17.アレクと謎の箱
ワタクシと兄が経営しているアンティークの店『蜃気楼』の店内――ではなく、その奥に繋がる家のリビングでは「アチョー! アチョー!」という奇妙な声が聞こえておりました。
「はぁ……またすぐ影響されて。アレクにカンフー映画なんて観せるんじゃありませんでしたね」
リビングには、半裸でアチョー! と叫びながらヌンチャクを振り回す兄のアレクサンドルの姿がありました。
「アチョー! どうだジェル! お兄ちゃんカッコいいだろ⁉」
「はいはい、でもリビングではやめてくださいね。もし、ガレの花瓶を割ったらヌンチャク没収ですからね!」
それを聞いて彼は、飾り棚のアンティークの花瓶にちらりと目をやりました。
「わかった。じゃ、店の前でやってくる!」
「営業妨害はやめてください‼」
そんなことより、出かけないで遊んでいるなら店のことを手伝って欲しいんですけどねぇ。
ホント何でもすぐ影響されるんだから。
「何にでもすぐ影響される……」
――あぁ、ワタクシ良い事を思いつきました!
そして翌日。
リビングでは頭にハチマキをして鏡の前で構えてポーズをとるアレクの姿がありました。
「おー、ジェル! カンフーも良いけどカラテもカッコいいな!」
あの後、試しにまた別の映画を観せてみたのですが、どうやら無事に彼は気に入ったようです。
――さて、ここからが重要なのですよ。
「アレク。店の床と窓の掃除をお願いしたいのですが……」
「えー、やだよ~。お兄ちゃんさぁ、一撃必殺のカラテキックを研究するのに忙しいもん!」
えぇ、そう言うと思いました。アレクはごっこ遊びが好きですからね。だからこそ、彼はこの後ワタクシの言うことを聞かざるを得ないのです。
「アレク、あなたは昨夜の映画で学ばなかったのですか?」
「ん? 何をだ?」
「床を磨く動き、窓を拭く動き。これはすべてカラテの修行ですよ?」
「カラテの修行……おお! ワックスかける! ワックスとるだな‼」
ワタクシの言いたいことを察した彼は、目を輝かせて散歩に行く前の犬のような活き活きした顔をしています。
それもそのはず。昨日観た映画の内容は、主人公がカラテの師匠から掃除やペンキ塗りなどの雑用を命じられ、一見それはカラテに何も関係が無いように見えるのですが、実はそれはすべてカラテの修行だった――というお話なのです。
「そうですよ、アレク。すべてはカラテマスターになるための修行なのです!」
「よし! 俺に全部任せておけ!」
アレクは上機嫌で掃除道具を持って店に行きました。作戦は大成功です。
あまりにも上手くいきすぎて、彼の脳みそが心配になるレベルですが、たぶんカラテブームは1週間も持ちませんので問題は無いでしょう。
わずかな期間ではありますが、ワタクシはその間、せいぜい楽をさせていただくとしましょう。
こうして首尾よく休みを手に入れたワタクシがリビングで紅茶を飲んでいると、店の方から賑やかな声が聞こえてきました。
「あら~ん、アレクちゃん。お掃除してるのね~」
「違うぞジンちゃん! カラテの修行だ!」
「あら~、そうなの。偉いわねぇ~♪」
あぁ、この低い声にそぐわないオネェな話し方は、ランプの魔人のジンですね。
また何か商談でもあるのかなと思い、ワタクシは店へ続く扉を開けました。
「ジン、いらっしゃい」
「あ、ジェル子ちゃん。ちょうど良かったわ~! 貴方に鑑定をお願いしたいヤバい物があってねぇ……」
「やれやれ。うちはヤバい物を持ち込む為の店じゃないですよ?」
「そう冷たいこと言わないでよぉ、アタシとアナタの仲じゃな~い!」
ワタクシの牽制など物ともせず、ジンは指先をパチンと鳴らして魔法で木製の箱を出現させ、カウンターの机に置きました。
