16.ご利用は計画的に(挿絵あり)
――男にはたとえどんな危険があったとしても行かねばならぬ時がある。
その時、俺はアンティークの店「蜃気楼」で、次の旅行先について弟のジェルマンと話し合いをしていた。
「なぁ、ジェル。限定品なんだよ。そこでしか買えない特別仕様のパン男ロボなんだよ……!」
「でもその地域はマフィアの抗争が盛んですし、つい最近だって爆弾テロがあったばかりですし……ワタクシは反対です!」
「そんなこと言うなよ、ロボ買ったらお兄ちゃんすぐ帰ってくるからさぁ……」
俺の好きなアニメ「パン男はつらいよ」がS国でブレイクしたのを記念して、S国限定で特別仕様のパン男ロボットが販売されることになった。
日本では販売される予定が無いから絶対買いに行きたいんだが、ジェルは「そんな危険なところに行かせられない」と、さっきからずっと渋い顔をして反対している。
「……通販じゃダメなんですか?」
「通販してねぇんだよ」
「じゃ、少々高くてもオークションで買うんじゃいけませんか?」
「こういうのは自分の足で買いに行くからいいんだよ!」
「はぁ……アレクは言い出したら聞かないし、しょうがないですねぇ」
俺のゆるぎないパン男ロボへの思いをジェルは理解したのか、軽くため息をつくと店のカウンターの引き出しをごそごそと探って俺に3枚の御札を手渡した。
渡された御札を見てみると、薄くて柔らかい紙の上に複雑な文字列が並んでいる。そのいくつかはルーン文字で書かれているようだった。
「なんだこれ?」
「旅先で困ったことがあればその御札にお願いしなさい。助けてくれますから」
「へぇ、便利だなぁー!」
「いいですか、その御札は3枚しかありません。つまり助けてくれるのは3回だけです。よく考えて使うんですよ?」
「おう、ありがとな!」
「――もしその3枚を使い切ったら即、帰国してもらいますからね?」
「わかった、わかった。わかったからそんな怖い顔しないでくれ」
真剣な顔で念を押すジェルの頭をポンポンと軽く撫でて、俺は御札をいつも着ているベストの内ポケットに入れた。
――そん時はさ、御札が必要になるなんて思ってもみなかったんだ。
こうして俺は、不安そうな表情のジェルに見送られてS国へ旅立った。
最初に向かった市内のデパートでは、もうパン男ロボは完売になっていた。
売り場では俺と同じように他所の国からはるばる来たけど買えなかったという人たちがたむろしていて、完売の文字やロボットのパネルの写真を撮っている。
やはりマフィアがいようがテロがあろうが、オタクの購買欲はそう簡単には消えないのだ。
「ここで売ってないとしたら、後は個人商店を当たるしかねぇかなぁ……」
それから、ネットの情報を頼りにまだ在庫があるという店を探し出した俺は、喜んでその店のある通りへやってきた。
「なんだ、やけに薄暗くて汚い通りだな……ホントにここかよ?」
その道は昼間だというのに、木々が日の光を遮ってる上に見通しが悪く、どこかアングラな雰囲気のある道だった。しかも道を聞こうにもどこにも人の姿が見当たらない。
「まいったな。これじゃ店がどこかわかんねぇぞ……」
困った俺は、ポケットの中の御札のことを思い出した。
――うん、1枚使ってもまだ2枚残るしな。後はパン男ロボ買って帰るだけだし大丈夫。
「おい、御札。道が暗くて店がわかんねぇから明るくしてくれよ」
そう御札を手にして語りかけた瞬間。それは光って俺の手から消えた。
「うぉっ、びっくりしたぁ……」
俺が思わず声を発したと同時に、真っ暗だったはずの目の前が急にキラキラと光り輝いて明るくなった。
激しい眩しさに目を細めながらも何が起きたのか確認すると、道を覆うかのように生えていた木々にLEDライトのイルミネーションがびっしりと飾りつけられている。いったいどこから電力が供給されてるんだ。
「すげぇ……いや、そこまでする必要なかったんだけどな」
建物の中や通りの向こうからこの異様な光景に気づいた人達がやってきて、驚きの表情で電飾で光る木々に見入って、皆何が起きたのか話し合っている。
俺も何事か尋ねられたが、まったくわけがわからないという顔をしてやり過ごした。
そうこうする内に集まってきた人達はこの光景を楽しみ始めて、若いカップルがイルミネーションの下に並んで仲良く写真を撮影し始めた。
――おいおい。さっきまでヤクでも売ってそうな場所だったのに、急にデートスポットになっちまった……イルミネーションやべぇなぁ。
でもそのおかげで道を聞くことができたので良しとしよう。どうやら俺は道を間違えていたらしい。
「この通りは夜になると、ごろつきがうろうろして治安が悪かったんだがな。何が起きたのかわからんが、こんだけ明るくなったら安心だなぁ、ハハハ」
俺に道を教えてくれた地元のオッサンは、そう言ってうれしそうに笑っていた。
その後、正しい道を辿ってやっと店にたどり着き、俺は無事パン男ロボを手に入れた。
なんでもこれが最後の1個らしい。へへ、ついてるなぁ。俺はロボの入った紙袋を受け取り、店を出た。
