プロローグ 俺は世界最強の男
300メートルの巨体を震わせて、邪神竜がレーザーブレスを吐く。
城でさえ飲み込みそうな口から放たれる光の奔流は、絶望を撒き散らすかの如く木々や山を吹き飛ばしていく。
その竜の光線を真正面から受けて立つのは、光輝く聖剣を持つ黒髪黒目の美丈夫だ。
身長は180を超え、スリムな体形にも関わらず弱々しさがまるでない。
神の裁きと見紛うほどの邪神竜のブレスすらも、平然とした表情を崩さない。
障害を全て砕きながら迫るブレスを、剣を持つ右手とは逆の手を突き出して迎え撃つ。
男が左手を向けると、レーザーブレスが何かに阻まれて止まった。
透明な壁にぶつかったブレスは、徐々にその勢いを失っていく。
己のブレスが、まさか人間の若造に防がれると思わなかった竜は驚愕に顔を歪ませる。
八千年は生きた邪神竜にとって、人間などは虫けらにも等しい弱者であった。
その人間に全力のブレスを難なく防がれたのは、竜の常識では予想だにしなかったことだろう。
『馬鹿な!!! 人間が我のブレスを食らって生きているはずがない!!』
大気を震わせるような声が男の耳を打つ。
「その認識は改めるんだな! 俺のことを知らなかった無知を恥じてあの世に逝け!」
よく通る声で宣言すると、男は聖剣を掲げて必殺の一撃を放つ。
聖剣が光を纏い、男の身体から聖なる闘気と魔力が噴き上がる。
男は神速の動きで高く飛び上がる。竜の巨体ではその動きに付いていけるはずもない。
男の身体が眼前から消えた瞬間が、邪神竜にとって最期の光景だった。
遥か上空から剣を振り下ろすと、竜の躰は剣圧で斬り裂かれた。
剣圧で縦に真っ二つになった竜の死骸の上に着地して、男は自分の攻撃の成果を確認して呟く。
「自然破壊はしたくないんだけどな。気合いが入り過ぎたな」
男の一撃は竜の巨体を斬り裂いただけでは飽きたらず、その下の地面まで斬ってしまっていた。
人間が落ちれば助からないのは明白だ。底の見えない闇に震えがくるだろう。
何も知らない未来の人間は、ここで神々の戦いがあったと物語を紡ぐかもしれない。
男の名前はレオンハルト・クロス。今年で30歳になる子持ちの男だ。
何千年も生きる邪神竜すらも倒す、世界最強と名高い元冒険者である。
子どもが産まれた時に引退したが、未だにその力は衰えることを知らず、世界各国の王たちも男を恐れて一目置いている。
とにかくレオンハルトの不興を買うのを避けるために、どんな偉そうな人間でも下手に出る。
そんな男がなぜ仕事をしたかといえば、お父さんって本当に強いの? と息子や娘に訊かれたからであった。
なぜなら引退してから、戦う父の姿を見たことがない子どもたちは、話に聞いただけだからだ。
世界最強と謳われる男に喧嘩を仕掛けるバカなど存在せず、冒険者時代に稼いだ莫大な金があったので、仕事をしないで遊び呆ける姿を見て育ったために、子どもたちには父の強さは理解できないのだ。
「さてと……そろそろ家に帰るか。国から報酬を貰う前に、子どもたちに邪神竜の死骸を見せてやろう」
一応、国からも依頼を受けてのことだ。子どもたちへの見栄だけではない。
倒さなければ、二千年の眠りから目覚めた邪神竜によって国は滅びていただろう。もっとも、子どもたちに自慢したいという気持ちが9割を占めているようだが。
「いや~、お父さん格好いい! って言われるのは最高だからな~。またモテモテになっちゃたらどうしよう」
どうしようと言いつつ、だらしなく顔が弛んでいるので、子どもたちには見せられないだろう。
男は美しい妻と可愛い子どもたちの称賛を思い、デレデレしているが、簡単に魔法を発動させる手腕はさすがだ。
竜の死骸を時空魔法で仕舞い、すぐさま転移を発動して家まで跳んだ。
人間のなかで簡単に高位の魔法を連続して使うのは、最高クラスの宮廷魔術師かこの男くらいだ。
気分屋なうえに世界最強の男を人々は総じてこう称している。