「なんですかこれは……?」
箱はA4くらいの大きさで、厚みは5センチ程度。持ってみると中に何か入っているであろうしっかりした重さを感じます。
「これねぇ、魔法なのか呪いなのかわからないけど、どういうわけか箱が開かないのよ~」
たしかに一見、木製の普通の箱です。しかしいざ箱を開けようとすると蓋が吸い付いたように外れません。
外からは留め具があるように見えず、何か引っかかっているようにも見えないのに開かないのです。
「接着剤でも使って開かないようにしたんでしょうかね?」
「やぁだ、そんな単純な話ならアタシでも開けてるわよ~。どうもアタシの魔法でも干渉できない物らしくってねぇ」
ジンはアラビアンナイトに登場する有名な魔人です。そんな彼の魔法が効かないということは確かにやっかいな物なのかもしれません。
興味をそそられたワタクシは、カウンターの引き出しから愛用の魔法のルーペを取り出しました。
「どれどれ……なるほど。これは持ち主本人にしか開けられない呪いがかかっていますね」
「まぁ、やっぱりそういうことなのねぇ~」
ジンはうなずいて、箱について話し始めました。
それはアジアのとある高名な僧侶の遺品で、生前に「何があっても絶対に開けるな、自分の墓に埋めるかもしくは燃やして灰にしてくれ」と言っていた、いわく付きの品なんだそうです。
「そのおじいちゃんねぇ~、スゴイのよぉ。180歳も生きたの。人間の寿命的にありえないわよねぇ」
「長寿のギネス記録の最高齢は122歳ですから、もし180歳が本当ならすごいですね」
「えぇ。だからね、この箱に長寿の秘密が隠されていたんじゃないかって噂になってね」
「それは有り得るかもしれませんね。厳重すぎるくらいに封印してますし、何があっても絶対に開けるなとまで言ってるわけですから」
「でしょぉ~! ジェル子ちゃん、箱の中身が気になると思わな~い?」
あきらかに乗り気のワタクシの表情に、ジンはやはりここに持ってきて正解だったとでも言いたげな笑顔を浮かべています。
あぁ、こんなことだからヤバイ物を持ち込む為の店だと思われるんですよねぇ……でも好奇心には勝てないじゃないですか。
「しょうがないですね」
「うふふ、頼んだわよぉ~♪」
それからワタクシは店をアレクに任せ、丸一日かけて呪いの解析作業をすることとなりました。
箱をルーペで覗き、浮かび上がった呪いの文字列をチェックしては、手元の羊皮紙に特別に調合したインクと水晶のペンでひたすら文字を書き写していきます。
「これはかなり厳重ですねぇ。やはり噂どおり、中身は長寿の秘密なのでしょうか……」
幸い、呪いは他人に害を与えるような内容ではなく、あくまで「自分以外の人が箱を開くことができない」ということに特化しているので、何かトラップが発動してワタクシに呪いがかかるということが無いので助かりました。
――そして翌日。再び店にやってきたジンにワタクシは告げました。
「めんどくさい」
「えぇぇぇぇぇぇぇ‼ どういうことよ~⁉」
「時間をかければ開く様にできますが、かなりストレスが伴います」
この呪いはプログラムで例えるなら、ド素人が無茶苦茶に書いたコードのような物でした。よくまぁこれで効力を発揮したなと感心するぐらい無駄な言葉が配置されていて、真面目に解析するのがバカらしくなるようなものです。
複雑でデタラメで、ぐちゃぐちゃの複数の色が混ざった糸の塊をほぐすような面倒さがあり、できればやりたくないシロモノなのは言うまでもありません。
「たしかにそれは面倒ねぇ……」
ワタクシの説明に、ジンはあごヒゲを撫でながら考え込みます。
その時、外で窓拭きをしていたアレクが店に入ってきました。
