36.お花見はヤバイ(挿絵あり)
良い天気だなぁ。窓から見える青空は、今日が最高の花見日和であることを教えてくれる。
――なのになんで俺は、倉庫の中で弟と掃除をしてるんだろうか。
「こら、アレク。そんな乱暴に扱わないでください! もっと丁寧に!」
弟のジェルマンは、古い木箱を開けて中身を確認しながら俺に甲高い声で文句を言った。
俺達が経営している店はアンティークを扱っているから、倉庫の中は古くて高級な物が多い。
絵画や美術品、それに陶器や宝飾品。どれも丁寧に扱わないといけない品ばかりだし、中にはまめに手入れしないとダメな物もあって、掃除は結構面倒くさい作業だった。
「へいへい、ちゃんとやりますよっと……お、なんだこの箱。――へぇ、綺麗な腕輪じゃねぇか」
俺は棚の上にあった箱の中から、緑色の細かく装飾が施された腕輪を見つけた。たぶん翡翠だろう。ツヤツヤしていて透明感のある美しい緑色をしている。
窓からもれる光に当ててじっくり見ると、見たこと無いような文字が細かく刻まれているのがわかった。
「なぁ、ジェル。この腕輪さぁ、すげぇ綺麗なのになんで倉庫に放り込んでるんだ? 呪われてんのか?」
「いえ、そういうわけでは無いのですが……それは魔力を封じ込める腕輪なんですよ」
「どういうこった?」
「見せた方が早いですかね。貸してください」
ジェルは俺から腕輪を受け取ると、呪文を唱える。
すると彼の目の前に光る半透明の壁が現れた。これはあらゆる物理攻撃を防ぐジェルの得意の障壁の魔術だ。
しかし光る壁は、彼が腕輪をはめると跡形も無く消え去った。
「いいですか、ここからが重要だから見ててくださいよ?」
そう言ってジェルは腕輪をはめた状態で再び呪文を唱えた。でも何も起きない。
「あれ? なんで光の壁がでてこねぇんだ?」
「この腕輪のせいです。これを身につけていると魔力が激減して魔術が使えなくなるんですよ」
「へぇ、そういうことか。すげぇなぁ」
俺が感心すると、ジェルはなぜか苦笑いした。
「でもこんな物、いくらすごくても何の役にも立たないですよ。魔力が増幅するアイテムなら欲しかったんですが、逆では使い道がありませんし」
なるほど。要は弱くなってしまうアイテムと思えばいいのか。
「じゃあ、倒したいやつの腕にはめて弱体化を狙えるってことか?」
「無理ですね。ほら、自分で簡単に着脱できますから」
ジェルは、腕輪を外して俺に渡した。たしかにこれじゃ使えそうにないな。
「でもさ、魔術を使わない人には関係無いし、普通にアクセサリーとして綺麗だから店頭に出しておいてもいいんじゃねぇか?」
「確かに質の良い翡翠ですから、倉庫に眠らせておくのは惜しいかもしれませんねぇ」
そんな話をしながらしばらく掃除を続けて、やっとリビングで休憩することになった。
「お疲れ様です。今、紅茶入れますね」
ジェルが紅茶を用意している間、俺はソファーにもたれかかって窓の外を見ていた。
――あぁ、出かけたいなぁ。きっと今頃は川沿いの桜も公園の桜も綺麗だろう。満開の桜の下で飲む酒は最高に美味いに違いない。
「なぁ、ジェル。お花見に行かねぇか?」
「いけませんよ、パンデミックなんですから。不要な外出は控えないとですし、お花見も中止です」
ジェルの言い分はもっともだ。今年に入ってから性質の悪い伝染病が流行していて、世界中で猛威をふるっている。それに伴い、お花見だけでなくさまざまなイベントが自粛されていた。
「ジェルが障壁張ってくれたら大丈夫じゃねぇか?」
「それだとお花見してる間、ワタクシずっと障壁張りっぱなしじゃないですか。――そもそも障壁でウイルスは防げるんでしょうかね……?」
「それはわかんねぇけどさ、お兄ちゃんお出かけしたいんだよ~。もう家にいるの飽きた。お花見行きたい!」
あちこちの国が渡航中止になってしまったので、以前のように旅行することもできなくなった。
だからせめて、家の近所でちょっとお花見するくらいは許してくれてもいいんじゃないだろうか。
「なぁ、ジェルちゃ~ん。どこでもいいからさぁ~。お花見行こうよぉ~」
俺はソファーに座ったまま手足をブラブラさせて、全力で出かけたいアピールをしてみた。
「しょうがないですねぇ……」
ジェルはあごに手を当て、しばらく考え込んでいる。これは脈アリとみていいかもしれない。
「アレク。お花見ができるなら本当にどこでもいいですか?」
「おぅ、ジェルが一緒ならどこでもいいぞ!」
「――わかりました。ではアレクはお花見の準備をしてください」
