっている。
ゆったりとした空気にまぶたが自然と重くなっていって、俺はそのまま眠ってしまった。
…………。
――なんでだろう。遠くでニャーニャーと猫の鳴き声がする。
「あの、ちょっと。起きてください」
「なんだぁ……?」
その声の正体を確かめるべく俺は目を開けた。気のせいか、やけに天井が高いなと感じる。
目の前には俺の顔を覗き込む、宝石のような青い瞳の猫の姿があった。
クリーム色の上品な毛並みの、とても綺麗な猫だ。
「綺麗な猫ちゃん……」
その美しい姿に触れたくなり、手を伸ばそうとすると灰色の毛むくじゃらの手が視界に入った。
ひょっとして、これは俺の手か……⁉
「え? おい、なんだ。どういうことだ⁉」
慌てて飛び起きた俺を見て、綺麗な猫はジェルそっくりの声で喋った。
「よかった。やっぱりアレクなんですね!」
「おまえ、もしかして……ジェルか?」
「えぇ。そうなんですよ。なぜか目が覚めたら猫の姿になっていて――」
なるほど。たぶん原因はさっき食べたグリマルキン草の量が多かったからだろう。
猫耳を生やすどころか効き目が強すぎて、猫そのものになっちまったんだな。
「ということは、俺も……?」
俺はソファーから飛び降りて、大きな鏡で自分の姿を確認した。
ロクに手入れされていないボサボサの灰色の毛は、癖がついているのかあっちこっちに伸びているし、ふさふさの尻尾もジェルのふわふわの尻尾に比べて俺のはなんだか薄汚れているみたいに見えて汚らしい。
「なんだこの格差は……! お兄ちゃんショックなんだけど!」
「普段からロクに手入れしてないからですよ。ただでさえ癖っ毛なのに」
「ジェルは手入れしすぎなんだよ。いつも自分一人だけクソ高いシャンプー使いやがって」
「そんなことを言っている場合ではありませんよ。まずはこの事態をどうにかしないと……」
ジェルはペタリと床に座って、考え込むようにクリーム色の長い尻尾をパタリパタリと左右に動かしている。
「仮にこれが呪いによる現象だとしても、今のワタクシには解除できませんね。役に立たなくてすみません……」
いや、謝るのは本来こっちなんだけど。もともとは俺がグリマルキン草を食べさせたせいだし。
でもそんなこと言ったらジェルにこっぴどく叱られるに決まっている。
だから俺は明るく笑って誤魔化すことにした。
「アハハ、大丈夫だって! 俺がついてるから心配すんな。きっと何とかなるさ!」
俺はひらりとテーブルに飛び乗った。すげぇ、身が軽い。
調子に乗ってソファーに向かって跳躍してみると、そんなに力を入れなかったのに簡単に飛び移れた。
「ほら、猫の姿も楽しいぞ。こんなに身軽に動けるし」
「え、そうなんですか!」
俺の華麗な動きを見たジェルは瞳を輝かせて、自分もそれに続こうとこっちに向かって思いっきりジャンプする。
――が、俺の目の前であえなく落下して、ベシャリと床にお腹を打ち付けた。
「うぅ……」
「おい、ジェル。大丈夫か?」
やれやれと思いながらソファから飛び降りて、ジェルの傍に近寄る。
彼は少しフラフラしながらもゆっくりと立ち上がった。
特にケガをした様子は無いようだ。
「クッ……身軽かどうかは、個体差があるようですね」
「そうみたいだな」
「でも、アレクが一緒でよかったです。なんだか本当に何とかなりそうな気がしてきました!」
――あぁ、俺の罪悪感を煽るようなことを言ってくる。
ジェルの信頼の眼差しが辛い。とても辛い。
でも本当のことを言ってこの可愛い顔が般若の表情に変わるのだけは何としでも避けたい。
「とりあえず、他の部屋を探索して状況を把握しましょうか」
「あ、あぁ。そうだな」
ジェルが尻尾をピンと立ててリビングを出て行くので、俺も急いでその後に続く。
書庫やキッチンなど、ドアが開いているところはまったく問題なく見て回れた。
だが、店や倉庫はドアがしっかり閉まっていて、今の俺達では開けることができない。
「猫の姿はやはり不便ですねぇ……」
ジェルは悔しそうな声をあげ、尻尾をフリフリしながら開かない扉を見ている。
とりあえず見て回れる範囲は見たが、当然のごとく何も収穫は無い。
これで探索できる場所は、お互いの部屋を残すのみとなった。
「よかった。ワタクシの部屋もアレクの部屋も、ドアが少し開いているから入れそうですね」
俺達はひとまず、ジェルの部屋のドアの隙間に体をするりともぐりこませた。
部屋に入った瞬間、爽やかな空気に包まれる。
特にエアーフレッシュナーなんか置いてないはずなんだが、男の部屋とは思えない澄んだ空気なのが不思議だ。
部屋の中は特に変わった様子もなく、白を基調とした清潔な雰囲気で、いつも通り錬金術の道具やたくさんの本でいっぱいだった。
なにやら難しい文字がたくさん書かれた羊皮紙が置いてあるテーブルに近づくと、小さな薬品棚から薬草の匂いがする。
そこだけ見ると、いかにも錬金術師の工房と思わせるような空間なのに、真っ白な壁には地名の入った提灯やキーホルダーが並んでいる。
どれも俺が日本の観光地で面白がって買ってきて、ジェルにプレゼントした物だ。
