15.ジェル、キノコを枯らす(挿絵あり)
それは雨に映える紫陽花が美しいある日の出来事でした。
アンティークの店「蜃気楼」のカウンターでは、ワタクシと兄のアレクサンドルがとあるキノコについてあれこれ調べておりました。
「うーん。やはりエリンギに似てるけど違いますねぇ……。ねぇ、アレク。そっちの図鑑はどうですか?」
「特に何もねぇなぁ。おい、ジェル。見ろよ、このキノコ旨そうだぞ」
「それ猛毒注意って書いてるじゃないですか……」
カウンターの上にはガラス瓶がひとつ置かれていて、その中にはエリンギに良く似た太い軸のキノコが一本、標本のように入っておりました。
なんとこのキノコ、アレクが普段使っている枕に生えていたのです。
かさの部分にピンク色のハートの模様が入っていて珍しかったので、採取して先ほどから調べているのですがまったく種類が特定できません。
「しかしびっくりしたよなぁ、昨日の夜はなんとも無かったのに。キノコって一晩で急に生えるもんなのか?」
「急に生えるにしても、いきなりそんな大きさは有り得ないように思いますけどねぇ」
先ほど「エリンギによく似た」と言ったことからもわかるように大きさも立派なキノコでして、太いだけではなくボールペンくらいの長さがあるのです。
「やはりこれはエリンギなのでは……」
「じゃあ食うか。エリンギならバターと塩コショウで炒めると美味いし」
「いや、それは危険ですって!」
あぁでもないこうでもないと2人で図鑑を見て談義しておりますと店のドアが開き、アラビア衣装に身を包んだ大きな身体の男性が入ってきました。
「はぁ~い! アレクちゃん、ジェル子ちゃん! あらぁ、今日は2人そろってるのねぇ」
「おぅ、ジンちゃん!」
「誰かと思えばジンでしたか。いらっしゃいませ、何か御用ですか?」
ジンはかの有名なアラビアンナイトにも登場する魔人で、うちの店とは何かと縁があり、常連客でもあるのです。
「ううん、今日は行商で近くまで来たからお茶しにきただけなのよぉ~。外は蒸し暑いわねぇ~冷たいものくれない?」
ジンはそう言って手でパタパタと顔をあおぐようなしぐさをしました。
「そうでしたか、ちょうどこちらも調べ物をしてまして、そろそろ一息入れてもいいかなと思っていたんですよ。アイスティーを入れて休憩しましょう」
「あらそうなの、うれしいわ~!」
ワタクシがアイスティーを用意すると、ジンはそれをいっきに飲み干し、ふーっと息を吐きました。相当のどが渇いていたのでしょう。
「あー、生き返るわねぇ、ジェル子ちゃんありがとう!」
「いえいえ」
ジンは、空のグラスをカウンターに置こうとしてガラス瓶に目を留めました。
「あら? その瓶の中身、どうしたの?」
「これ、正体不明のキノコでして。今朝、アレクの枕から生えてたんですよ」
「へぇ~、どれどれ……んまぁ!」
ジンは瓶を手にとって中を確認すると目を大きく見開いて輝かせました。
「これ、伝説のイケメンダケじゃない‼ さすがアレクちゃんだわぁ~!」
「へ? イケメンダケ? なんだそりゃ⁉」
「ジン、あなたこのキノコを知ってるんですか?」
「えぇ。イケメンの傍にしか生えない貴重なキノコなの。図鑑にも載ってない超レア品だし高く売れるわよぉ~!」
高く売れる……⁉ その言葉にワタクシは思わず食いついてしまいました。
「本当ですか……! ちなみにこのキノコ、いくらで売れるんでしょうか⁉」
「そうねぇ……これぐらいかしら?」
ジンは、車が買えるような金額を提示してきました。
超レア品といってもしょせんキノコですし、せいぜいトリュフや松茸程度かと思ったのですが。
予想外の高額にワタクシは驚きが隠せませんでした。
「そ、そんなに貴重なんですかこれ……」
「えぇ。魔女の秘薬にも使われるから需要が高いのになかなか見つからなくてねぇ~。2人さえよければアタシが買い取るわよ?」
「それはありがたいですね、ぜひお願いします!」
