2.本当に価値のある皿とは?
幻のように現れたり消えたりする店、蜃気楼。
店主はワタクシ、稀代の天才錬金術師であるジェルマン。
取り扱うのは古今東西のいわくのある不思議なお品でございます。
店に並べる商品は、兄のアレクサンドルが世界中を旅しながら買い付けています。
買い付け、といっても彼が現地で気にいった物を自分の感覚だけで買ってきますから当たりはずれは大きく、神話や歴史に登場するような名品であるかと思えば、ただの偽物、さらにはトラブルを引き起こすような問題のあるお品なこともあります。
さてさて。今回、兄が持ち込んで来た品は当たりかはずれか――
「おい、ジェル。シールの台紙はどこだ?」
「あ、はい。これです」
「よし、これで2枚目の皿ゲットだな!」
今、ワタクシ達はとある企業のキャンペーンに参加しています。パンに付いてきたシールを集めて景品のお皿をもらう、という趣向のキャンペーンです。
朝食にパンを食べて、ちょうどお皿がもらえる量のシールが集まったので、その日のアレクはとてもご機嫌でした。
「ふふ、よかったですね。なにせ『春のパン祭りは日本三大祭のひとつ』ですからねぇ。日本で暮らすなら参加しておくべき祭なのですよ」
「おぉ、そうなのか……そんなすごい祭だったとはお兄ちゃん知らなかった!」
――まぁ、さすがにそれは冗談なんですけど。
台紙のシールの数を確認する彼のうれしそうな顔を見て、ワタクシは目を細めました。
朝食後は、カウンターの椅子に2人で腰掛けながら、アレクが仕入れてきた品の鑑定を始めます。
宝石や食器に江戸時代の古い本。今回はなかなか良い物を仕入れてきてくれたみたいです。
「なぁジェル、見てくれよこれ! 綺麗な色だよなぁ~!」
そう言ってアレクが差し出したのは青緑色をした何の模様も無いシンプルな皿でした。これはおそらく青磁釉という釉薬を使った陶磁器でしょう。
「ほう、青磁の皿ですね。これは美しい」
「だろ~? それな、東京のとあるお屋敷の蔵で見つかったらしいんだけど、江戸時代の物なんだって」
ワタクシが手にとって鑑定してみますと、透明感のある青緑でなかなか値打ちのありそうな物に見えます。
「江戸時代ですか。それにしては状態もいいし大事に保管されてたようですね」
「うんうん。しかもそれだけじゃなくて、同じのがあと8枚あるんだぜ、ほら」
アレクは木箱の中から残りの皿を出して見せました。
つまり全部で9枚……おや、セットの数として9枚はおかしいような。
「ねぇ、アレク。これ本来は10枚で1セットじゃないですか?」
「そうなんだよなぁ。それ、10枚セットだったのに召使が1枚割っちゃって9枚になっちゃたんだって。だからすげぇ安く買えたんだけどな」
その話を聞いてワタクシは思わず顔をしかめました。
江戸時代、召使が割ったせいで9枚になってしまった皿。そのキーワードに思い当たる有名な怪談があったからです。
「ねぇ、アレク。番町皿屋敷って知ってますか? その足りない皿の話には続きがあるのですよ」
「続き?」
「えぇ。皿を割った召使はどうなったと思います?」
彼は何も知らないらしく顎に手をあて、うーんと唸りました。
「どうなったって……やっぱ怒られたんじゃね?」
「そうですね、怒られました。えぇ。その方はお菊さんと言う名前なんですけどね。こっぴどく怒られて殺されそうになり……最終的に井戸に身を投げて亡くなったのです」
身を投げた光景を想像したのか、彼は眉をキュッと下げ、青い瞳を曇らせます。
「……マジかよ」
ワタクシは真剣な顔で頷き、なるべく低い怖い声で言いました。
「その後、井戸には夜な夜な、一枚……二枚……三枚……四枚……五枚……六枚……七枚……八枚……九枚と皿を数えるお菊さんの幽霊が――」
そう言いながらアレクの方を見ると、なにやら彼の後ろに着物を着た女性の姿らしきものがうっすらと浮かんでいるのが見えるではありませんか……!
