彼と彼女の◯◯な約束
「また単位を落としたみたいですね。どれだけクズなんですか? 先輩は」
大学のカフェテリアで、目の前に座っている一つ歳下の彼女から言い放たれたのは、目の覚めるような罵倒であった。
そのあまりの容赦のなさに、僕は思わず飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。ぐっとこらえ、熱いものを喉に通らせてカップを置く。
「またって。まだこれで2つめだよ」
「1つ以上落してる時点でアウトですよ。その上、2つ落としてるのにその言い草はカスの所業ですね」
淡々と酷いことを言う目の前の女の子を相手に、しかしそれが正論なだけに言い返すこともできず、僕はただ項垂れていた。
一つ下のこの女の子は、現在同じ大学に所属している後輩で、僕が付き合っている人だ。だが実際、彼女は歳の差を毛ほども感じさせない辛辣さと、とても付き合っている恋人同士とは思えない毒舌を度々僕に放ってきており、甘い関係とはちょっと言い難い。少なくとも僕は節々でそんな風に思っている。
「それが恋人に対する言い草かよ、とでも言いたげな目をしていますね」
「そ、そんなこと思ってないよ」
声が上ずった。彼女はしっかりと僕の脳内を見透かしており、ゴミを見るみたいに冷え切った視線を投げている。
「今の先輩は恋人でも上級生でもありません。ただの社会のゴミです」
おお……本当にゴミだと思われていた。
「返す言葉もないよ……」
「本当にそう思っているんですか? じゃあ何故レポートで手を抜いたんですか? どうしてテスト勉強を疎かにしたんですか? まさか単位が空から降って来るとでも思っていたんですか? 先輩? 答えてみて下さい。本当に反省してるんですか?」
テーブルを挟んで対面している彼女から、矢継ぎ早に質問の形をとった糾弾が飛んでくる。午後の大学構内のカフェテリアに人影は少ないものの、彼女の質問攻めで近くのテーブルにいた女性数人がちらりとこちらに視線をやった。
あまりの詰問に、ちょっと自己弁護をしたくなる。
「2回生ってちょうど弛む時だから。いやー、僕も1年生の時はやる気に満ちてたなあ。ははは」
「それがこんなカ・スになってしまったんですね」
乾いた笑いは、彼女の一刀両断で急速にしぼんでいった。
ふう、と一息ついて彼女は自分の分のコーヒーに一口つけた。
「実際問題、先輩が怠惰故に落単したことは分かっていますが」
「まあ自明のことだね」
「ちょっと黙っててください」
口を挟むことも許されなかった。今日の僕の立場は弱い。
「幸い、この大学には夏休み中の補修を受け、秋口にある補講テストで良い成績を収めれば後期の単位に本来の2分の1ほど単位が加算されるようになっています」
よく知ってるね、そんな敗者救済の仕組みを、などとは言わなかった。どんな棘が飛んでくるか分からない。黙って聴く。
「先輩にはそ・こ・に・重点を置いてもらいます。もちろん、分かってますね?」
こっくりと頷く。夏休みを目前に控えた7月下旬現在。8月の夏休みを犠牲にすれば足掻くことが可能なのだ。それに、全力を注ぐ。
僕の首肯を確認すると、彼女はカップの中身を一気に呷った。
ことん、と置いて。
「まったく。今回ばかりは先輩が全面的に悪いですよ」
口を尖らせた彼女の舌鋒は今までより幾分和らいでいるように見えた。そのタイミングを見計らって謝罪を差し込む。
「本当に、ごめん」
「では、私がどうしてこんなに怒っているか分かりますか?」
考えたこともなかった。
「僕が、情けないから……?」
「それもありますが、本質的には違います」
じっと正面から無言で僕を見据えてくる。これは当ててみろ、と言うことなのだろうか。だが、生憎と彼女が怒る他の理由に見当は付かなかった。
黙っていると、対面の彼女から深いため息が吐き出された。ちょっと言いにくそうな様子だ。
「あなたが夏休み中に補修を受けていたら、遊べないじゃないですか。一緒に」
「ああ、そっか」
なるほど。
「そっかじゃないです。私にとっては死活問題です」
この子は、補習と言う挽回のチャンスを僕に逃させてまで一緒に遊ぶことができなかったんだ。きっちりしてるから。僕の為にならないから。だから、その為に自分の希望を押し殺すしかなかったんだ。
「ぼくは、ばかだ」
「今更気づいたんですか」
「君は、とても良い子だ」
「……今更、気づいたんですか」
来年の夏は、絶対に単位を落とすわけにはいかない。