愚かな理
魔王に案内されるまま、森の中を歩くと、目の前に城が見えてきた。
以前に見た魔王の城よりはずいぶん小ぶりではあるが、それでも城は城だ。かなりの大きさがある。
こんな目立つ建物が世間に知られていないのは、あの結界のお陰だろうか。
「どうじゃ、妾の城は立派であろう」
「ああ。そうだな。外壁は崩れて、窓はツタだらけだがな」
「そ、そこは修理中なのじゃ! 妾は色々忙しいのじゃ」
「そうか。で、入って大丈夫か?」
「ん? 中はしっかりしておるぞ?」
「そうじゃない。俺は一応勇者だから。眷族が襲ってきたりしないよな?」
「その心配はない」
彼女はきっぱりと断言する。その自信はどこから来るのか分からないが、とりあえず信じるしかないようだ。
ヴァロードは手で城の戸を押し開ける。
ギイイイイィ――
木材特有の鳴き声を放ち、扉は開いた。中から吐き出された空気は少し埃っぽい。
扉を開けた先はエントランスホールになっている。
赤い絨毯が細長い通路に延々と敷かれているが、どこか汚い印象を受けてしまう。
おそらく年月の経過で黒ずんだ色がそう感じさせるのだろう。
「どうする? とりあえず寝室にでも行くか?」
「え? ちょ、ちょっと。妾の寝室を覗く気か?」
「ダメか?」
「い、いや、綺麗にしてはあるが……宿敵に寝床を見られるなど、屈辱じゃ」
誰の腕の中でその台詞を吐いているか分からないが、とりあえず彼女の意思とは関係なしに寝室へと運ばせてもらうことにした。
長い廊下を歩き、階段をいくらか上がる。
そしてある部屋の前に辿り着いた。ここだけは埃が少ない。
恐らくは毎日使われている部屋なのだろう。
「き、期待するではないぞ」
「ああ。開けるぞ」
片手で彼女の身体を支えながら、ヴァロードは青色に塗られた扉を開いた。
寝室。その名の通りの部屋だ。ここは。しかし、大きさは予想外に小さい。
ベッドとクローゼットがあるだけで質素な印象を受ける部屋だ。
「よっと」
彼女をベッドに降ろし、自分はそこにあった椅子へと腰掛ける。
「とりあえず、着替えをしたいのじゃが…………」
「ん?」
「その…………」
「ん?」
「だから! 妾が着替えると言っておるのじゃ! 早く退くのじゃ!」
「あっ、悪い。ごめんな」
ヴァロードはハッとして椅子を立ち上がる。
「まったく……妾をなんだと思っているのじゃ…………覗いたら、殺すからな」
今までで一番殺気を感じた言葉を聞き、ヴァロードは大人しく部屋を去った。
廊下に出た彼は部屋を覗くことなく、壁にもたりかかった。
ふと手を見ると、薄らと積もった埃に触れていることに気が付く。
この量は一朝一夕で積もるものではない。恐らく何十年という時が作り出したもの――――
そして城に入ってからは何の生物の気配も感じないのだ。これも異常なことだった。
普通魔王ならば配下の魔族を従えていてもいいはずだ。しかし、この城には彼女しかいないのだ。
静まり返ったここの空気がそう言っている。
一人で広大な城にいるのはどういう気分なのだろうか。
寂しくはないのだろうか――――
「入って良いぞ」
考えを巡らせるうちに部屋の中から声が聞こえてきた。
導かれるように部屋に入ると、魔王の少女が衣装を替えてベッドの端へと座っていた。
先ほどの緋色のドレスからすればかなり質素な恰好だ。魔王というよりは下町の少女に見える。
「…………妾、どこか変な所があるか?」
「いや、ないな」
どうやら見慣れぬ服装の魔王に見とれてしまったらしい。ヴァロードは目線を外し、そう答えた。
「し、仕方なかろう! ドレスの替えは持っていないのじゃ! そうでなければ、こんな服装など――」
恥じているのか彼女は顔を赤くしてしまっている。
「あー。ま、傷の手当てでもするか」
話題を変えヴァロードはそう切り出す。そうでなければ、目の前の魔王はまた喚き始めそうだったから。
「見せてみろ」
「嫌じゃ」
子供のように彼女は駄々をこねる。ちょっとカチンときて、ヴァロードは睨みを利かせる。
「うっ…………そ、そんな怖い顔しても嫌なものは嫌なの! だって痛くするんでしょ?」
