勇者? と 魔王?
雰囲気が変わる――
そう思ったのだが、森の様子が大して変化しない。
強いて言えば人が入らないだけあって木々が野性的に生い茂っていることだけだ。
魔族の里があるとでも思ったのだが、思い違いだったらしい。
おそらく結界を残し、ここを住居としていたモノは去ったのだろう。
しばらく辺りを散策した後に、ヴァロードは本来の仕事を思い出し、早足で森の中を移動する。
石があった所から十数分歩いた所で彼は止まる。目の前の景色が彼の足を止めたのだ。
森をくり抜いたように一面に花畑が広がっている。そこはまるで楽園のようであった。
「薔薇か…………」
屈んで一房の赤い花を鼻へと近づける。鼻腔からは甘いような酸っぱいような香りが巡る。
それはヴァロードにとっても懐かしい香りであった。
「――――――」
風に乗り、匂い以外の何物かを感じ取れた。何かが聞こえてきたのだ。
耳を澄ますとその音が唄であることに気が付く。花園の中に誰かが居るらしい。
ヴァロードは唄の主を探すために庭園を進んでいく。
その左手は腰にかけた剣の鞘に触れており、陽気な唄を聞いているというのに酷く気が落ち着かなかった。
そして、見つけたのだ。唄を歌いながら花へと水をやる少女の姿を。
緋色のドレスに金色の髪、頭に結んだ蒼のリボン。人間にしては可憐すぎる容姿に目を奪われだ。
成長すればさぞかし美人になることだろう。
しかし、彼女は人間ではないのだ。この美しさも偽りの物かもしれない――――
「おい」
「ラララ――ん?」
ジョウロを持ったまま、彼女はヴァロードの方を向く。
彼女は突然現れた男を目にし、手からジョウロを垂直落下させる。
目は見開き、まるで人間を警戒する猫のような顔をしている。
二人の間には何も隔てるものは無かった。だが、空間が運ぶのは沈黙と湿った空気だけ。やけに静かだった。
数秒の沈黙の後、少女が先に口を開けた。
「あ、あなた…………まさか、ゆ、勇者?」
名乗ってもいないのに彼女はヴァロードの正体を当てて見せた。恐らく魔王としての本能がそうしたのだろう。
「ああ。勇者だ。名はヴァロード」
ヴァロードは名を名乗り、少女の顔をじっと見つめる。
少女は目をひそめ、勇者の顔を睨んでくる。あどけなさが残るその表情だが、油断なくヴァロードは構える。
「妾は魔王、オリビアじゃ」
少女はそう名乗る。ヴァロードの予想通り、やはり魔王らしい。
「妾に逢いに来るとは愚かな勇者じゃ。死して愚行を嘆くがよい」
少女はヴァロードの方を向き、臨戦態勢に入る。
(魔力は感じないが……抑えているだけなのか? それとも魔剣使いか――)
魔王の動向を探る為、ヴァロードは動かない。
向こうもヴァロードの動きを見るようにしてじっとその場に立っている。
(ん? 足が震えてる?)
目の前の少女は両足をプルプルと震わせている。
やっと地面に立っているその仕草はまるで動物の雛のようであった。
「隙ありじゃ! 死ねぇっ!」
「っ――――しまった!」
魔王が手をかざすと空中へと赤い火の玉が生成される。
そして、ヴァロードの身体に向かって飛んでくる。油断したせいで反応が一瞬遅い。
当たる――――
強力な魔王の攻撃であればヴァロードは消し炭になっていたはずだ。
しかし、こうしてヴァロードはここに平然と立っている。
なぜなら生成された火の玉は空中で分離し、ターゲットへと届く前に消えてしまったのだから。
「…………あれ?」
目の前の魔王は疑問を呟いてしまった。どうやら自分で思った以上に術がうまくいかなかったらしい。
「ふ、ふん。今のは練習じゃ! こ、今度はこれじゃ!」
「ああ……」
彼女はしゃがみ込み、地面へと手を付ける。
「闇の底に住む一族よ。我が声を聞け。そしてその力を示すが良い。魔王の名はオリビア――」
「召喚か!」
ヴァロードは先ほどよりも一歩半下がり、剣を抜く。
なぜなら召喚は高等魔術の部類に入り、術者が高度ならば魔王にも匹敵する生物を呼び出せるのだから。
風が巻き起こり、薔薇の花が飛ぶ。そして現れたのは――――
「さあ、ケルベロスよ! あやつを倒すのじゃ!」
「ふにゃ?」
ケルベロスと呼ばれる生物は小さい。そう、まるで紫色の子犬のように見える。
「行け! ケルベロスよ!」
「ふしゅぅぅぅ…………」
やる気になったのか、ケルベロスはヴァロードに牙を向ける。
地面を疾走する小獣、そして飛躍、そして空振り、そして号泣――――
「ふにゃあああああ!」
