29.SAN値直葬ドリンクと幽霊船
その日ワタクシは、兄のアレクサンドルと一緒にオランダのアムステルダムに来ていました。
目の前には美しい運河が流れていて、水上を小型の観光船が行き交い、綺麗に整備された石畳には自転車が並んでいます。
今すれ違った若い女性は観光客なのでしょうか。地図を片手に笑顔でおしゃれなカフェに入って行きました。
窓越しにカフェの中をちらりと覗くと、ショーケースにフルーツやクリームがたっぷり乗った美味しそうなケーキがずらりと並んでいます。
「あ、いいなぁ……。でも、また後にしますかね」
ケーキは非常に魅力的でしたが、ワタクシが左手に持っている皮製のレトロなトランクがズシッと重さを主張していましたので、カフェで休憩するのはこの中身を片付けてからにしようと思いました。
トランクの中に入っているのは30本の小さな栄養ドリンク。
錬金術の研究の副産物でたまたまビタミンDをメインにした栄養剤ができてしまったので、それをドリンク化した物を商品として売り込もうと思ったのです。
商談はアレクに任せてワタクシは家でのんびり読書をする予定だったのですが「開発者が立ち会った方がビジネスがスムーズ」だと彼が言うので、一緒にオランダへ行くことになったのでした。
「なぁ、ジェル。今更だけどなんでオランダなんだ? 栄養ドリンクならアメリカの方がいいんじゃねぇの?」
「いえ、今回の主要成分はビタミンDですからね。オランダは日照時間が少ないので、ビタミンDの欠乏症になりやすいから需要があると思うんですよ」
ワタクシは胸を張って答えました。
それにここ、アムステルダムは商業も盛んなヨーロッパ屈指の世界都市です。きっと上手くいくに違いありません。
――そう思っていたのですが。
残念ながら商談は大失敗して、散々な結果となりました。
「まさかドリンクがあんなにクソ不味いとはなぁ……」
そう、理想的な栄養バランスをとことん極めたまではよかったんですが、味のことはまったく考慮していなかったのです。
アレクと営業先の人にドリンクを試飲してもらうと、急に彼らが苦しみ始めて水を求めて床にのた打ち回り始めたので相当不味かったのでしょう。
「成分的に美味しさは期待してませんでしたが、まさかそんな酷い味だったとは知りませんでした。まぁ良薬口に苦し、という言葉もあるくらいなんで不味くても別にいいかなと思ったんですがねぇ」
「いいわけあるかバカヤロー! お兄ちゃん舌もげるかと思ったわ‼ おかげでテロと疑われて警察呼ばれそうになったじゃねぇか。うぇぇぇぇ……」
アレクは味を思い出したのか、顔をしかめながらトランクから水の入ったペットボトルを取り出してゴクゴクと飲んでいます。
「とりあえず用も済んだし、さっさと転送魔術で家に帰りましょう」
「えー、このまま帰るのかよ。それはもったいねぇだろ。せっかくジェルもここまで来たんだし観光して帰ろうぜ。カフェでケーキ食って運河をのんびりクルーズして、美術館巡りはどうだ? フェルメールやレンブラントの有名な作品もあるし、ピカソだってあるぞ! お土産はでっかいチーズを買ってさぁ……」
「すみませんが、あまりそういう気分では……」
アレクの提案がありがたいのですが、商談が失敗して気分も落ち込んでましたし、あちこち観光して回ろうという気分では無かったのです。
ワタクシがため息をついたのを見て、彼は慰めるように肩をぽんぽんと叩いてきました。
「おいおい、そんなしょんぼりするなって。じゃあお兄ちゃんがお金出すからさぁ、せめて船に乗ってゆっくり帰らねぇか? でっかい豪華な船で!」
「でっかい豪華な船……?」
「あぁ、そうだ。ジャグジー付きのプールとかカジノもあったりしてさ、オーシャンビューのオシャレなレストランで高級ディナーと極上スイーツってのはどうだ?」
「……まぁ、たまにはそういうのもいいかもですね」
豪華な船という言葉に心を動かされたワタクシは、アレクに勧められるままに一緒に船に乗って帰ることにしました。
幸い船室に空きがあったらしく、予約は簡単に取れたようです。
「ジェルちゃん喜べ! スィートルーム取れちゃったぞ!」
「え、本当ですか⁉」
まさかスイートルームとは。そんな豪華な船旅などめったにする機会がありませんので、少し楽しみになってきました。
しかし、しばらく港で船を待っていたのですが、一向にそれらしき船がくる気配がありません。
「おかしいなぁ。そろそろ到着してもいいはずなんだけどなぁ……」
アレクは沖の方を眺めながらつぶやきました。
つい先ほどまで空が晴れていて水面がキラキラと輝いていたはずなのに、いつの間にかどんよりと曇っていて今は少し薄暗く感じられます。
どうしようかと思ったその時、沖の方に船影が現れてゆっくりとこちらへ向かってくるのが見えました。