「おーい、今日の掃除終わったぞー! 次はペンキでも塗るか?」
「お疲れ様です。休憩してていいですよ」
「……おい、ジェルもジンちゃんも真剣な顔して、どうかしたのか?」
「えぇ。この箱がどうやっても開かないんで困ってたんですよ」
アレクはカウンターの机に置かれた木箱に目をやりました。
「どうやっても開かないのか?」
「えぇ」
「そうなのよ~。困ったわねぇ……」
「中の物は生き物か?」
「違いますね。鑑定した時に生命反応はありませんでしたから。でも中身が何かはわからないんです」
「ふーん。とにかく開けばいいってことか?」
「まぁそうなりますね」
ワタクシ達が簡単に経緯を説明するとアレクは少し考えるような仕草をして、何か思いついたのか急に目を輝かせニヤリと笑いました。
「よし、お前ら、危ないからちょっと離れてろ」
彼はワタクシ達を箱から遠ざけるとカウンターの前に立ち、足を広げ右手を大きく振りかぶりました。
「アレク、なにするんですか――まさか、ちょっとアレク!」
「カラテマスターの極意、とくと見よ! 必殺カラテチョップ!!!!」
そう言いながら、箱に勢いよく手刀を叩き付けた結果。
バキッと大きな音がして箱が真っ二つになり、勢いで中に入っていたたくさんの紙が宙を舞いました。
――まさかそんな力任せで箱が開くなんて。ワタクシもジンも開いた口がふさがりませんでした。
「ワタクシ達は難しく考えすぎていた、ということですかね……」
「かもねぇ……」
「どうだ! これがカラテマスター、アレクサンドルの真の力だ‼」
得意げに構えて格好をつけているアレクの足元に、宙に舞っていた紙がばさりと落ちました。
彼はそれを拾うと、目を大きく見開いて叫んだのです。
「うわわわわっ! ジェル! これ、エッチなやつだからオマエは見ちゃダメだ‼」
「何バカなこと言ってんですか。どれどれ――」
何が描かれているのかとワタクシも落ちた紙を拾って見てみますと、そこには裸の男女のあられもない姿の絵がありました。いわゆる春画と呼ばれる浮世絵です。
「こら、ジェルは見ちゃだめだってば!」
「んまぁ~、箱の中身がこんな物だって知ってたら、ちゃんとおじいちゃんのお墓に入れてあげたのに!」
箱の中身は長寿の秘密でもなんでもなく、ただのエロコレクションだったということですか。
180年生きた高名な僧侶でも、色欲から逃れることはできなかったのだと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
「これ……どうしましょうか?」
「こういうのはな、見なかったことにして燃やしてやるのが武士の情けってもんだ!」
ワタクシが床や机に落ちた春画を拾い集めると、アレクがしたり顔で答えます。
「ワタクシにはよくわかりませんが、そういうもんなんですかね?」
「そうねぇ、アレクちゃんの言う通りかも。おじいちゃんも墓に埋めるか、もしくは燃やしてくれって言ってたし」
こういった物は歴史的価値もあり、コレクターに高く売れそうなだけに燃やしてしまうのはもったいないと思いましたが、彼らの意見に従って店先で燃やすことにしました。
「ジェル子ちゃん、アレクちゃん。ありがとうね、きっとおじいちゃんも安心すると思うわ」
「だと良いのですが。好奇心で無粋な真似をしてしまったことをどうか墓前でお詫びしておいてください」
「箱割っちゃってごめんなーって言っておいてくれ!」
「うふふ、そうねぇ。伝えておくわ♪」
ワタクシが火を付けると、たくさんの春画はまたたく間に炎に包まれ白い煙が舞い上がります。
煙の向こうに安堵する僧侶の姿が一瞬見えたように思いましたが、それも煙とともに消えてしまい、後には灰が残るばかりなのでした。