世界最強の災害男。この方には逆らうな。とばっちりを食らうから、と。
ここはリンフォード王国の王都フォードラム。リンフォード王国は人口90万人ほどの国だ。
王都は人口25万人。近くに鉱山が7つもあり、そこから採掘される金、銀、ミスリルなどの金属が最大の収入源だ。
30年ほど前に周辺国が攻めてきたが、見事に撃退している。
その勝利に大きく貢献したのが、当時冒険者であったエルネスト・クロスとセレスティーナ・クロスという、レオンハルトの両親だ。
平民は家名など持たないが、英雄なので名乗ることを許されている。
パーティーを組んでいたフランク・コールフィールドとエステル・コールフィールドの4人で、一国の軍隊を壊滅させた。
その活躍で2面作戦を避けることができ、国を救った功績で途方もない報酬を手に入れた最強の英雄たちだ。
その資質を継ぎ、幼い頃からの過酷な修行によって鍛えられたアルフレッドは、10歳の頃には剣の試合で父から1本取るほどの腕前になっていた。
両親と同じように冒険者となり、20歳になる頃には敵うものなしと謳われる魔法剣士になった。
両親の仲間の娘と幼い頃から一緒に冒険することを夢見て頑張った。
冒険先で幼馴染みのパーティーメンバーの1人、フィーリア・コールフィールドと結ばれ、子どもが産まれたので引退した。
レオンハルトの生まれは王都ではなく、隣国ザッカートとの国境付近の街グランフォードだ。
人口は15万人。国境の街なために交易が盛んなので金持ちも多いが、繁栄に取り残される者も多く、貧富の差も激しい。
幸い、レオンハルトとフィーリアは両親の活躍もあり、裕福な暮らしをしていた。
幼い頃からいつも一緒に過ごし、お互いに想い合い、両親と同じように冒険者になることを目標に努力を重ねた。
数々の冒険の中で愛情を育み、子どもが産まれてからは引退して王都に居を構え、家族で仲良く暮らしている。
レオンハルトが王都に帰還すると、歓声をもって迎えられた。
王都の門の前に転移してきたレオンハルトに気付いた門番が敬礼をしている。
門前に転移したのは目立ちたかったから──ではなく結界のせいで街中には転移できないからだ。
門をくぐり、街に入ると大声を上げてワラワラと住民が集まり、口々にレオンハルトを称える。
誰もレオンハルトが邪神竜を倒せないとは思っていないのか、成果を訊くこともない。
集まった住民に手を振りながら広場に進むと、人だかりが割れて家族の姿が見えた。
この広場は様々な用途があるのでとても広く、邪神竜の死骸を出しても問題ない。
レオンハルトがここで待つように言っておいたのは、子どもたちに邪神竜の死骸を見せるためだ。
「お帰りなさい。あなた」
フィーリアはレオンハルトと同じ29歳だが、笑顔は可愛いらしく、少女のようである。
薄桃色の長い髪をハーフアップにして、上品な白いドレスのような服を着ている。
夫の勝利を信じて疑わない真っ直ぐな瞳は子どもの頃から変わらない。
「ただいま。リア」
2人は周りが見えていないのか、相手だけを見つめている。
固く抱き合う姿は運命でさえも引き離せそうにないくらいで、人々は眩しそうに2人を見ている。
「お父さん! お母さんとイチャイチャしてないではやくみせてよー」
父であるレオンハルトによく似た男の子、ブラッドが服を引っ張って邪神竜を見せてとせがんでいる。
ヤンチャな表情は子どもの頃のレオンハルトのようで、母のフィーリアは溺愛している。
「おとーしゃんはシャーロットのことがキライなの~? シャーロットもみなくちゃヤッ!」
母とばかりイチャイチャしているのが気に入らないのか、泣きべそをかいているのは娘のシャーロットだ。
母親と同じ髪の色でツインテールにしている。フィーリアをそのまま小さくしたような姿だ。
足にしがみ付く娘の頭を撫でながら、レオンハルトは昔を懐かしむような表情でデレデレする。