「アレク、あれですかね?」
「うん? あぁ、きっとそうだな」
ワタクシ達は、喜んで乗船口へと向かいました。
しかし小さく水しぶきをあげながらゆっくり入港してきた船はスイートルームを完備した近代的な豪華客船とは正反対の、まるで大航海時代のキャラック船のような見た目の帆船でした。
「ずいぶんレトロなデザインですね。こういうのが最近の流行りなんですか?」
アレクもそれは完全に予想外だったらしく首をひねっています。
「でも、他に船もねぇし、思ってたのとはちょっと違うけどこれじゃねぇかな?」
「懐古趣味のお客さん向けに、見た目をカスタムしてるんですかねぇ」
不審に思いつつも乗り込みますと、周囲は霧でぼやけていて視界が少し悪い上に甲板の上には誰もいないようです。
「え、ちょっと。これ本当に大丈夫なんですか?」
「変だな。おーい! 誰かいないのか~?」
アレクが呼びかけても返事はまったく返ってきませんでした。そしてワタクシ達が戸惑っている間に、船はあっという間に岸を離れてしまったではありませんか。
「え、ちょっと! 出航しちゃいましたよ⁉」
「なんだ、どうなってるんだ⁉ ……ん、なんだこの音?」
驚く我々の背後から、ガチャガチャと硬い物が重なるような音がしています。音のした方を振り返ると、そこには船乗りの格好をした骸骨が立っていたのです。
「うわ、びっくりしたー。おいおい、ハロウィンはもう終わってるぞ?」
「おや、こんなところにスケルトンがいるとは。誰が召喚したんでしょうかね……?」
びっくりしたと言いつつ全然驚いた様子の無いアレクと真顔のワタクシを見て、骸骨は警戒するように後ずさりしました。
「なんだこいつら。久しぶりに人間が乗ってきたから脅かして怖がらせてやろうと思ったのに……オイラが怖くないのか?」
「ジャパニーズゴーストなら怖いが、物理攻撃が効きそうな相手は怖くねぇなぁ」
「ワタクシもスケルトンなら召喚できますからねぇ……骸骨は見慣れてますよ」
期待はずれで申し訳ないですが、ワタクシ達は今までに不思議な出来事を散々経験していますから少々のことでは動じないのです。
骸骨は拍子抜けしたようでしたが、気を取り直したらしく握手を求めながら陽気に話しかけてきました。
「変な奴らだけど、まぁいいや。オイラはジョンだ。よろしくな!」
「おー、よろしくな、ジョン!」
「よろしく。骨と握手するのって変な感じですねぇ」
ジョンから聞き出してわかったのは、この船が幽霊船であることと、長い間あてもなく彷徨っているということでした。
どうりで古くて汚いはずです。よく見ると甲板はあちこち破損していますし海草や貝殻の破片などで汚れていて悪臭を放っています。まさに幽霊船らしい恐ろしげな光景です。
アレクの方を見ると、彼も同じことを思っているらしく甲板を見て顔をしかめていました。
「なぁなぁ。ジョン、デッキブラシはどこだ?」
「え? 倉庫にあるけど……何するつもりだよ?」
骸骨のくせに可愛らしく首をかしげるジョンに対し、アレクは汚れた甲板を指差しました。
「掃除しようぜ! こんな不衛生な船にいたら病気になって死んじまうぞ⁉」
「いや、オレもう死んでるけど……」
そんなことを話していると、ジョンによく似た骸骨姿の乗組員達がなんだなんだと言いながら集まってきました。
「どうしましょう、囲まれちゃいましたよ」
「大丈夫だ、お兄ちゃんに任せろ」
アレクは前に出て、集まってきた20体くらいの骸骨達に爽やかな笑顔で話しかけました。
「おー、皆。よく来たな! 俺はジョンの友達のアレクだ!」
予想外のリアクションに戸惑う骸骨達に対し、アレクは両手を大きく広げて演説し始めました。
「皆、聞いてくれ。この船は今から俺がピカピカのカッコいい船にする。いいか、カッコいい船に乗っている男はカッコよく見えるしモテるんだ!」
謎の理論が展開していますが、骸骨達は興味があるのかおとなしく聞いています。
「おい、そこのスカーフを首に巻いてるキミ! キミだってカッコよくなって女の子にモテたいだろ?」
アレクは近寄ってきた骸骨にアメリカの通販番組のようなノリで話しかけました。
「え、オレ……? あ、うん。確かにモテたい、かな……?」
アレクは戸惑いながら返事する骸骨に対し、大げさにうなずきました。
「うんうん、そうだろう! だったら今がチャンスだ! キミがやるのは倉庫からデッキブラシを持ってくること、たったそれだけだ。そうすれば今日からキミは最高のイケメンになれる! さぁ、行って来い!」
イケメンになれると言われた骸骨は素直にうんうんとうなずいています。
たぶんイケメンの意味はわかってないでしょうが、それでも指示通り倉庫に走って行きました。