「やったー!」
へへ。やっぱりジェルは、なんだかんだ言っても俺のワガママを聞いてくれるんだよな。
俺は急いで弁当を作りに台所へ向かった。
弁当の上に保冷剤を置いて、その上に冷蔵庫で冷やしていた小さいサイズの日本酒を乗せ、箸や紙コップも一緒に大きな保冷バッグに放り込む。
酒が飲めないジェルには水筒に入れた紅茶があるし。よし、これで大丈夫だ。
準備をして裏庭に出てみると、ジェルが地面に魔法陣を描いていた。
「お、移動は転送の魔術を使うのか!」
「えぇ。正攻法では、まず行けませんからねぇ」
「えへへ、お花見楽しみだなぁ。弁当はおにぎりと卵焼きにウインナーにしたぞ!」
「ふふ、それはいいですね。じゃあ、出発しましょうか」
俺達は地面に描かれた魔法陣の上に立った。ジェルは足元の魔法陣を見ながら意識を集中している。
「それじゃ行きますよ……」
ジェルが転送の呪文を唱えると、魔法陣が輝き始めて光の渦が体を包み込んだ。ふわりと浮くような感覚がして、エレベーターが下がるときの感じに似ているなぁなんて思う。
次の瞬間、俺の足に乾いた土の感触がして体にひんやりした空気がまとわりついた。真っ暗な空の遠くでギャーギャーとカラスの鳴き声が聞こえる。
まさか、間違った場所に転送されたんだろうか。
しかしジェルは特に焦る様子もなく、涼しい顔をしている。
「お、無事に着いたようですね。よかった」
「おい、ジェル。なんだ、この陰気な場所は……?」
「お花見会場ですよ?」
彼はいたって当たり前のように答えた。いやいや、この荒地のどこがお花見会場なんだよ。
「どう考えてもそんな感じじゃねぇだろ。どこに桜があるんだよ?」
「桜なら、あっちの方にたくさんいますよ?」
「それを言うならありますじゃねぇのか? “います”ってなんだよ……うえぇぇっ⁉」
ジェルが指差した先には、たくさんの桜が咲いていた。
ただし桜の木は皆、まるで人間みたいに根っこを足にして自分で歩いている。
「なんだよあれ! なんで桜が歩いてるんだ⁉」
「魔界の桜は歩き回るんですよ」
「えぇっ⁉ ここ魔界かよ!!!!」
「えぇ。アレクが“どこでもいいからお花見に行きたい”って言ったじゃないですか」
「確かにお兄ちゃんどこでもいいって言ったよ⁉ だからって魔界に連れて来るか普通⁉」
普段から魔術を研究しているジェルは、魔界からゴーレムやスケルトンといった魔物を召喚したりもする。
だから彼にとっては、魔界に行くくらいたいしたことではないんだろうが……。
「さぁ、もっと近くで桜を見ましょうか」
そう言って、うろうろ徘徊している桜の木にジェルは無防備に近づいていく。
「おい、大丈夫なのかよ?」
「おとなしい種族ですから、大丈夫ですよ」
俺とジェルが近づくと、桜の木は人間に興味があるらしく、ゆっくりと集まってきた。
ほとんどが俺の倍くらいの高さの立派な木で、囲まれると俺の視界が薄紅色でいっぱいになる。
握手を求めるように目の前に伸ばしてきた枝をジェルが優しく撫でると、桜はくすぐったそうに枝を揺らした。
人懐っこくてなんだか可愛いし、近くで見ても動く以外は普通の桜の木だ。
よかった、これなら安心してお花見できそうだな。
俺はすっかり安心して、集団のど真ん中にビニールシートを敷き、保冷バッグから日本酒を取り出した。
「あ、アレク! お酒はいけません!」
「へっ? ……うぁぁぁぁぁぁ‼」
次の瞬間、俺の体は酒の瓶と一緒に枝に絡め取られていた。枝が触手みたいにぐにゃぐにゃ動いて、俺めがけて次々と襲ってくる。
「おい、なんだよこれ! おとなしい種族じゃねぇのかよ!」
桜の枝で空中に羽交い絞めにされた俺の姿を見上げながら、ジェルは少し離れたところから叫んだ。
「それがですね~! 魔界の桜はお酒が大好物で、お酒を持っていると襲ってくるんです~!」
「先に言えよバカぁ~! おい、お兄ちゃんスケベブックみたいなことになってるんだけど! うわっ、まってやだぁぁぁ! そこはダメぇぇぇぇぇ~!!!!」
桜たちは俺から酒を奪っただけでなく服まで奪っていく。おいおい、俺のセクシーボディが大公開じゃねぇか。
枝がカチャカチャと器用に俺のベルトを外してズボンを剥ぎ取り、そして――
次の瞬間、俺の体は急にぽいっと空中に放り投げられた。
「うわぁぁぁっ!」
投げ捨てられた俺の体は、ゴロゴロと地面に転がる。
そんなに高いところから放り投げられたわけではなかったのと、とっさに受身を取ったので、幸い大きなケガは無さそうだ。
