20.婚活はじめました(挿絵あり)
ひぐらしの声がカナカナカナ……と遠くで聞こえる、夕暮れ時。
アンティークの店「蜃気楼」では、カウンター近くの椅子に座り冷酒を飲みながらワタクシと暇つぶしをする氏神のシロの姿がありました。
「ねぇ、ジェル。冷酒のおかわりちょうだい」
「まったく……これ高いんですから、ちゃんと味わって飲んでくださいよ?」
ワタクシは、シロのグラスに日本酒を注ぎました。
彼は見た目こそ可愛い子どものような姿ですが、実は500歳近い年齢で神社で祭られるほどの神様です。
神というからには当然、人の世では語られることのない不思議な出来事にも詳しく、いつもなかなかに興味深い話が聞けるので、彼の来店はワタクシの楽しみのひとつなのでした。
「……で、今日はまた何か面白い話があると聞きましたが」
「うん、そうなんだよ。ねぇ、ジェル。この店ってたしか『火鼠の皮衣』あったよね?」
「火鼠の皮衣……えぇ、そういえばアレクが中国を旅行した際に買ってきたのがそうでしたね。陳列しようと思って、すっかり忘れてましたよ」
ワタクシは棚の上に置きっぱなしになっていた桐の箱をカウンターへ持ってきて、蓋を開けました。
「これが、あのかぐや姫の話にも登場する、火をつけても燃えないとされている『火鼠の皮衣』だそうですよ。なかなか見事なお品でしょう?」
箱の中では、毛の先端が黄金に光る紺色の美しい毛皮が輝きを放っています。
「あぁ、これこれ。綺麗だねぇ」
「もしこれが本物なら、火をつけても燃えないはずですが……」
かぐや姫のお話である『竹取物語』の作中では、皮衣が本物か証明するために燃やしてみるのですが、残念ながら皮衣はニセモノであった為あっさり灰になってしまうのです。
「試してみるかい?」
シロは片手をかざしてニヤリと笑いました。
「よしてください、もし燃えたら勿体無いじゃないですか!」
「あはははは、冗談だよ!」
ワタクシが慌てて箱の蓋を閉じると、シロは楽しそうに笑いました。
そもそも、そんなことをしなくても神様であるシロならこれが本物かどうかなんて一目瞭然なはずなのです。
でも、それをたずねると「こういう事は、わからないままの方が面白いよ」といつもはぐらかされてしまうのでした。
「……で、この火鼠の皮衣がいったいどうしたって言うんですか?」
「いやさぁ。実は、かぐや姫が婚活始めたんだけど。ジェルもこの皮衣使って応募してみない?」
……かぐや姫がコンカツ?
あまりにも俗っぽい単語だったので、脳がそれを理解するまでに数秒かかりました。
「婚活って……かぐや姫が結婚相手を探してるということですか⁉ そもそもかぐや姫って実在してるんですか⁉」
「うん、今は月で暮らしてるよ。やっぱり歳をとると独り身が淋しくなったりするもんなのかなぁ、結婚したいんだってさ」
「えぇ……さすがに今更すぎやしませんかね」
――ワタクシが今更だと思った理由、おわかりいただけますでしょうか。
竹取物語を読んだことがある方ならご理解いただけると思うのですが、本編でかぐや姫はたくさんの男性からの求婚を“すべて断っている”のです。
しかもあれは平安時代のお話ですよ。それが1000年以上も経って今更、婚活とは。
考え込むワタクシに対し、シロはご近所の噂話でもするかのように話を進めます。
「そういやさぁ、竹取物語の中でかぐや姫が結婚の条件にすごく難しいことを皆に言ったの覚えてる?」
「あぁ、求婚者に対して珍しい宝を要求しましたね。仏の御石の鉢に蓬莱の玉の枝、そしてここにある火鼠の皮衣、龍の首の珠……それに燕の子安貝でしたっけ」
「そうそう、それそれ。でもそんなすごい宝物なんてそうそう用意できないよね。実際求婚した人達、全員脱落したでしょ?」
「そうですねぇ」
「それで、このままだとずっと結婚できなさそうだから、今回はもっとハードル下げようってことになったらしいんだよね」
シロは小さなグラスに入った冷酒をグビッとあおり、ふぅーと小さく息を吐きました。
「ハードルを下げるって、どういうことですか?」
