1.その店は蜃気楼のように(挿絵あり)
アレクサンドルは香港のマーケットで値切り交渉をしていた。
「だーかーら、あと1,000ドル安くしてくれたら、買うよって言ってるの!」
「お客サン、それ1万ドルネ~。それ以上安くしないヨ!」
「その翡翠を可愛い弟へのお土産にしたいんだよぉ~、頼むよ、おっちゃん」
「そんなの知らないヨ~」
店主は翡翠の入った箱を仕舞おうとしたが、ふと手をとめてショーケースから銀色に光る懐中時計を出してきた。
「お客サン日本人デショ? これも一緒に買ってくれるなら安くするヨ?」
でっぷり太った店主は、彼の手に懐中時計を握らせた。
「これ買うとイイヨ。薩長同盟で有名な坂本龍馬の時計ネ! 日本人が大好きな人ダヨ!」
「は? サカモトリョウマ? 知らねぇよ。それに俺、髪黒いし日本人っぽい顔かもだけど一応フランス人だ」
「日本人でもフランス人でもどっちでもイイヨ、これ買うヨ!」
「……で、いくらまで安くできるんだ?」
「そうネー。じゃぁ――」
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その店は幻のように、ぼんやりゆらゆらと私の目の前に現れました。
どこにあったのか、どうやってその道にたどり着いたのか、まったくわかりません。夕暮れ時にちょっとコンビニまで出かけようかな、と家を出たところまでは覚えてるのに。
そこからどう歩いたのか……記憶がそこだけ抜け落ちたかのように思いだせない。
でもそのお店は確かに目の前にあったのです。
夕日に照らされた、こじんまりとした西洋風の建物。
ドアに小さく『mirage』と金色の文字で書かれたプレートがかかっています。
mirage……ミラージュ?
たしか日本語で蜃気楼のことだっけ。何のお店なんだろう。カフェかしら?
私が気になって細くドアを開けると、すぐ目の前で胸元が大きく開いた紫のブラウスに黒いベストを着た男性が出迎えました。
少しクセのあるウルフカットの黒髪で、モデルさんみたいにすらっと背が高くて端整な顔なのにどこか人懐っこい雰囲気。
透き通った青い瞳がよく晴れた日の海みたいにキラキラしてる。
「やった、お客さんだー! 俺アレクサンドル。ちょうど今すげぇ暇してたんだよね。さ、入って入って!」
彼の容姿に見とれていると、大歓迎で中に入るように促されます。
でも、何の店かもわからないのに入るわけには……。
「えーっと、アレクサンドルさん?」
「アレクって呼んでくれ!」
「あ、あの。私、その――」
「さぁさぁ、アンティークの店『蜃気楼』へようこそー!」
「アンティークの店……?」
彼の楽しげな雰囲気に惹かれて思い切って店内に入ると、そこはまるで童話の世界のようでした。
「わぁ……すごい!」
高そうな装飾の施された壷や家具、キラキラ輝く宝石や見たこと無いような動物の剥製と植物の標本、アンティークな実験器具、洋書や何かの薬品らしき物などがところ狭しと置かれています。
もし魔法使いの家があるとしたらきっとこんな感じかしら。
「ファンタジーな感じで素敵ですね!」
「そうだろ! よかったら遠慮せず見てくれ!」
彼は“すげぇ暇してた”と言っただけあって、ずっと私のそばに付いて来て得意げな表情をしながらうれしそうに商品を説明してくれます。
「あ、これ綺麗!」
目の前の棚には、緑色に光る大きな石の破片のような物と、柄を金と宝石で装飾された由緒のありそうな立派な剣が飾られていました。
「それな、龍の鱗だ。デカいだろ? それ触ると龍がすげぇ怒るんだぜ。確か……ゲキリンって言うやつだ」
「じゃあ、隣の剣は?」
「なんか有名なやつらしいけど名前は知らないなぁ。昔、龍からその鱗取るのに使ったんだよ。龍ってめちゃくちゃ硬いからさ、持って行った武器ほとんどボロボロになったしすげぇ面倒だったわ」
――アレクさん、まるで自分が鱗を取ったみたいに話すけど、まさかね。さっきから嘘みたいな話ばっかり。
「……そういえば値札が無いけど、これいくらくらいするんですか?」
「さぁ? いくらだろう?」
「店員さんなのにわからないんですか?」
「うーん。俺には売り物かどうかもわかんないんだよなぁ」
売り物かどうかもわからないってどういうことだろう。
「そ、そうなんですか。――あれ? これ、もしかして」
彼の話を聞きながらショーケースを眺めていると、隅で光っている銀色の懐中時計が目に入りました。
「あ、あの。この懐中時計も売り物じゃないんですか?」
「どうだろうな。もし欲しいならジェルに聞いてみたらどうだ?」
「ジェル?」
――ジェルって誰?
私が気になって聞き返すと、彼はよくぞ聞いてくれたといわんばかりに自慢げに答えました。
「ジェルは俺の弟だ。ここにあるのは全部、俺とジェルのコレクションなんだよ!」
へぇ、弟さんがいるんだ。
その時、店の奥の扉が開いて金髪の男性が姿を見せ、私達にゆっくり近づいてきました。
一瞬女性かと思うくらい綺麗な顔立ち。長いまつ毛にアレクさんと同じ青く透き通った瞳のすごい美形。
「蜃気楼へようこそ、お嬢さん」
毛先が肩にほんの少しかかる程度の長さのサラサラの金髪をなびかせ、執事さんみたいなスーツに銀色のモノクルを付けた姿で優雅にお辞儀をする様子は、まるで映画のワンシーンみたい。
「ワタクシは当店の店主、ジェルマンと申します」
ジェルマン……さっきアレクさんが弟って言ってたのは、この人のことかな。
「アレク、ちゃんとご案内できたんでしょうね?」
「もちろんだ!」
「嘘おっしゃい。聞いてましたよ、雑な説明ばっかりして!」
「立ち聞きとかズルいぞ!」
「あなたがちゃんと接客できるかチェックしていただけです」
ジェルマンさんは、右手でモノクルをかけ直しながらちらりとこちらを見つつ、しれっと答えました。
「――兄が失礼いたしました。ところで、何か気になるお品があったようですが?」
「あの、この懐中時計が……」
「かしこまりました。ケースから出してごらんにいれましょう。よろしければどうぞお手にとってみてください」
私はショーケースから出してもらった懐中時計を手にとってじっくり眺め、裏側を見て確信しました。
これは間違いない。もう見つからないとあきらめていたのに。
でもどうしてこんなところに?