こうしてワタクシとアレクは、キノコを売却して臨時収入を得たのでした。
「イケメンダケかぁ。へへ、あのキノコそんな価値があるもんだったんだなぁ」
「えぇ。ラッキーでしたねぇ」
「なぁなぁ、この売ったお金でパン男ロボ買っていい?」
思いがけない収入にすっかり気をよくしたワタクシは、アレクの願いに二つ返事で答えました。
「えぇえぇ、いいですとも!」
「えへへ、やったー! どれ買おうかなぁ……!」
アレクは大喜びでスマホを取り出してパン男のサイトを見ています。
今回儲けた金額から考えると、彼が欲しがったロボットの玩具など取るに足らない出費でしたからまったく気になりませんでした。
「ワタクシもせっかくなのでスーツを新調しましょうかねぇ……」
こうして臨時収入を得て大満足だったのですが、これはまだ物語の始まりにすぎなかったのです。
その翌日。
アレクの枕には昨日と同じ大きさのイケメンダケが1本生えていました。
「おい、ジェル! またキノコが生えたぞ!」
「――えぇ⁉ すぐジンに連絡して買い取ってもらいましょう!」
ワタクシは大急ぎでジンに連絡してキノコを売りました。
しかしそれでは終わらず、さらに次の日も同様に1本生えていて再びジンを呼ぶことになったのです。
「キノコ1本だけの為にわざわざ来ていただいてすみませんねぇ……」
「いいのよぉ~! こっちも商売になってるから気にしないで♪」
「もしかしたら、また明日も生えてきそうな気がするんですが……」
ワタクシの予想にジンはうんうんと頷き、ある提案をしました。
「そうねぇ、そのペースだとたぶん明日以降も毎日生えるんじゃないかしら? ――ねぇねぇ、物は相談なんだけど、そのキノコって量産できないの?」
「量産……ですか?」
「えぇ。今って1本しか生えないでしょ。もしもっと収穫数を多くできるなら買取価格をさらにアップさせてもいいわよ? 仮に10本増えたとして……」
そう言って、ジンは電卓を取り出して高級車が買えるような数字を提示してきました。
「――こ、これは。イケメンダケを売ったお金で美術品や宝石も買い放題じゃないですか……!」
提示された数字の桁の大きさにワタクシの心は大きく揺れ動きました。なにせ元手は無料です。売った分だけ丸儲け。これはビジネスチャンスに違いありません。
「け、検討してみます……!」
「あらよかった、頼んだわよ~! ――それじゃアタシまた明日来るわね。楽しみにしてるわぁ~!」
笑顔で手を振るジンを見送った後、ワタクシはアレクの部屋のドアをノックしました。
「アレク、ちょっといいですか?」
「おう、いいぞ。あれ、ジンちゃんもう帰ったのか?」
「えぇ」
「残念だな~、パン男ロボ買ったからジンちゃんにも見せてやろうと思ったのに」
「また明日も来るそうですよ」
「そっか~……えへへ、パン男ロボはやっぱりいいなぁ!」
アレクは売り上げで買ったロボットの玩具を箱から取り出してご満悦です。
ワタクシは楽しそうな彼の様子に軽く目を細めると、視線をベッドに移しました。
「やはり何度見てもにわかには信じがたいです……」
ベッドは薄い羽毛布団と白いシーツに白いカバーのかかった枕があるだけで清潔そのもので、とてもキノコが生えるような環境には見えませんし、そんな痕跡も一切ありません。
「――でもここにイケメンダケは生えるんですよねぇ。目には見えないけどおそらくアレクの枕に胞子がついてるということですよね……ふむ」
少し思案したのち、ワタクシはハサミを持ってきて彼の枕カバーの生地を数センチほど切りとりました。
「――わ、おい! な、なにやってんだよジェル‼」
「見ればわかるでしょう、イケメンダケの胞子をいただいてるんですよ!」
「は? どういうこった?」
「量産するんですよ!」
「へ、量産?」
「イケメンの傍にしか生えないキノコなんでしょう? だったらワタクシの傍にだって生えていいはずです……!」