ワタクシはおかわりを要求してきた彼に酒を注ぎながらたずねます。
「えっとねぇ……たとえば仏の御石の鉢って限定されたら見つけるの大変でしょ? だから仏が使った物ならなんでもOKにしたんだって。仏の湯のみとか仏の割り箸とか」
「それはハードルが下がった……と言えるんですかねぇ」
はたして仏が割り箸を使うのかはさておき。ということは他の品もハードルが下がったんでしょうか。
「もう下がりまくりだよ~。蓬莱の玉の枝は551の蓬莱ってメーカーの豚まんで良いってさ」
「それ宝物じゃなくて、ただの関西土産じゃないですか!」
「だよねぇ。蓬莱の玉の枝よりは楽だけど、本当にそんなのでいいのかって思うんだけど。でもほら、かぐや姫って月の住民だから地球の豚まんが珍しいんじゃない?」
「そういうもんなんでしょうかねぇ……」
「ちなみに、火鼠の皮衣は綺麗な毛皮ならなんでもいいってさ」
綺麗な毛皮ならなんでもいい、というのもずいぶん適当ですが、豚まんに比べるとかなりマシな部類な気がします。
「それなら当店にある火鼠の皮衣なら、きっと満足していただけるでしょうね」
シロはそうだろうねぇと頷いて、グラスを傾けました。
「後の2つもすごく簡単でね。龍の首の珠も、龍に関する品なら何でもいいんだって」
「えぇ……? それは意外と難しいのでは。当店にも龍の鱗がありますが、そう簡単に手に入るお品ではありませんよ?」
ワタクシが顔をしかめながらそう答えると、シロは急に真顔になりました。
「――それがさ、ドラゴンボールの単行本全巻セットでOKらしいよ」
「そんなんでいいんですか⁉ さすがにそれはハードル下げすぎでしょう⁉ しかもあれ後半は龍あんまり関係無い気がしますし」
「――あ、でも燕の子安貝は大変かも?」
「え、そこら辺の貝殻でいいとか、そういうんじゃなくて?」
「僕よく知らないんだけど、子安さんって名前の声優がいてその人を連れてくることが条件なんだって」
「それ、かぐや姫が個人的に会いたいだけですよね⁉」
「かもね~、たぶん仏の私物と同じくらい難しい条件じゃないかな」
「仏と同レベル……」
思わずワタクシが呟くと、シロはグラスをカウンターに置いて桐の箱を指差しました。
「――ねぇねぇ、どうする? ジェルならその皮衣があれば求婚できるけど」
「ワタクシは身を固める気なんてありませんよ? ――とはいえ、絶世の美女であるかぐや姫がどんな方なのかこの目で見てみたいですね……」
「じゃ、応募してみようよ。ジェルの写真と皮衣があればOKだし。――ほら、ジェル。ポーズ撮って。あ、これエントリーシート。志望動機は……まぁ適当でいいんじゃない?」
そう言って、シロはやたら軽いノリでワタクシの顔をスマホで撮影して書類を書かせると、火鼠の皮衣が入った箱を抱えて帰っていきました。
「まさかそんな簡単に求婚ができるとは。あまりにもハードルが下がりすぎて、これじゃ過去に求婚した人たちが浮かばれないような……でもちょっと楽しみですね」
それからそわそわしながら待つこと一週間。再びシロが桐の箱を抱えて店にやってきたのです。
「ジェル、お待たせ。かぐや姫から返事きたんだけど……」
「えぇ、どうでしたか?」
箱を抱えてやってきたということは、もしかして皮衣が気に入らなかったとか……?
ワタクシの問いにシロは何か言いたげな顔をしましたが、黙って箱と一緒に1枚のコピー用紙みたいな白い紙をカウンターに置きました。
その紙には、たった一言だけ。
『もっとイケメンがいいです』とありました。
「……ぜ、全然ハードル下がってないじゃないですかぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
店の中にワタクシの怒りの声が響き渡りました。
皮衣は返却されましたが、視界に入ると腹が立つので店には陳列せずに桐の箱に入れたまま倉庫に放り込みました。
「まぁほら、イケメンの基準は時代によって違うから……」
シロの慰めも虚しく、ワタクシはしばらくふてくされていたのでした。