その光景を見てざわつく周囲に、アレクはどんどん話しかけてテキパキと用事を頼んでいきます。
「あ、そこのナイスガイはバケツとモップを。うん、そうそう、骨太のナイスガイの……名前なんていうの? え、ハンス? いい名だ。ハンス頼んだぞ。えっとそっちの小柄でキュートなキミは雑巾をだなぁ……あ、そうだ! おーい、船大工の経験あるやついるか~?」
指示を出された骸骨達が、ガチャガチャ音を立てながら次々と掃除道具を抱えて戻ってきました。
アレクの演説はまったく意味がわかりませんでしたが、皆勢いに呑まれて彼の言うことを聞いています。
そして1時間かけて全員で掃除や補修をした結果、汚かった甲板は見違えるように美しくなったのでした。
「よーし! 皆、お疲れ様ー!」
「おーっ‼」
アレクの呼びかけに、集まった骸骨達が片手を上に突き上げて歓声を上げました。すっかり謎の連帯感が生まれています。
「アレクって本当、どこでもすぐに馴染んでしまうんですよねぇ……」
――ワタクシには絶対無理ですが、と彼に聞こえないように小さく呟きました。
ガチャ、ガチャ。カタカタカタ……
その時、急に背後から妙な音がしたので振り返ると、軍服を着て腰にサーベルをぶら下げ昔の海賊が被っているような帽子を身に着けた骸骨が、すっかり綺麗になって怖い雰囲気がまったく無くなった甲板を見て頭を抱えていました。
「……おい、オマエら! 帰って来ないと思ったら、何だこれは⁉」
「お、アンタが船長か?」
「そうだ。これは貴様の仕業か? よくも俺の幽霊船を――」
「おう、綺麗になったぞ! よかったな!」
「ぐっ……」
アレクの堂々とした悪びれない態度に、船長は言葉を詰まらせました。
「まったくとんでもない奴らだ……うん? 貴様、その荷物の中身は何だ?」
船長はワタクシの手にしていたトランクを指差しました。
「もし財宝ならおとなしくこちらへ寄こせ!」
「財宝ではなく栄養ドリンクですけど。どうせ商品にならなかったし、よかったら差し上げますよ」
「えいようどりんく? なんだそれは?」
アゴに手を当てて考え込む船長に、栄養ドリンクがどういう物かを説明しました。
「――というわけで、その飲み物はビタミンDをメインにたんぱく質とカルシウムたっぷりで強い骨を維持するのに必要な栄養が詰まっているのです」
「なるほど。よくわからんが骨に良い飲み物なんだな」
船長は興味津々でトランクを開けてドリンクを取り出しました。
「たくさんあるな。よし、オマエらも一緒に飲め!」
「いえぇえぇぇぇい!」
骸骨達は大喜びでドリンクを次々と手にしていきます。
そして全員にいきわたり、乾杯の合図で一斉に飲んだ瞬間。
皆がブフォッと口から勢いよくドリンクを噴き出してもがき苦しみ始めました。
「ぐぉぉぉぉぉ! なんて不味さだ……」
「こんな不味いものを飲むくらいなら死んだ方がマシだ」
「いあ! いあ! くとぅ○ふ ふたぐん!」
骸骨達は床に倒れて錯乱状態になり、皆でガチャガチャ音をさせながら転げまわっています。
「そんなに不味いんですかね……」
「あ、おい。ジェル! 止めといた方が――」
隣でアレクが制止するのを聞かずドリンクを手に取って口に含んだ瞬間、ドブ川を煮詰めたみたいな生臭さと、遺伝子レベルで拒否したくなるような苦味とエグみが口の中いっぱいに広がり、ワタクシは床に倒れこみました。
あまりの不味さに冒涜的な何かに出会ったような精神的なショックを引き起こし、全身の毛穴がざわざわして変な汗がでているような不快感が襲い掛かるので起き上がることもできず、為す術もなくのた打ち回るしか無かったのです。
「しっかりしろ、ジェル! ほら、水飲め!」
アレクに水を飲ませてもらい、正気を取り戻し立ち上がりましたが、まだ口の中にエグみが残っている感じがしてなんだか胃がムカムカしてくるような気分です。
しばらくすると、同じように倒れていた船長もよろよろしつつ起き上がってきました。
「くそ! 貴様らのせいで船も船員もめちゃくちゃだ!」
「はぁ……申し訳ございません」
「もういい、頼むからさっさと出て行ってくれ!」
「はい、すみません」
そう返事した瞬間、ワタクシとアレクは何故か港に立っていました。どうやら船に乗る前に居たアムステルダムの港のようです。
沖の方を見ると、幽霊船らしい船影が去っていくのが見えました。
「……どうやら追い出されたみたいですね」
「そうみたいだな」
その後、港周辺の船乗りの間で「もし幽霊船に乗ってしまってもクソ不味い飲み物を持っていれば助かる」という噂が広まったらしいですが、それが本当かどうかを知るのは我々だけなのでした。
次回の更新は12月14日(土)です。
ここまで読んでくださりありがとうございました!