安心したら急にのどが渇いてきた。でもこの辺りに飲食店は見当たらず、当然自販機なんてものも無い。あぁいうもんが大量にどこにでもあるのは日本くらいなんだよな。
「よし、御札にお願いしてみるか」
――さっきの感じだと、今度はもしかしたらドリンクバーが出ちゃったりするかもな。
俺はポケットから御札を取り出し、キンキンに冷えたコーラを思い描きながら願い事を言った。
「おーい、御札! のど乾いたから飲み放題のやつ頼むわ!」
俺の声に反応して御札が光り輝いて消えた瞬間、地響きがして目の前に小さな岩山が出現した。
そして岩の隙間からチョロチョロと湧き水がでてきたかと思うと、それはすぐにドバドバと水が流れる立派な泉になった。
「いや、たしかに飲み放題だけどさぁ……」
俺は少しがっかりしたが、仕方ないので湧き水をたっぷり飲んだ。やや硬水だがよく冷えてるし味も悪くない。
水を飲んでいると、さっきみたいにまた周囲にわらわらと人が集まってきた。
皆、俺の真似をして水を飲みながら不思議そうに語り合っている。
「あれ、こんなところに湧き水なんてあったか?」
「無かった気がするが……でも、助かるなぁ」
その後も皆、思い思いに水を飲んだり写真を撮ったりしていたが、そのうち周囲から「これは奇跡だ! 奇跡の泉だ!」と叫ぶ声が出始めたので、面倒なことになる前に立ち去ることにした。
「この街、今日だけで観光スポット2つできちゃったな……まぁ喜ばれたしいいか」
――さて、この後はどうするかな。すぐ帰ろうかと思ったけどよく考えたらまだ来たばっかりだし、あちこち観光して帰ってもいいよな。そうだ、ジェルへの土産は何にするかなぁ。
そう思いながら当ても無く路地を歩いていると、急に爆発音がして右手にぶら下げていた紙袋がはじけ飛んだ。
「な、なんだ……⁉」
あの袋には買ったばかりのパン男ロボが入っている。俺は慌てて道の端に落っこちた紙袋を追いかけて拾った。
袋はペンか何かで刺したかのようなサイズの穴が貫通していて、穴のふちから焦げた臭いがしている。当然、中のロボは衝撃でぶっ壊れていた。
「これ……撃たれたのか⁉」
すると目の前で悲鳴が上がったかと思うと銃声が聞こえて、周囲の人たちが口々に何か叫んで逃げ出しているのが見えた。
「マフィアだ!」
「マフィアの抗争だ‼」
「逃げろ‼」
その声を聞いた俺は紙袋を抱えて、急いで音がしたのと反対の方へ逃げた。
その間も銃声は絶え間なく聞こえている。
「ちくしょう、どこに逃げればいいんだ……?」
目の前に誰も居ない公園があったので、とりあえずそこに逃げ込んでベンチで一息ついた。
「……ふー、危なかった」
安心したとたん、壊されたロボのことが悔やまれた。
貴重な最後の1個だったのに。まだ売ってる店があるなら探しに行くべきだろうか。
そんな考えがよぎった矢先、俺の隣でピッピッピッ……と何やら規則正しい電子音がしていることに気づいた。
音のした方に目を向けると、細い筒がテープで束ねられていてその側面にはタイマーがセットされていて、筒からコードが延びていて――これは。
「時限爆弾じゃねぇかぁぁぁぁぁぁぁ‼」
数字は、あと1分で爆発すること示していた。
俺はバネ仕掛けの玩具みたいに勢いよく立ち上がって、全力で公園の外に走った。
公園から出た直後、背後で大きな爆発音がして俺はとっさに地面に伏せた。
十分に距離があったのと爆発の規模がそこまでではなかったのが幸いして、俺自身には怪我は無かった。だが周囲には焦げ臭い匂いが漂っている。
「ふぇぇぇぇ~なんなんだよぉ~。……あっ、パン男ロボ!」
慌てすぎてロボの入った袋をベンチに置いてきちまった。間違いなく木っ端微塵になっているだろう。
「あぁぁぁぁぁ~‼ 最後の1個だったのにぃぃぃぃ~‼」
やっと手に入れたロボの壮絶な最期にショックを受けたが、それを悲しむ暇も無く次の危険が俺を待ち構えていた。
うな垂れた俺の背後からグルルゥゥ……となにやら低い獣の唸り声がする。
振り返ると、野犬の群れが牙をむき出しにしてこちらをにらんでいた。
「わ、ワンちゃん……?」
俺が思わず後ずさりした瞬間、犬たちが一斉に飛び掛ってきて俺は再び全力疾走する羽目になった。
「えっと、全部で5匹か……くそ、さすがにこの数は対処できねぇかも……」
たとえ1匹でも犬の攻撃力はバカにならない。その気になれば大人だって平気で噛み殺される。それが集団となると戦うのはかなり厳しい。
特に先頭で俺を睨んでいた犬はたぶんマスティフという犬種で、闘犬や番犬にも使われるやべぇやつだ。
しかも単純に攻撃力だけの話じゃなく、噛みつかれたら狂犬病に感染する可能性もある。
――ここは下手に交戦せずにとりあえず逃げるしかねぇか。
だが犬の獲物を追う執念深さと追跡能力は、そう簡単に逃げ切れるものではなかった。
「はぁ……はぁ。やっぱ、ワンちゃんはすげぇな」
俺は全力で走って逃げたが、犬の群れはどこまでもしつこく追ってくる。
誰かに助けを求めようにもさっきのマフィアの抗争や爆発騒ぎのせいか、周囲の建物の扉は固く閉ざされていて人の気配も無い。困った。本当に困った。
……困った時は。――そう、御札だ!
