10.バレンタイン防衛戦
あぁ……ついに今年もこの季節がやってまいりましたか。
今年こそは、負けませんよアレク……!
朝方に降っていた雪も昼には溶け、日が射して寒さが和らいだ店の中。
カレンダーを見て意気込むワタクシと、それを眺める氏神のシロの姿がありました。
「……で、なんでジェルはカレンダーなんか気にしてるのさ」
「今月はバレンタインデーがあるからですよ」
「なんで?」
「ワタクシとアレクが日本に住んでからというもの毎年、毎年……」
「毎年……?」
「……毎年ワタクシが自分用に買った高級チョコレートをすべてアレクに略奪されているのです‼」
シロは何だそんなことか、と言いたげな顔をしています。
――あなたは何もわかっていませんね。百貨店のチョコレートの催事は戦場なのです。ただでさえ混雑していますし、朝イチで行列に並ばないと売り切れてしまう物もあるのです。
外に出かけるのが大嫌いなワタクシがそこへ行くのにどれだけの覚悟が必要か、ぜひ想像してみてください。
あの一品を手に入れるのにどれだけワタクシが苦労したか……それなのにアレクは容赦なく勝手に食べてしまうのです。
「それならアレク兄ちゃんに勝手に食べるなって言えばよくない?」
「甘いですよシロ。アレクは、してはいけないと言われた事は確実にやり遂げる男です」
「迷惑な人だね」
「もちろんワタクシも何もせず見ていたわけじゃないんですよ。どんなに隠してもすぐ見つけられてしまうので、とうとう魔術を使って障壁を張りました」
それは、ありとあらゆる物理攻撃を阻む魔術によって作られた障壁。弓矢はもちろんミサイルすら通さない完璧なバリアです。
「まさかアレク兄ちゃんは、ジェルの障壁に対抗できるってことなの……なんて力だ……」
「いえ、床に穴を掘られ、そこから侵入されました」
「床より下はバリア効果なかったんだね」
――そう、それは誤算でした。翌日、床に大きく空いた穴とゴディバの空き箱を発見した時のワタクシの気持ち、察していただけますでしょうか。
「その次の年はスケルトンをチョコレートの護衛に召喚しました」
「スケルトン?」
「えぇ。剣の腕が立つという骸骨を召喚してチョコレートを守らせたのです」
「それでどうなったの?」
「翌日見に行くとスケルトンは足を骨折してました」
「えぇ、アレク兄ちゃん酷いことすんなぁ……」
「いえ、戦おうとして足が滑って転んで骨折したらしいです」
そう、ワタクシが見に行った時には、スケルトンの足には応急処置で添え木が当てられていました。
そして早朝からワタクシが並んで購入したマリベルのブルーボックスは跡形もなく消えていたのです。
後日アレクの部屋で箱を発見しましたけども……すでに空でした。
「兄ちゃんわざわざ手当てしてあげたんだ。スケルトンの骨折はどうなったの?」
「労災が適応されましたんで即、治療されたので大丈夫です。なんでも骨粗しょう症だったらしいですよ」
「骸骨が骨粗しょう症って致命的だよね」
「そうなんですよ、なのでその次の年はスケルトンではなく、ゴーレムを制作して守らせました」
「ゴーレム?」
シロは日本の神様なせいかあまりそういうことは知らないようで、聞きなれない言葉に首をかしげています。
「えぇ。ゴーレムというのは魔術を動力とするロボットのようなものでして、防御力が高いので何かを守らせるには最適な存在なのです」
「へぇ、無敵じゃん」
「そうでもないですよ。ゴーレムの額にはemeth(真理)と刻まれているのですが、その最初のeの文字を消すとmeth(死)となるので、そのせいで身体が崩壊してしまうんです」
ワタクシがメモ用紙に文字を書いて説明するとシロは納得しました。
「へぇ、一文字違うだけで壊れちゃうんだね」
「えぇ」
「それで、そのゴーレムにチョコレート守らせたの?」
「そうです。でも、翌朝見に行ってみるとゴーレムは粉々に……!」
「まさか、アレク兄ちゃんに文字を消して倒す方法を考える知能があったなんて……」
「いえ、力任せに拳で粉砕したらしいです」
「よかった。いつものアレク兄ちゃんだったね」
シロは安堵の表情を浮かべました。
「あ、もちろんこちらも労災が適応されまして即、元通りになりました」
「よくわかんないけど労災すごいね」
「それに傷害保険の保険金ももらえましてね。そのお金で今はどちらも異世界でのんびり暮らしているはずですよ」
そんなわけで防衛はことごとく失敗したのですが、今年もまたバレンタインデーは容赦なくやってくるわけで。
「今年はどうするの? 護衛に何か召喚するの?」
シロの問いかけに、ワタクシは自信たっぷりに笑みを浮かべました。
「いいえ。ふふふ、今年は今までのようにはいきませんよ……完璧です!」
そしてバレンタインデーの翌日。
再び店を訪れたシロの手には、ワタクシによって託されたダイヤモンドのような形の箱がありました。
「ジェル、頼まれてたの持って来たよ」
「あぁ、ありがとうございます! 紅茶を入れますから一緒にいただきましょう」
箱の中は、宝石をデザインした色とりどりのチョコレートが並んでいました。
「あぁ、わざわざ出かけた甲斐がありました……さすがデルレイ。クリーミーで美味しいです!」
「すごいね、これ。口の中であっという間に滑らかに溶けていく……」
二人でチョコレートの美味しさに感動したのち、シロが口を開きました。
「まさか僕にチョコを預けるなんて、思わなかったよ」
「えぇ。まぁそこが一番安全だと思いまして」
「でもよくアレク兄ちゃんに気づかれなかったね」
「えぇ。今年は我が家でダミーを制作して、それをおとりとして設置したのです」
「ダミー?」
そう、ダミー。この日の為に材料を吟味し、ありとあらゆる高級チョコに負けない製法を研究し、ワタクシ自らチョコレートを作りました。
何度も試行錯誤して、やっと完璧な最高のチョコレートを作り上げたのです。
もちろんラッピングも抜かりありません。
なにせ名だたる高級チョコと同等か、それ以上に見えるようにしないといけないんですから。
精巧に細工を施した箱に包装とリボンもこだわりました。どこからどう見てもラグジュアリーで完璧なチョコレートです。
「あのクオリティならアレクも騙されるでしょう。例年通りワタクシが自分用に買ってきた高級チョコレートだと思って食べたに違いありません!」
「ねぇ、ジェル……」
シロはどこか遠慮しながら口を開きました。
「ダミーなら箱だけでよかったんじゃ……それ兄ちゃん普通に最高級なチョコ貰えてるよね?」
――あ。
「ジェルって本当、真面目すぎるというか、目的と手段が入れ替わって当初の目的はどこかへ行っちゃうよね」
「うぅ……反論の余地がありません……」
たしかに途中からチョコレートの研究をする方に夢中になってしまい、いかに完璧なバレンタインチョコレートを作り上げるかしか考えていませんでした。
「そういやアレク兄ちゃん、昨日ジェルの手作りチョコもらっちゃった~♪って浮かれてたけど……」
「……えぇぇぇぇぇぇぇ‼ ワタクシが作ったってバレてるんですか‼」
「そうみたいだよ」
「そんなぁ……来年のバレンタインはどういたしましょう……」
策をすべて使い果たし、これから先どうしたものかと思案しながら食べたチョコレートは、気のせいかほろ苦い感じがしたのでした。