「おい、ジェル……オマエ、真剣すぎて顔怖いぞ。うわぁ、俺の枕カバーが……」
「あとは適当に縫っておいてください」
「いや、適当にってなぁ……おい、ジェル~!」
ちょっと呆れ顔のアレクをよそに、ワタクシは胞子が付いたであろう枕カバーの切れ端を持って悠々と自室へと引き上げたのでした。
その日の就寝前。
自室でワタクシは枕をじーっと観察しておりました。先ほど切り取った枕カバーの切れ端を自分の枕に縫い付けたのです。
「たしかにアレクの顔は整ってますよ。でもワタクシだってイケメンなんです。だから絶対生えるはず……!」
すると期待通り、ワタクシの枕の隅に薄茶色のキノコのカサらしき物が小さくこんもりと生えてきました。
「やった……! これで量産して大儲け……‼」
ワタクシはガッツポーズをしました。
キノコはものすごい早さでグングン成長しました。カサの部分にはピンクのハートマークがあります。間違いなくイケメンダケです。
しかし……
――ワタクシがその光景を覗き込んだ瞬間、イケメンダケはシュウゥゥゥゥと音をたてて急激に萎れてしまいました。
「失敬な‼ ワタクシがイケメンじゃないとでも⁉ ワタクシの顔のどこに不満が‼」
思わず文句を言っていると不思議なことにイケメンダケはさらに縮こまり、とうとう跡形もなく消えてしまいました。
「うぅ、かなりショックなんですが……」
しかしまだこれで野望が潰えたわけではありません。明日の朝になればアレクの枕にはまたキノコが生えてきているはずです。それがある限り何度でもやり直せる……!
「イケメンダケ量産の暁には……ふふふ……」
こうしてワタクシは野心を抱えながら眠りについたのです。
そして翌朝、ワタクシはアレクの大声で目が覚めました。
「――あぁぁあぁぁぁぁぁ‼ 待てこらぁぁぁぁ‼」
大声は彼の部屋の方から聞こえます。ワタクシはパジャマ姿のまま慌ててアレクの部屋へ向かいました。
「アレク! 何事ですか……⁉」
部屋のドアを勢いよく開けると、なんとそこには走り回るキノコとそれを捕まえようと追いかけるアレクの姿がありました。
「な、なんですかこれ……」
「わかんねぇ! 俺がロボで遊んでたら急にキノコに手足が生えて逃げ出そうとしたんだよ!」
――えぇ⁉ 理解の範疇を超える出来事に唖然としていると、その隙にキノコは生えたばかりの手足を上手に使い、開いていた窓から脱走してしまいました。
「ちくしょー、すげぇ早さで逃げやがった」
「あれって、もしかしてイケメンダケですか……?」
「あぁ、そうだ。でもまさか手足が生えて逃げるなんて聞いてねぇぞ……」
ワタクシ達はわけがわからず顔を見合わせました。
釈然としないまま時間が過ぎ、お昼に再びジンがやってきたのでキノコが逃げてしまったことを告げると、彼は「あらまぁ!」と声をあげ、理由を説明してくれたのです。
「あのキノコはイケメンの判定が厳しくてねぇ。収穫されるまでは自我があるから残念なイケメンだとわかると他のイケメンを探す為に逃走してしまうのよ~」
「アレクが『残念イケメン』認定されたということですか……」
「え~、残念ってなんだよそれ!」
「もしかしてアレクちゃん、キノコの前で何かイケメンらしくないことでもしたんじゃないのぉ~?」
イケメンらしくないこと……?
ワタクシ達の視線に対し、アレクは手を大きく空中で動かす仕草をしました。
「らしくないって何がだよ。俺はただロボで遊んでただけだぞ……こんな感じで、ブーンって――」
「それです‼」
「それよ!」
ワタクシとジンは声をそろえてツッコミました。
それからというもの、何日待ってもイケメンダケはアレクの枕にもワタクシの枕にも一切生えてきませんでした。
きっと今頃はどこかのイケメンの枕元で元気にしているのでしょう。
「まぁ、いい夢は見られましたし、お小遣い稼ぎになりましたから良しとしますかねぇ……」
ワタクシは空っぽになってしまったガラス瓶を虚しく眺めるのでした。




