3.お客様は神様です!?(挿絵あり)
その日、ワタクシは人のいないアンティークの店「蜃気楼」で大声を張り上げて接客の練習をしていました。
「まずは元気な声で……イラッシャアセェェッ!」
海外に仕入れに出かけている兄のアレクサンドルが置いていった『声に出したい完全接客マニュアル決定版!』という本を読んで、感銘を受けたのです。
本の中では『お客様は神様だと思って丁寧におもてなししましょう』と書かれてあります。
「なるほど。神様だと思ってですか……日本の接客はハイクオリティだと常々思っていましたが、これほどまでとは。ワタクシも見習わないといけませんね」
おそらく先ほどの『イラッシャアセェェッ!』というのも神への敬意の表れなのでしょう。そういえば近所のコンビニの店長さんもこんな感じでした。
「ええっと、次は……オトゥシハイリマァァァァス!」
お通し? これはなんですかね。
あぁ、きっと業界用語というやつですね。たぶん音の響き的に不審者が来店した時の報告でしょうか。
「えっと、その次は……ナマイッチョウ!」
生一丁……これはどこかで聞いた言葉ですね。なんでしたっけか。
確かアレクとテレビを観ている時に……
「――ねぇ。ねぇってば。アンタ。ちょっと、聞いてる?」
「……え、うわぁぁぁぁぁっ! お、オトゥシハイリマァァァァス!!」
「はぁ? 何言ってるの?」
「え、あ……? もしかしてお客様で?」
「まぁ、そうなるのかな」
目の前の少年は、呆れた表情で答えました。
見た感じ12,3歳といったところでしょうか。短髪の黒髪、白い着物に薄紫の袴で神社の神主を思わせるような格好をしています。
「えっと、どちら様で?」
「神様だよ」
「えぇ、そうです。お客様は神様で……えぇ⁉」
――お客様は神様ってそういうことでしたっけ?
「……えーっと、どういうことでしょうか?」
「どういうことも何も、僕はこの地域の氏神だよ」
氏神。要はこの土地の守り神ということですか。
まさかこんな子供が……?
「僕、これでも495歳なんだよ。最近ここに配属された新米だけど、見た目で判断してもらっちゃ困るな」
「は、はぁ……」
「僕の管轄区域に変な空間があったんで、様子見に来たんだけどまさかこんな店があったとはねぇ……皆気づかなかったのかな」
「気づかれないように魔術で結界を張ってますからね」
ワタクシがそう言うと彼は笑いました。
「あの西洋の結界、アンタが張ったのか。僕のお使い番の犬は入れなかったから、ちゃんと役目は果たせてると思うよ。でも神である僕にとっちゃ、あんなの無意味だね」
どうやらワタクシが使う魔術のことまでお見通しのようです。
これは本当に、彼がこの土地の氏神であるということでしょうか。
「おそれいりました……」
「いやいや。ねぇ、立ち話もなんだし、ここ座ってもいいかな?」
彼はカウンターのそばにある椅子を指差します。
「あ、どうぞ……」
「んじゃ、日本酒ちょうだい」
「日本酒ですか?」
「あるでしょ?」
確かに我が家には、アレクがコレクションしている日本酒があります。
神様というのは、そういうことまでわかったりするんでしょうか。
――あぁ、そういえば日本には神様にお酒を捧げる風習がありましたね。そういうことならワタクシも差し上げないといけません。
「はい、すぐ持ってきますから少々お待ちくださいね」
ワタクシは店の奥のドアを開けました。
この扉はワタクシとアレクの暮らす家に繋がっているのです。
「アレク、すみませんが1本いただきますよ……」
ワタクシはキッチンの棚から、高そうな金色の装飾の施されたラベルの日本酒を失敬して、小さなグラスと一緒に彼に差し出しました。
「これでいいですかね……?」
「へぇ、なかなか上等の物がでてきた。そういやアンタは飲まないの?」
「ワタクシはあまり呑めませんので。それは兄のアレクサンドルの物なんです。兄はお酒好きでしてね、だから多少置いてあるんですよ」