最初の1個はうれしそうに受け取ってくれたが、提灯が3個目になったあたりから彼は渋い顔をするようになった。
それでもこうやって、綺麗に並べて飾ってくれているのはうれしい。
「何も変わったところはありませんねぇ。じゃあ、次はアレクの部屋に行きますか」
「あぁ、そうだな」
そりゃあ何も無いだろうよ。原因はさっき食べたキッシュなんだから。
そう思いながら、俺は自分の部屋に入る。
俺の部屋はとにかく物が多い。旅行先で買ってきた変な木彫りの民芸品とか、陶器でできた置物が棚いっぱいに並んでいる。
隣の棚はアニメコーナーで、俺の大好きなアニメのDVDとブルーレイがコレクションしてある。
DVDもブルーレイも両方買うのが俺の流儀だ。
壁にはパン男ロボのポスターが貼られていて、テーブルの上にはロボの玩具がいっぱいで、そこだけ見ると子ども部屋みたいだと思う。
俺がそんなことを思っている間も、ジェルはしっかり目を見開いて部屋の中をぐるりと見渡している。
「おや、あれは……?」
彼はベッドの上に何か見つけたらしく、ずるずる滑り落ちながらも必死でシーツに捕まってよじ登った。
「――アレク。どうしてあなたの部屋に、魔女の業界誌があるんですかね?」
「やべぇ、雑誌を元に戻しておくのをすっかり忘れてた!」
ジェルは開いたまま放置されていた雑誌の記事を読んで、怒りでフーフー言いながら尻尾を大きく膨らませている。
今ジェルの頭の中では、俺が作ったキッシュとグリマルキン草が結びついているに違いない。
これはやばい。絶対怒られるやつだ。
俺は猛スピードでリビングに逃げ出した。
部屋の中まで必死に走って、小物が収納されているアンティークの棚の上に飛びついてよじ登る。
「ここなら大丈夫だな」
この高さなら、運動神経ゼロなジェルにはきっと登れないだろう。
しかしその後しばらく経っても、彼はまったく追ってくる気配が無かった。どうしたんだろうか。
「ふぁぁぁぁ……」
しばらく棚の上でじっとしていると、なんだか退屈で眠くなってきた。
まぁここは安全だろうし、少しくらいなら寝てもいいかもしれない。
俺は睡魔に勝てず静かに目を閉じた。
それからどれくらい経ったんだろうか。
背中を撫でられるような感触がして目を覚ますと、俺は白い手に抱きかかえられていた。
ふわりと甘い、ローズの香りが俺の鼻をくすぐる。
これはジェルの愛用しているハンドクリームの匂いだ。
見上げた俺の視界に、サラサラの金髪と慈愛に満ちた優しい青い眼差しが映った。
「ジェル……元に戻ったのか」
「えぇ、グリマルキン草のせいとわかれば、対処は難しいものではありませんから」
どうやら自分の部屋で元に戻る薬を調合して、人間の姿に戻ったらしい。
「でも慣れない猫の手で薬を調合するのは大変でしたけどね」
ジェルは、俺の喉を指先でくすぐりながら微笑んでいる。
「……怒ってないのか?」
「怒ってないわけじゃないですよ? でも元に戻ってリビングに行ってみたらアレクはスヤスヤ寝ちゃってたし。それに――」
ジェルは俺の背中にブラシを当てて、毛をすきながら言った。
「せっかく目の前にモフモフの猫ちゃんがいるなら、堪能したいじゃないですか」
そう言えばジェルは、毛がふわふわした生き物が好きだもんな。
ひと通りブラシで毛を整えられた後、俺はぞんぶんに撫で回された。
なんか変な感じだが、全身をマッサージされたと思えば悪くはない。
「さて。モフモフを楽しませてもらったし、これで示談といたしましょうか」
ジェルは紐を通した白い厚紙を持ってきて、それにマジックペンで「俺はジェルにいたずらしました」と書いた。
それを俺の首にかけてソファーに座らせると、ジェルはスマホを持ってその光景を笑いながら撮影する。
「アハハ、可愛い! ほらほら、もっと反省してる表情にしてくださいよ!」
ちくしょう。猫耳のジェルをからかって遊ぶつもりが、すっかり俺の方が良い玩具にされてるじゃねぇか。
「ふふ。せっかくだから、一緒に撮りましょうね。反省している猫ちゃんとツーショットです!」
すっかりノリノリのジェルはそう言って、俺の手前で床に座り込んで、スマホをインカメラにして自撮りをするように腕を伸ばす。
「ほら、アレク。撮りますから、こっち見てください!」
「あっ……なんか体がむずむずする」
そう思ったら、俺の視界は急に高くなった。
どうやら時間が経って、グリマルキン草の効き目が切れたらしい。
その瞬間、カシャリとシャッター音が聞こえた。
ジェルがスマホ画面越しに俺の姿を確認する。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁ!!!! 猫ちゃぁぁぁぁぁぁん!!!!」
こうして、俺たちの猫化事件はあっけなく終息した。
後に残ったのは「俺はジェルにいたずらしました」と書かれた紙を首からかけた、全裸の俺とジェルのツーショット写真だけだ。
――もしジェルのスマホの画像フォルダにその写真があったとしても、それはそういう経緯なんで、どうか変な目で見ないでやってほしい。
次の更新は9月5日(土)の予定です。
ここまで読んでくださりありがとうございました!