「どうなさいました? この品についてなにかご存知な様子ですが」
彼の問いに、戸惑いながらも答えました。
「これ、私の祖父の形見だと思います。表面の傷に見覚えがありますし裏にR.Sとイニシャルが彫られていて……」
「おや、あなたのお祖父様の――そうでしたか」
「はい。無くしてしまってずっと探してたけど、見つからなかったのに」
私はジェルマンさんに時計を返して、どこで手に入れた品なのかたずねました。
「さぁ……この店の品を仕入れているのは兄なんですよ。アレク、この時計をどこで手に入れたかわかりますか?」
すぐそばでぼんやりしていた彼は急に話を振られたことに驚くと、軽く視線を上にしながら答えます。
「えっ……確か香港のマーケットだったかな。それさぁ、えっと。ほら。えーっと……サッチャン同盟で有名な人の愛用してたもんだって」
――サッチャン同盟で有名な人?
「サッチャン同盟? 初めて聞きましたが……」
「なんだよ、ジェル。サッチャン同盟知らねぇのかよ!」
ちょっと得意げな表情の彼に、ジェルマンさんは訝しげに見ながら問いかけました。
「そういうアレクは、何の事か知ってるんですか?」
すると彼は急にしどろもどろになって、視線を上空で彷徨わせます。
「そりゃぁ、えーっと、ほら……サッチャンってあだ名だろ。これからは気軽にサッチャンって呼んで仲良くしようぜってことじゃねぇの?」
私が何のことかわからずぽかんとしていると、ジェルマンさんが申し訳なさそうに私にしか聞こえない程度の声で囁きました。
「ごめんなさい。うちの兄、かなり残念なんです」
「え、あ、あはは……」
そう言われても、そうですねとも返せないし困るなぁ……
「おそらく彼が言いたいのは”薩長同盟”でしょうね。だとすれば裏に彫られたイニシャルがR.Sは、たぶん坂本龍馬のことかと」
「あっ、たしかに坂本龍馬ならR.Sになりますね」
「それに、歴史の本などにも載っている有名な彼の写真には時計のゼンマイを巻く鍵が写っている、という説がありましてね。しかも彼は新しいもの好きだったそうですから、懐中時計を持っていた可能性があるのではとワタクシも思います」
「へぇ、知らなかった……」
尊敬のまなざしで見つめるとジェルマンさんは少し照れたような柔らかい微笑みを浮かべましたが、すぐに姿勢を正して涼しい顔で私にたずねました。
「しかし彼が活躍したのは幕末です。ですから年代的に考えてそんなことはありえないと思うのですが――あなたのお祖父様はあの有名な坂本龍馬なんですか?」
「まさか! イニシャルが同じだけの別人です。祖父は一般人ですよ」
「なるほど……たぶん鑑定の方が間違っていますね。これはきっとあなたのお祖父様の物ですよ」
彼は、さらりと金髪を揺らして頷きました。
えっ、鑑定が間違ってるって、そんなあっさり認めていいの?
「この店はちょっと変わってましてね。物が正しき持ち主を呼ぶのです」
――え、どういうこと?
わけがわからず目を丸くさせる私に、彼はまるで何もかもを見通しているかのような穏やかな表情で微笑みかけます。
「理屈で説明するのは難しいのですが……物にも縁というのがありますからね。きっと時計が見つけてほしくてあなたを呼んでいたのでしょう」
「時計が……?」
「えぇ。それは非売品ですが、あなたにならお譲りしましょう」
「ジェルの言う通り、俺もじいちゃんの形見が正解だと思うぞ。坂本龍馬の時計じゃなかったけど、時計がちゃんとあるべきところへ帰れるなら結果オーライだ!」
アレクさんもそばへやってきて、頷きながら彼の意見に賛同します。
「ジェルマンさん、アレクさん……ありがとうございます」
私は懐中時計を買って、2人に見送られて店を後にしました。
まさかたまたま入ったお店で、お爺ちゃんの形見と再会するとは思ってもみませんでした。不思議なこともあるもんです。
「しかし変な人達だったなぁ……」
そうつぶやきながら、ふと立ち止まって振り返るともう店は無く。そこにはただ、白い壁があるだけでした。
「え、うそ……夢でも見てたとか……?」
でも、私の手には包装してもらったばかりの時計が確かにあります。
「そういえばお店の名前、蜃気楼だっけ。本当に蜃気楼みたいに現れて消えちゃった」
それ以降、またお店に行きたくて何度も近くまで足を運んだり調べたりしたのですが、あの店はどうしても見つかりませんでした。
でもいつかまた、私の目の前に蜃気楼のように現れるんじゃないか、なんて期待しながら今日も街を歩いています。
2019年7月31日追記:リライトしました。
2019年10月3日追記:序盤にアレク視点追加しました。
2019年10月5日追記:大幅にリライトしました。
2話以降はジェルやアレクの視点でオムニバス形式で進みます。
ここまで読んでくださりありがとうございました!