「お兄さんいるんだ」
「今日は商品買い付けの旅行に出かけてて居ませんけどね。だからナイショで持ってきました」
「アハハ、それじゃ、遠慮なく……あはっ、やっぱり上等な酒は香りも喉越しも良いね」
彼は上機嫌で、水でも飲むかのようにお酒を豪快に飲みほしました。
「ふぅ……それでね、いきなりで恐縮だけど。僕と契約しなよ」
「え? 契約ってどういうことですか?」
「この店って京都の変な位置にあるでしょ? 怪しい術で勝手に空間ねじまげてその隙間に店作ってさ。だからずっと僕の管轄区域なのに管轄から外れてる状態だったんだよ」
「ハァ……すみません」
「やっぱりさ、土地を守る関係上、把握できない状態なのは困るんだ」
管轄、なんて彼はまるでお役所みたいなことを言いますが、神様の世界ってそんなややこしいもんなのでしょうか。
「――しかしさぁ、なんで日本に住んでるの? アンタ外国人じゃん」
「えっと……兄が日本びいきなもんでここがいいって……それにワタクシも兄もフランス人ですけど、家系を辿ると少し日本人の血が入ってるんですよ……」
「へぇ」
「そ、それにほら、この町は外国人観光客が多いからワタクシ達も目立ちませんし……」
言い訳するようにぼそぼそと答えると、彼は少し困ったような表情をしました。
「――あぁ悪い、責めたつもりはないんだ」
「……え、あ、はい」
「別に怒ってないからさ。思ったことは遠慮せず言えばいいんだよ?」
「あ、はい……」
そうは言うものの、さっきから彼のペースに飲まれっぱなしでどうにもやり辛くて仕方ありません。ワタクシは苦笑いしながら軽く頬を掻きました。
「とりあえずそちらの事情はわかったよ。ただ、そういうことなら尚更、ちゃんと契約を結んだ方がいいんじゃないかな」
「確かにそうですが――」
「そうすればこのお店も僕の守護対象になる。悪い話じゃないでしょ?」
「うーん、そうですね……わかりました」
ワタクシは少し思案した後、うなずきました。
「よし、じゃ決まりだね。でもひとつ問題があってさ」
「――問題?」
「今回のケースって極めて稀なんだよね。だから無理を通す為に何か奉納してもらう必要があるんだよ」
なるほど、契約というからには対価が必要ということなのでしょう。
しかし、何を奉納すればよいのでしょうか。
「なに、たいした物じゃない。アンタの持ち物を何かもらえればいい」
持ち物と言われ何を差し出すべきか考えていると、彼は壁を指差しました。
「そこの壁に飾ってある装飾品はどう? あれはアンタの物だよね」
「よくわかりましたね。ワタクシはブローチ集めが趣味なんですよ」
「ずいぶんたくさんあるなぁ」
「そうでしょう。全部で100個ありますよ」
視線の先には、大小さまざまなデザインのブローチがありました。
スーツに合わせる為の格調高いものから、花の形や動物の形の可愛らしいものまで、丁寧に吟味して買い集めた品です。
「じゃ、これを奉納してくれないかな?」
「えぇっ! まさか全部持っていく気ですか⁉」
「そんなには要らない。1つでいいよ」
――あぁ、驚いた。全部持っていかれたらどうしようかと思いました。
ブローチは100個もあります。その中からたった1つならそんな痛手ではありません。そんなことでいいのでしょうか。
「1つでいいんですか? いいですよ、たくさんありますしお好きなのをどうぞ」
「どれでもいいんだね?」
「はい、どうぞ」
どうせ物の良し悪しなどわかるはずはないだろうし、1つくらいならまぁいいかと、ワタクシはすっかりたかをくくっていました。
「うん……じゃ、これがいいな」
彼はコレクションをしばらく眺めたのち、蝶の形をしたブローチをひとつ選びました。
「え、まさかそれを選ぶとは……」
ワタクシは思わず息をのみました。
それはおそらく宝飾にまったく興味の無い人にとっては、価値などわからない品でしょう。