「お父さんがシャーロットたちを嫌いなわけがないだろう? お母さんと同じくらい愛してるよ」
その言葉にシャーロットはモジモジして、顔をレオンハルトの足に擦り付けている。
「ねえ! お父さんってば! はやく悪いドラゴンを見せてよ!」
待ちきれないとばかりに父の服を掴んで揺らす。
「わかったわかった。ちょっと離れてろよ」
苦笑しながらそう告げると、広場に集まった住民も離れて場所を作る。
人々が充分に距離を取ったのを確認してから、レオンハルトは邪神竜の死骸を出現させた。
地響きを上げて横たわる巨大な竜の死骸に、大人は歓声を上げ、若者は憧れの視線を稀代の英雄にそそいでいる。
子どもたちは恐怖もないのか、巨竜の死骸に近付いて好奇心を満たしている。
古来より、何千年と生きる偉大な竜の生き血を浴びると無敵の肉体を手に入れると伝承されている。
そのために竜に関連する物は王族や貴族など、金持ちの子どもの御守りとして用いられる。
竜の鱗などは、たまに市場に流れるものの、竜の死骸がまるまる手に入ることはない。
まして数千年も生きた神にも等しい竜の死骸である。
普通の竜の鱗1枚ですら、1千万リラはする。幾らの値が付くか分からない。
庶民の1ヶ月の生活費は10万~15万リラなので、いかに高額かは理解できるというものだ。
竜の鱗は薬にもなるので、普段は御守りとして持ち歩き、重い病気などになった時に薬として使われるのだ。
「すげぇぇぇぇぇ! お父さんはホントに強かったんだね!」
「ブラッドがうらやましいなー!」
「あんなお父さんがいてよかったね! ブラッド君!」
友達の称賛が照れくさいのか鼻を擦っている。しかし嬉しそうな表情は隠せないのが幼い子どもらしい。
「おかーしゃんのいったことはウソじゃなかったのです! おとーしゃんはスゴいの!」
母親の手を掴んでぴょんぴょん跳ねるシャーロットは、喜びを全身で表していた。
「ハッハッハッ! そうだろそうだろ! お父さんは世界最強だからな! お母さんとシャーロットたちは俺が守ってやるからな!」
シャーロットが飛び付いて父の首に腕を回す。まさに英雄に恋する乙女の表情だ。
そんな父娘を隣で見守るフィーリアの顔は幸せでいっぱいである。知らない人が見たら結婚するのですか? と訊きそうな可愛らしい微笑みだ。
「さてと、そろそろ屋敷に帰ってリアのメシが食いたいな。腹ペコだぞ」
愛する妻にキスをして腹を擦るところは、とても国を滅ぼす邪神竜を退治してきたあとには見えないだろう。散歩に出掛けた帰りのようで微笑ましい家族だ。
「ただいまー!」
「シャーロットもおなかすいた~!」
子どもたちの元気な声に、屋敷の門番たちはニコニコしながら門を開けた。
「旦那様、奥様、坊っちゃん、お嬢様、お帰りなさいませ!」
「いつもご苦労様です。夫も無事に帰りました」
門番にも声を掛けるフィーリアは、80人の使用人にかしずかれる金持ちらしくない。
妻のそんなところがレオンハルトは大好きだった。
他の家令や執事、メイドに出迎えられて、一家は食堂で食事を摂る。
「お父さんの冒険の話を聞かせて!」
「シャーロットはおかーしゃんとのおはなしがききたい!」
レオンハルトとフィーリアは顔を見合せて大笑いした。まるで昔の自分たちを見ているようで懐かしそうだ。
「そうだな。今日は夜更かししないで早く寝るって約束できるなら話してやるぞ?」
これを期に躾をすることにしたらしい。レオンハルトは普段遊んでばかりなので、尊敬を得られたことを最大限活用したいのが、いたずらっ子のような顔から透けて見える。
「僕は約束する! シャーロットもだよな?」
「おにーちゃんがやくそくするならシャーロットもするの!」
食後のティータイムに子どもたちの声が響いた。
その声を聴きながらレオンハルトは昔を思い出すように深く目を閉じた。
次は明日です。