死闘
その日の午後、ヴァロードは馬車に揺られ、任務地を目指して街道を走っていた。
窓からは小雨がパラついて辺りの空気を湿らせている。
こんな様子じゃ、街探索を切り上げて良かったと思う。
雨が降ってきたら、おそらくオリビアは煩いだろうから。
そして現時点で煩いのが――――
「勇者さん。聞いてますか? あたしの華麗なる冒険談を」
一緒に馬車に乗り合せている案内人の少女だ。
先ほどから自分の武勇伝を語りっぱなしだ。
ヴァロードは話を耳に入れる様子を示さない。
そんな勇者へ、少女の不満は少しずつ溜まって行っているらしい。
「ああ。せっかくの任務なのに、あたしと勇者さんだけなんて。隊長の下で働きたかったですぅ」
「隊長は居ないのか?」
「そうですよ。隊長だけでなく、他のみんなも。王都の方でなんか兵を集めているみたいで――――
まったく、あたしと隊長を引き離すなんて、王様もどうにかしてます」
ずいぶん私事な話だが、気になる部分がある。
この少女は街を警備する兵の筈だ。
なのに、遠くの街道までわざわざ派遣される理由が分からない。
魔物の出る街道には所々に詰め所が設けられ、
少しぐらいの魔族には抵抗できるようになっているというのに。
それに兵が王都に集められたというのもおかしい。
こんな田舎街の兵を集めるほどなのだから相当な事が起こっている。
戦争、あるいは、魔王の討伐か――――
「というか、お前は招集されなかったのか?」
「うっ…………まあ、そういうことになりますね。
で、でもそれは、私は町に必要な人材ということで。べ、別に経験不足とかじゃ――――」
「なるほどな」
ヴァロードの思った通り、目の前の少女は兵になってから大した時間も経ってないのだろう。
ヴァロードの見て来た女剣士はもっと逞しく、その言動も自信に満ち溢れていた。
魔物が出て、自分が戦う分には構わない。だが彼女が中途半端に戦い、自分の足を引っ張るのは勘弁だ。
戦略を頭に浮かべようと思うのだが――――
「隊長って本当に恰好いいんですよぉ。強くて、逞しくて、そして何より渋くて――――」
今度は自分の憧れの人について話し始めてしまった。
全くもって集中できない。少しは黙って欲しいと思い、ひたすら窓からの風景を眺めるのであった。
街道は森の脇に差しかかる。そこでヴァロードはあることに気付いた。
森と道の境目に置いてあるフェンスが喰い破られているのだ。しばらく修繕した様子も無い。
これでは魔物が侵入して来ても仕方がないだろう。
「うわぁ…………思ったよりも酷いなぁ…………」
現状を把握してなかったのか、ガイドもそんなことを口にする。
こんな所を馬車で走っていれば、魔族の恰好の獲物になってしまう。
ここからは歩いていくほう好ましいだろう。
「そろそろ降りるぞ」
「は、はい! 了解です!」
緊張した声を彼女は出す。おそらく現場の惨状を見て、急に怖くなったのだろう。
「騎手とお前はここに残れ。俺の仕事だ」
「へ、へい」
馬車を運転していた中年の男はそう返事をする。だが、少女の方は、
「だ、ダメですよ! 私の任務には勇者さんの仕事ぶりを報告する事も含まれているんです」
不正を行い、仕事を誤魔化す勇者も稀にいるらしいが、
こんな少女に査定を任せると思うと、正直、気が乗らない。
それ以上に彼女が戦う気満々であるのが気に食わない。
経験が浅い者が戦えるほど、魔族という存在は甘くない。
戦闘に特化するために生まれてきた勇者さえ、舐めてかかれば痛手を負う。
まして普通の人間なら死闘となるだろう。
「絶対に俺より前に出るな。そして俺の指示には従えよ」
「わ、分かりましたよ。そんな怖い顔しないで下さいよ…………」
気を張った勇者の覇気に押され、少女は少し怯えた顔をした。
「よし。行くぞ」
そんなことを気にせずにヴァロードは馬車を降りる。
街道はぬかるんでいる。恐らく魔族の襲来により、道を補修していないのが原因だ。
こんな足場じゃ戦い難い。雨で視界も悪い。勇者サイトからすれば最悪の環境だ。
こんな状況で後ろの少女を守れるのか――――
「うわぁ…………靴に泥が……後で洗わないと」
勇者の考えを全く汲み取ってくれず、少女はどこかのん気だ。
プレートを付けているが中身は十代の少女であり、まだ死闘へ向かう自覚が無いらしいが。
その手に握った槍を重そうに抱え、勇者の後を懸命についてくる。
舗装されていない道をしばらく行った所で、ヴァロードは手を出し、進行を止める。
「えっ? なんですか?」
「静かに――――」
少女が口を止めると、辺りには雨の降る音だけが聞こえてくる。
しかし、それに紛れ、獣の足音がするのをヴァロードは聞き逃さなかった。
「っ! 走れ。後ろだ! 引き返せ!」
「えっ? ええっ!」
急な言葉に少女は動揺し、その場を動かなかった。
「ちっ!」
舌打ちをするヴァロード。予想はしていたが指示に対して鈍い。これじゃ、囲まれる。