俺はポケットの中を探った。やわらかい紙が指先に触れる。
くそ、御札はあと1枚か。こんなことなら、あんなどうでもいいことに御札を使うんじゃなかった……ジェル怒るだろうなぁ。
3枚目を使ったら帰国する約束をしているから、できれば3枚目は使いたくない。
「でも……いよいよやべぇかも」
犬は元気に追いかけてくるけど俺はずっと走り回ってヘトヘトだし、いつの間にか細い路地に入り込んでいたようだ。
足がもつれて転びそうになりつつも必死で逃げ回ったが、とうとう行き止まりに追い詰められてしまった。
「ちくしょう、これまでか……」
散々走り回ったはずなのに犬達は疲れた様子もなく、相変わらず敵意をむき出しにして唸り声をあげている。完全に俺を獲物と認識しているらしい。
「……わかった。お兄ちゃんの負けだ」
俺は身体の力を抜いて地面にへたりこんだ。
それを見て先頭にいる大きなマスティフが唸り声をあげ、大きく口を開けて飛び掛かろうとした。
――その瞬間、俺は御札を掲げて叫んだ。
「何でもいいから助けてくれぇぇぇぇぇ‼」
俺の叫びに反応して御札から閃光が放たれ、眩しくて反射的に目を閉じた。
すると、俺のすぐそばでタンッと地面に着地するような靴音がして「キャン!」という犬の甲高い鳴き声がしたかと思うと、よく聞きなれた声がした。
「――しょうがないですね」
おそるおそる目を開けると、俺をかばう様に前に立ち、金髪をなびかせ片手を前方に軽く広げ魔術を行使するジェルの姿があった。
すぐ前方では彼の魔術によって輝く障壁が張られている。
野犬の群れは俺たちめがけて何度も飛びつくのだが、その度に見えない壁にぶつかって阻まれた。それでもしつこく何度もぶつかって、しばらく吠えていたがとうとう諦めて逃げていった。
「ジェ、ジェル……」
「大丈夫ですか、アレク。怪我はありませんか?」
「うん」
「よかった……」
差し出された手につかまって立ち上がると、ジェルは透き通った青い瞳を細め、優しく微笑みかけた。
「――アレク?」
「あ、ありがとな、えっとその、まさかジェルが来るとは思わなかったから……」
俺はその綺麗な笑顔にちょっと動揺しながらお礼を言った。
普段のジェルは家に引きこもって本を読んでばかりで、旅行には絶対付いて来ないから、まさか助けに来てくれるなんて完全に予想外だった。
「こんなこともあろうかと、3枚目を使用した時にワタクシが召喚されるような設定にしておいたんですよ」
「え、なんで……」
「だって3枚目を使わないといけないほどの事があるというのは相当のピンチでしょうから、ワタクシが救援に向かった方がいいでしょう?」
「……おー、さすがジェルだな! うん、お兄ちゃんすげぇピンチだったわ! いや本当ジェルちゃん最高! 天才だわ!」
「そうでしょう、そうでしょう。――だからワタクシ反対したんですよ⁉ 本当にあなたという人は……」
ジェルの顔からさっきの優しい微笑みが跡形も無く消えて、彼は眉をきゅっと吊り上げ俺を睨んで口を開いた。やばい、これはお説教が始まる予感だ。
「それにしても1枚目や2枚目の使い道なんですが、あれはいったいどういうことですか⁉ あ、言っておきますが何に使ったか全部ワタクシにはお見通しですからね⁉ そもそも困った時に使いなさいって言いましたよね? よく考えて使いなさいってワタクシ言いましたよね⁉」
ジェルは、よくもまぁそんなに口が回るもんだと思うレベルの早口で、俺をくどくどと責め立てた。
「困った時ねぇ……」
まさに今、ジェルに叱られててお兄ちゃんすげぇ困ってるんだけど。
今すぐにでも御札を使ってこの場から逃げ出したいが、残念ながらもうポケットの中は空っぽだった。




