名も無き唄 -The Secret Song- ―前編―
小鳥のさえずる声がする。
まぶた越しに入ってくる光によりエレンは目を覚ました。
ベッドが良かったおかげか、昨夜はとても良い夢を見れた気がする。
とは言っても内容はおぼろげにしか覚えていないのだが。
部屋にある入り口とは違う扉を開けた。
昨日は気が付くなかったが、この扉の向こうは洗面所になっていた。
そこにはトイレ、バス、水道が付いている。
水道の蛇口を捻ると、透明な水が出てくる。手で触ってみると、思った以上に冷たい。
その水を手に取り、顔を洗う。
タオルで顔を拭うと正面に自分の顔が映った。
鏡などどのぐらいぶりに見るだろうか。
だがそこに映った自分の顔は以前に見た時よりも健康そうだった。
昨日、しっかりと食事をし、お風呂に入り、ぐっすりと寝たおかげであろう。
いや、気のせいかもしれないのだが。
トイレを済ませ、部屋に戻るとメイド服の少女が窓を開けていた。
「おはようございます」
エレンの姿を確認すると、ダルクは頭を下げ、挨拶をする。相も変わらず、彼女は優雅だ。
「おはようございます」
と、エレンも挨拶をする。
ダルクは窓を開け終わると、エレンを化粧台の前へと座らせる。
「失礼します」
そう言い、ダルクは髪へと櫛をかけた。
彼女が黙々と髪を梳かすのを鏡越しに見つめるエレン。
彼女の手つきはとても手馴れているようだ。丁寧かつ優しい。
他人に髪を繕ってもらったのは、いつぶりだろうか…………良く覚えていない。
だが、最期にしてもらった人物が母である事は覚えている。
しばらくするとボサボサだったエレンの髪もすっかり真っ直ぐになった。
いつもは途中で跳ねてしまう髪が今日は綺麗なのは、
昨日お風呂で付けた泡の良く出るシャボンのお陰なのかもしれない。
次に姿見の前で着替えさせてもらう。
彼女がクローゼットから取り出したのは真紅のドレスであった。
こんなドレスを着ているのは貴族のお嬢様方だけだ。
そんな服を着せてもらっていいのか、自分に似合うのか、などとエレン考えてる。
しかし、そんな彼女の考えなど微塵にも気にせずに、ダルクは黙々とドレスの着付けを行う。
彼女が最後のリボンを結び終え、鏡に映る自分の姿を見て、エレンは驚いた。
そこには別人が映っているのだ。
いや、それは正真正銘自分自身なのだが、そうは思えなかった。
鏡の向こうのドレスを纏う少女は、まるでどこかの国のお姫様がいるようにさえ感じられたのだ。
エレンはダルクがいるのにも関わらず、
鏡の前で、手を上げてポーズを取ってみたり回ってみたりした。
鏡はそれに応えるようにエレンの姿を映し出す。
その様子を見て、鏡の中のお姫様が自分であると認識するのであった。
「朝食の準備が整っておりますので、食堂へご案内します」
そう言い、ダルクは小さな箱を取り出す。そこにはドレスの色と同じ紅いヒールが入っていた。
ヒールは劇団時代に良く履いていたので慣れていたつもりだった。
しかし、今までは居ていた靴とは感覚が全く違う。
それはそうだろう。
今までエレンが履いてきた靴は、大人から譲り受けたものばかりで
彼女の足にフィットする物は少なかったのだから。
しかし、今用意された靴は明らかにエレンの足のサイズを考慮して用意されたものだ。
履きやすいに決まっている。
自分用の靴まで用意してくれる心遣いにエレンは人知れず感謝をするのであった。