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼ ジェルのばかぁ! 急になんて声だすの! お兄ちゃんジャパニーズホラー苦手っていつも言ってるでしょ! 幽霊ダメぜったい! あいつら聖水も十字架も効かないからダメなの!」
「……い、いや……あ、れく……うしろ……!」
ワタクシの視線の先を振り返った彼は女性の姿を見て、そのまま卒倒しました。
「アレク! ちょっと、アレク!」
倒れたアレクを腕に抱きとめながら女性の方を見ると、おぼろげだった姿がだんだんはっきりとしてきて、どうも思っていたのと少し違うような姿になりました。
召使のお菊さんにしては着物がやけに豪華で、そう、まるで花魁のような姿をしています。
彼女は、見た目通りの古めかしい言葉でゆっくりと話し始めました。
「あぁ堪忍しなんせ。わっちは幽霊では……どうしんしょう――」
「はぁ、幽霊でないとしたら貴女は?」
彼女は少し躊躇ったのちに、自分は古い本から生まれた架空の存在だと言いました。どうやらお菊さんの幽霊では無かったようです。
古い物に命が宿るということはまったく無い話ではないのですが、とても珍しいことです。
いったいどんな偶然があってそのようなことになったのか、残念ながら彼女にもそれはわからないようでした。
「巷で番町皿屋敷が流行ったので、後追いで似たような話の本がたくさん作られたんでありんす。わっちもそのひとつで、ずっと眠っていたはずなのになぜか気がついたらここにおりだんす……」
「なるほど、要は本の精霊といったところでしょうか。おそらくこの青磁の皿に引き寄せられたのでしょうね」
ワタクシの反応が意外だったのか、彼女は袖をそっと口元にあて、驚いたような顔をしました。
「あれ。わっちの話、信じなんしたか? 見た目は女みたいなのに、おてき、意外と胆が座ってしゃんす」
「ふふ、ありがとうございます。ワタクシどもは不思議な物に何かと縁がありますし、ここは普通ではありえないことも多々起きる店なんですよ。しかしその姿は……花魁ですか?」
「えぇ、召使ではお菊さんと同じ話になりんす。作者さんがもっと豪華な話に変えたんでありんす」
「あぁ、キャラの設定だけ変えてリメイクしたパターンですね」
「わっちは皿を割った後、鬼が島へ鬼退治に行きなんす。その後は月へ帰りなんす」
「設定盛りすぎて破綻してますね。リメイク物にありがちな」
「――何とでもお言いなんし」
彼女も自分の有り様に疑問はあるようで、不快をあらわにした顔で小さくため息をついた後、目の前の9枚の皿を見つめました。
「主さん、どうかこの皿を譲っておくんなんし。これがあればわっちも安心して安らぎの地へ行きなんす」
「なるほど。この皿があれば貴女は再び眠りにつけるんですね。――とりあえず兄を起こすので、ちょっと待ってくださいね」
気を失って倒れているアレクの頬をぺちぺちと叩いて起こし、彼女が幽霊で無い事を説明すると彼は心底ホッとした顔をしました。
「そっかぁ、幽霊じゃないんだ。よかった」
「えぇ、彼女はずっと眠っていたのにどうやらこの皿に引き寄せられたせいで、目を覚ましてしまったらしいんです」
彼女はワタクシ達の顔を見ながら上品にゆっくりうなずきます。
「再び眠りにつくためにこのお皿が欲しいとのことでして。だったら彼女にプレゼントしても構いませんよね?」
「あぁ、持って行っていいぞ」
「まちなんし。皿が足りないのをどうにかして欲しいでありんす。そのままでは安らかに眠れなんす」
彼女は皿を手に取り、おどろおどろしい声でゆっくりと数え始めました。
「一枚、二枚、三枚……四枚、五枚、六枚。七枚、八枚、九枚……あと一枚足りない……きゃあぁぁぁぁぁ!」
「そこはテンプレなことするんですね」
――しかし困りました。皿は全部で9枚しか無いのです。それを10枚にするにはどうすればいいんでしょうか。
アレクも同じこと思ったらしく少し考え込んでいましたが、急に「おー!」と声をあげ、笑顔で彼女に話しかけました。
「なぁ、我が家で一番価値のある皿をあげるからさ、それを足して10枚ってことにしようぜ!」
「ほんだんすかえ?」
「あぁ、ちょっと待ってろ」
彼はカウンター近くの扉を開け、店の奥へと消えます。
我が家で一番価値のある皿とはなんでしょう?
もしかしてロイヤルコペンハーゲンのイヤープレート初年度版⁉ それとも初期伊万里⁉ マイセン⁉ セーブル⁉
頭の中で超高価でプレミアな皿たちが次々と浮かんでは消えていきます。
「ちょっと待ってください、アレク! え……?」
戻ってきたアレクが得意げに手にしていたのは白いお皿。彼が日頃愛用している、パンのキャンペーンで手に入れたあのお皿です。
「これさ、日本三大祭のひとつの春のお祭りで手に入る特別な皿なんだ。いっぱいパンを食べてシールを集めた人だけがもらえるんだよ。俺な、これ手に入れるのに毎日すげぇ頑張ってパン食ったんだぞ」
「おぉ、わっちにそのような貴重な物をお寄越しか。有難くいただきなんすえ!」
彼女はいたく感動した様子で白い皿を受け取ると、青磁の皿の上に重ねました。――え、それでいいんですか?
確かにそれはお祭りの時だけ手に入る特別な皿であることには間違いないのですが……。
今朝“春のパン祭りは日本三大祭のひとつ”だと冗談で言ったのを、まさか本気にされていたとは思いませんでした。
「あぁ……これでわっちは、やっと安らぎの地へ行きなんす。幸せでありんす。ありがとうござりんした」
「おー、よかったな! それ落としても割れねぇし、すっげぇいいぞ。ぜひパン食うのに使ってくれ!」
そんな事とはつゆ知らず、安らかな微笑みで10枚の皿を持って消える彼女に、無邪気な笑顔で手を振るアレク。
それで本当によかったのかと思いつつ、ワタクシは自分のプレミア食器が無事なことに安心したのでした。