「くそっ! 覚悟決めろ。武器を構えろ!」
「は、はいっ!」
勇者の尋常じゃない様子に押され、彼女はやっと自分の現状を理解した。
二人が武器を構え終えた時、森の奥から何かが飛び出して来た。
目の前に現れたのは青褐色の獣。身体の大きさは犬ぐらいだが、その顔に目は一つのみ。
口の中から見える牙は鋭い。
正面に三体。そして背後に二体。やはり囲まれた。
「おい。一斉に飛び掛かってくるぞ。正面の一体に集中しろ。首を守れ」
「え、えっと…………」
三つの事をいっぺんに言われ、少女は混乱しているらしい。
だが、この状況で構っている余裕も無い。
来た――――獣は跳躍し、二人へと襲いかかる。
タイミングはほぼ同時――――だが、勇者にしてみれば隙がある。
ヴァロードは正面の一体を切り落とした後、二体目を蹴り飛ばす。
そして三体目の攻撃は回避する。一瞬で三つのことをする。そしてその目は背後の少女に向けられた。
少女は言われたように正面の一体に槍を向けた。しかし、寸での所で目を背けたらしい。
刃先は獣の腹をかすめるだけで、その獣の勢いは止められない。
「きゃあっ!」
体当たりされた彼女は泥の上へと倒される。プレートがあった為、爪による致命傷は負ってない。しかし、獣はその隙を逃さない。
すぐに首元へと噛みつこうと馬乗りになってくる。
「うわああああっ!」
牙を槍で止め、懸命に急所を守る。しかし、同時に足に痛みを感じた。突如現れた二体目がその鋭い牙を食いこませたのだ。
「がああああっ…………」
少女の激しい、苦痛の声にヴァロードはフォローに回る。
卓越した筋肉を生かし、剣を投げる――――
回転した剣は少女のすぐ上を通り抜け、獣の頭を切り落とし、二匹目へと突き刺さった。
ヴァロードの機転により、少女は難を逃れた。しかし――――
「ぐっ!」
剣を投げた隙に二体の獣が勇者の肩と右手に噛みついたのだ。
背後からの攻撃、しかも唯一の武器である聖剣は自分の届く距離には無い。
「勇者さんっ!」
少女は勇者を助けようと駆け寄ろうとする。しかし、噛まれた右足は動いてくれない。
槍を杖にして身体を起こす事がやっとだ。
身体を起こしている間にもヴァロードの身体には深く、牙が突き刺さるのだ。
「ちっ!」
最後の手段と言わんばかりに、ヴァロードは後ろに跳び、そのまま背中から地面へと落ちる。
さすがに潰されたくはないと、獣たちは下敷きになる前に勇者の身体を離れた。
その為、まともに背中から地面へ落ちたヴァロードは背中の衝撃に「ぐっ」と小さく声を上げる。
だが、休んでいる暇はない。すぐに起き上がり、獣と距離を置く。
目座すのは聖剣――――必死に地を蹴り走る。その足取りがおぼつかないのは、
肩と右腕に出来た大きな傷のせいであろう。
獣も剣を取らせまいと、懸命に背中を追う。ぬかるんだ地面ではブーツより剛毛の四足の方が早い。
追いつかれれば、さらに傷を負う。今度は致命傷になるだろう。
「勇者さん!」
声の主は少女だ。渾身の力で獣の亡骸から剣を抜くと、それをヴァロードの方へと投げる。
コントロールは悪い。しかし十分だ。
空中で剣を取ったヴァロードは逆手で追手をなぎ払う。その刃は見事、獣の急所を捕えていた。
ゴポリ――と血を吐き、二体の獣は地へと倒れる。
窮地を脱したことから、勇者の口からは安堵のため息が漏れた。
「大丈夫か?」
「は、はい…………なんとか」
少女はズルズルと槍を伝い、地面へとへたり込んでしまった。余程無理して立っていたのだろう。
「傷を見せろ。治療を――――」
言葉を言い掛けた所でヴァロードは背中の方向を向く。
「あっ…………そんな…………」
少女の目に映ったのは、数体の獣であった。しかも、先程、倒した数よりも多い。
その中央に陣取る獣は格別大きい。おそらくは獣たちの親、もしくはリーダーだろう。
口から涎を流し、二匹の獲物を狙う。その目に怒りの感情が宿っているのは明確だ。
「いいか。もう少し我慢して走れ。ここは俺が喰い止める」
ヴァロードは獣を刺激しないように耳元で囁く。
「で、でも勇者さん。その傷じゃ……」
肩から右手すべてを赤く染めている勇者の傷は浅くは見えない。しかも相手は多数。
いくら勇者が強いと言ってもどちらに軍配が上がるかは簡単に計算できる。
「いいか。ここに居たらどちらも死ぬ。お前だけでも行け」
「で、でも…………」
「いいな。俺を犬死させるなよ!」
少女の返事を聞かずにヴァロードは走り出す。左手で剣を振り、獣を威嚇する。
「ごめんなさいっ!」
その姿を見た少女は槍を持ち、懸命に戦場から離れていく。背後からは獣の咆哮。
それは自分を逃がさないと言っている様にも聞こえる。
だが振り向かず、距離を離す事だけを意識する。右足は焼ける様に痛い。
しかし、自分を守ろうとした勇者はそれ以上の傷を受けているのだ。
諦めて足を止める訳にはいかなかった。