「大丈夫ですか、アレク!」
「あぁ。ちょっとすり傷はできちまったが大丈夫だ。でもなんで急に俺は放り投げられたんだ?」
「そのギラギラパンツのせいですよ。魔界の桜は光り物が苦手なんです。クソ悪趣味な下着をはいていたおかげで助かりましたね」
ジェルの透き通った青い瞳は、俺のギラギラとスパンコールで輝くセクシービキニパンツを冷ややかに見下ろしていた。
桜たちは俺を放り捨てた後、お酒を浴びて機嫌よさそうに枝を揺らして踊っている。
パンツ一丁で取り残された俺は、落ちていた服を拾ってため息をついた。
「はぁ、しょうがねぇなぁ。酒は諦めてとりあえず飯にするか」
「そうですね」
気を取り直して、踊る桜たちから少し離れた場所にビニールシートを敷いて、俺達はお弁当を食べ始めた。
「ふふ、アレクの卵焼きは甘くて美味しいです」
ジェルは俺の作った卵焼きを口に入れて幸せそうに目を細めている。
さっきは酷い目に遭ったが、その笑顔を見たらまぁいいやって気持ちになるから不思議だ。
桜に酒を奪われたのでジェルに紅茶をわけてもらって一息つくと、急に桜たちが激しく枝を揺らしてザワザワし始めた。
「あ、見てください。あれはなんでしょうか?」
ジェルが指し示した方を見ると、桜たちに向かって人間ぐらいの大きさの炎の塊がゆっくりと近づいている。
桜たちは炎が怖かったのか、我先にといった感じで慌てて逃げて行ったが、その中でなぜか逃げずにその場で立ち止まっている桜の木があった。
桜は恐る恐るといった感じで炎の塊に枝を伸ばす。
すると炎の塊からも、人間の腕らしきものが炎に包まれながらも差し伸べられる。
だが、双方が触れるか触れないか、というところで枝に付いていた花が燃えて、枝が焦げてしまった。
「ごめんなさい……。ごめんなさい、ごめんなさい…………!」
炎の塊は鈴を転がしたような美しい声で何度も謝りながら、その場に座り込んでシクシクと泣き始めた。
見た目は炎に包まれていてよくわからないが、どうやら若い女の子のようだ。
桜の方は触れると燃えてしまうのでどうすることもできないでいるらしく、炎に向かって枝を伸ばそうとしては引っ込めている。
「なぁ、おい。大丈夫か?」
心配になって声をかけると、彼女は自分が炎の精霊で、目の前の桜の木は自分の恋人なのだと説明した。
「種族を超えた恋愛ってやつなのか」
「はい」
「触れたら燃えちまうのは辛いな……」
「昔は大丈夫だったんです。でも私の魔力が強くなって炎がどんどん抑えられなくなって、とうとうこんなことに……」
「魔力のせいなのか」
「はい。魔力を制御する練習はしているんですが、なかなか上手くいかなくて」
そう言うと彼女は再び泣き始めた。確かに近くにいるだけで焚き火みたいに熱い。これでは触れただけでさっきみたいに燃えてしまうだろう。
「ねぇ、アレク……」
隣で一緒に見守っていたジェルが、おずおずと俺に声をかけた。
「どうした、ジェル?」
「彼女の炎の原因が魔力なのなら、倉庫で見たあの腕輪がもしかしたら使えるかもしれません」
――あぁ、そうか! あの魔力を封じ込める腕輪なら炎を抑えてくれるかもしれない。
「なぁ、精霊さん。俺達に良いアイデアがあるから、ここでちょっと待っててくれないか?」
俺とジェルは急いで店の倉庫に戻って、翡翠の腕輪を持って戻ってきた。
「お待たせ。これ、よかったら腕にはめてみてくれないか?」
俺は腕輪を彼女に手渡した。彼女は軽く首をかしげながらも、緑色のそれを腕に通す。
すると、彼女を包んでいた炎がシュウゥゥゥと音をたてながら消えていき、その中から真っ赤な髪の可愛い女の子の姿が現れた。
「あっ――私の炎が……消えた!」
「その腕輪は魔力を封じ込める力があるんです。あくまで一時的なもので、外すと元に戻りますから気をつけてくださいね」
自分の手足を見て驚いている精霊に向かって、ジェルは優しい声で丁寧に説明を続ける。
「その腕輪は差し上げます」
「え、でも……」
「いいですよ、ワタクシには不要の物ですから。でも、それに頼りきりなのはいけませんよ。自分の力で魔力を制御できるように、これからも鍛錬を続けてくださいね」
「……はい、ありがとうございます!」
目を潤ませながらお礼を言う精霊に、桜の木が寄り添って枝を伸ばした。
もうどれだけ近づいても花は燃えたりなんかしない。
薄紅色に包まれた彼女の笑顔は満開の桜に負けないくらい綺麗で、とても幸せそうだった。