完全に医療を怖がる子供だ。
ヴァロードはため息をつきながら、バックパックからビンを取り出した。
そこには緑色の液体が入っている。これは彼が独自に調合した薬であった。
実際の用途は魔法傷の治癒用だが、傷薬としても十分に効果がある。
「うう…………それを塗るのか?」
「大丈夫。痛くはない」
「ほんとか――――いたあああああああっ!」
「嘘だ。結構、沁みる」
「くぉのおおおおおっ!」
涙を浮かべながら、彼女はヴァロードを睨む。
しかし、そんなことを気にせずに彼は膝へと包帯を巻いてやる。
「すぐに治るはずだ。実際、大した傷ではないからな」
ヴァロードはバックパックに薬をしまう。
「じゃあな」
そして、後ろ手を振り、部屋を出ていこうとする。
「待つのじゃ!」
勇者を呼び止める魔王。
「お主はどこに行くつもりじゃ?」
「おつかいの途中なんでな。急ぐんだ」
「おつかい? それはなんじゃ? まさか……我が城の宝を――」
また殺気立つ魔王。しかし、ヴァロードにそんな気は毛頭ない。
というか、この古城にそんな宝が眠っているとすら考えなかった。
「心配するな。モルフィン草を探しているだけだ」
「モルフィン草?」
「ああ、薬草に使われる緑色の草でギザギザした葉が特徴的だ」
「ああ。それならば、この城の周囲に生えているが」
「おっ、そうか。助かった」
「あの草をどうするつもりじゃ? 森を荒らすようならば――」
「心配するな。数本貰って行くだけだ」
「そうか……それなら良いのじゃが」
そう言ったものの魔王の瞳には不信が浮かんでいる。まあ、そう思われるのは仕方がないだろう。
「なんなら、一緒に来るか? 今度はおんぶしてやるぜ」
「え、遠慮しておくっ! まったく、さっさと去れ」
冗談だというのに、彼女は頬を赤らめ怒りを顕わす。
そんな魔王を面白がりながらヴァロードは笑顔でその場を後にしようとする。
「ま、待て!」
また声に呼び止められた。一体なんだというのだ? 魔王はモジモジしながら彼の足元を見て、こう言った。
「さっきの質問の答えを聞いていないぞ」
「質問?」
ヴァロードは首を傾げる。その動作に魔王は激昂する。
「何故、妾を殺さないのじゃ! それに何故、助ける?」
毛布の端をギュッと掴んで魔王はヴァロードへと言い放つ。
「それとも、殺す価値も無いと申すのか!」
「…………死にたいのか?」
「えっ…………?」
ヴァロードは瞬時に剣を抜くと、ベッド上の少女の首元に切っ先を当てる。
魔王は一瞬何が起きたか分からなかったようだ。キョトンとした目をしている。
そしてすぐに事態の急変に気が付き、ギョッとした目で、首に当てられた銀色の剣を見つめている。
彼女の息遣いだけが静かに響く。いつもより早い呼吸。それに伴い心音も速く強く鳴る。
「確かに……俺の本能はお前を殺せと言っているらしい。だが――」
ヴァロードは剣を魔王の首から静かに離す。途端に彼女は深いため息をついたのだ。
「俺はそんな陳腐な本能に左右されるほど愚かじゃない」
言葉を言い終え、彼は剣を鞘へとしまう。
「はぁはぁはぁ…………」
窮地を味わった魔王は冷や汗で震えている。
だが、その眼は先ほどより強い光でヴァロードの顔を睨みつけている。
「どうだ? お前の本能も俺を殺したいと言っているのが分かるだろう」
ヴァロードは些か冷やかに彼女へと言葉を掛ける。
たった二人の勇者と魔王、小さな部屋の中に対峙する両人の間には世界の理が確かに存在するのだ。
「くっ…………」
魔王は自分の本能と向き合っているのか、ギュッと拳で毛布を掴み、唇を噛む。
「その程度の理由だ」
ヴァロードは改めて後ろを向く。そして三度目の退室を試みる。
「ヴァロード。このままでは済まさんぞ! 妾に借りを作ったのだ。もう一度逢いに来なければ許さんぞ!」
「いいのか? お前は俺を殺したくなるのかもしれないぜ?」
「――馬鹿にするでない! 勇者ごときに耐えられた本能に妾が押しつぶされるとでも?」
「そうか…………では、そのうち寄らせてもらおう」
魔王の顔を見ることなくヴァロードは部屋を出るのであった。