ケルベロスは自ら地面にぶつかり泣き声を上げた。
犬の外見をしているのに猫のように鳴く、その声は同情を誘う。
「なっ! 勇者め! よくも妾の配下を」
「悪い。いきなり飛び掛かってくるもんだから、避けっちまった」
「お、おのれ…………もういい、ケルベロスよ、戻れ」
魔王がそう言うとケルベロスは彼女の足元へと戻る。
「こうなったら、肉弾戦で…………いや、でも―――――」
ブツブツと何か呟く魔王に対し、ヴァロードは半ば呆れてしまった。
思考が決定するまで時間をやろうとも思ったが、こちらとて時間を無駄にできないことを思い出した。
「そろそろ、いいか?」
「ひぃっ!」
声を掛けると、魔王はビクッと身体を震わせる。
「きょ、今日の所は引いてやる。ありがたく思うのじゃ!」
そう言って彼女は後ろを向きそろそろと歩いて行く。
その足元にはケルベロスがすがりついている。
「おい」
「に、逃げるのじゃ!」
突然走り出したのがまずかった。先ほど捨てたジョウロに足を取られ、彼女は派手に転ぶ。
さらに運が悪い事にそこの地面はジョウロの水で湿って泥んこになっている。
「ううう…………もう、どうして…………」
泣き目になりながら、彼女は立ち上がる。
しかしその服は泥だらけ。膝からはうっすらと血が滲んでいる。
「大丈夫か?」
「ぐすっ……もうヤダよ…………魔王になんか慣れる訳ないもん…………なんで勇者なんて来るのよ」
ボソボソと彼女は何かぼやいている。
「おい」
「ひぃっ!」
また怯えた表情をとる。そんな彼女を相手にヴァロードの闘志は完全に消え失せていた。
「こ、来ないで! わ、私、悪いことなんてしてない」
先ほどまでの言葉使いも忘れたのか魔王は人間の少女のような言葉使いでヴァロードを見上げてくる。
その瞳からは今にも涙が落ちそうである。
「ふぅ…………」
ヴァロードは剣を納め、鞘から手を外すと、彼女へと手を伸ばした。
「ほら」
「えっ?」
「立てよ。そのままで居るとドレスが染みになっちまうぞ」
「…………殺さないの?」
怯えたまま彼女はそう言った。
「はぁ?」
だがヴァロードは首を傾げる。
「だ、だって、あなたは勇者でしょ? 私、いや、妾は魔王じゃ、なんで殺さないの?」
魔王言葉と人間言葉が混じっている彼女を思わず笑ってしまった。
「な、なんじゃ、急に失礼なやつじゃ!」
「いや、悪い、悪い……変な魔王だなって思ってな」
「変とは何よ! 失礼ね!」
「くくく…………いや、悪い。本当に人間の餓鬼みたいだわ」
「くううううう…………」
魔王は悔しそうにヴァロードを見上げるが、その表情も可愛らしい。
魔王というよりは、おてんばな姫に見える。
「くくく、ほら、起き上れよ」
「ありがと…………あっ! べ、別に! うん、なんでもない!」
憎むべき敵に感謝をしてしまったのが悔しいのか彼女は顔を赤らめ、俯いてしまう。
「膝、擦りむいているな。大丈夫か?」
「べ、別に、何ともない! 魔王だもん!」
魔王ならば転んだ程度では怪我をしない。そう言いかけた言葉を飲み込む。
そんなことをすれば彼女はまた怒るだろうから。
「きょ、今日の所は、引いてやる! 次は容赦しないから覚悟しておけ!」
ビシッと指をさした後、彼女は歩き出す。明らかに足を引きずっているが。
「あっ」
ドテッ――また転んだ。今度は薔薇のツタに引っ掛かったらしい。
「むぐううううう…………」
反対側の膝も擦りむいた彼女はその場にうずくまってしまう。
「はぁ…………こっちは急いでいるのにな」
ヴァロードは魔王へと背中越しに近づき、脇に手を入れ、一気に担ぎこむ。
「うわぁぁ! な、何を!」
「運んでやる。黙って家を教えろ」
彼女の身体は軽い。手からは人ほどの体温が伝わってくる。まるで人間の子供のようだ。
「放せ! 変態! 触るなぁ!」
元気な姿もまるで子供だ。
「それともここで降ろして自力で歩いていくか?」
「そ、それは嫌だけど…………そ、そういう問題じゃなくて! 私は魔王であなたは勇者でしょ?」
「ああ。そうだな」
「じゃあ、なんで私を――」
「良いから黙ってろ。ほら、コイツでも持ってろ」
身体を下げると自称ケルベロスが魔王の胸の中へと飛び込んできた。
「むう…………」
ケルベロスを抱き、彼女はやっと大人しくなる。
その顔はまだ不機嫌だが、抵抗はしない。どうやら観念したらしい。
「変な所触ったら、殺すからな!」
「はいはい」
口だけは達者な魔王を抱え、勇者は歩き出した。