実はフランスの有名宝飾デザイナーが手がけたアンティーク品で、市場にはまず出回らないとても高価なお品なのです。
まさか100個もある中から、とっておきの物を選ばれるとは思っていなかったので本当に驚きました。
「あなた、それが一番高価な物と知っていたのですか?」
「いいや、高価かどうかなんて知らない。でも良い物はわかるさ。これ、とても好きだ」
「好き……?」
「他のも良いと思うけど、これが一番好き。色の組み合わせも良いしデザインにストーリー性があって良いな。繊細な細工で作り手のこだわりを感じるね」
――そう、そうなのですよ。
これは一番良い物で、ワタクシのお気に入りなのです。
自慢の品を褒められたうれしさで、ワタクシは思わず彼の手をとりました。
「そうでしょうそうでしょう! お分かりいただけますか……!」
「え、なに、どうしたの急に」
「せっかくなのでそのお品の来歴をお話いたしましょう! あぁそうだ。お酒ももっとお持ちいたしましょうね!」
「あ、うん。ありがとう」
――それからブローチについて語ること1時間。
作品が作られた時代背景や、ジュエリーの歴史、さらには細工の技法や金属加工についてなど、かなり専門的な話もしましたが彼はまったく嫌がるどころか、興味深く熱心に聞いてくれたのです。
「すごいな、たくさん勉強してるねぇ。この品がとても貴重な物なのがよくわかったよ」
「ありがとうございます。感覚的な良し悪しだけでなく、できればそのお品が誕生した背景も知っていただきたくて……」
「知識が無くても楽しめる物は世の中にたくさんある。でも知識があるともっと楽しくなるってことだよね」
「その通りです。――よろしければこちらもご覧になりませんか?」
「うん、どれどれ? これも素敵だね。いつ頃に作られたものなの?」
「こちらはヴィクトリア時代の物でしてね……」
その後もワタクシは熱心に話しこんでいました。
じっくり話してみると彼は知識も豊富な話のわかる人物で、気が付けばすっかり打ち解けていたのです。
「……よし、これで契約成立だね。あらためて名乗ろう。僕はシラノモリノミコトだよ」
一通り話し終えると、彼はそう言って姿勢を正しました。
「シラノモリ――どんな字を書くんですか?」
「あ、えっと……『白ノ守尊』と書くんだ」
彼はカウンターにあったメモにペンで書きつけます。
「ほう、白という字なのですね。――ではシロと呼ぶのはどうでしょう?」
「シロってちょっと! 犬みたいに呼ばないでくれる?」
「呼びやすくて良いと思ったのですが」
「……アンタなぁ」
「アンタではなく、ワタクシの名はジェルマンです。ジェルと呼んでください」
「……ジェル」
「思ったことは遠慮せず言えと言ったのはシロです。一番良い物を持っていくんだからそれくらいは許してください」
「契約は契約でしょ? ジェルはどれでもいいって言ったよね?」
「まぁそうですけど……」
「その代わりこれからはずっと僕が守ってあげる。――だからよろしくね」
箱に入ったブローチを未練がましく見ているワタクシを優しくなだめつつ、彼はそれを懐にしまい込みました。
「それじゃ僕、帰るよ。次は普通に遊びに来るから、またお酒用意しておいてよね」
「はい、またお待ちしています!」
「――こんなところで居酒屋経営なんて大変だろうけど、僕応援してるよ」
「……え」
「だって、ずっと練習してたじゃない。お通し入りますとか生一丁とか……」
「えぇぇぇぇぇぇっ⁉ うちアンティークの店なんですけど‼」
彼はワタクシの反応を見て大笑いした後、笑顔で「またね」と言って帰って行きました。
どうやらからかわれたらしい、と気付いたのはドアが閉まった後だったのです。
それ以来、シロとあだ名がついた氏神様は時々遊びに来るようになりました。
――ブローチは減ってしまったけど、友人ができたのはうれしいなぁ。
そう思いながらワタクシは99個になったブローチを眺めるのでした。
2019.9.18追記:大幅に加筆修正しました。