勇者のお仕事
王都を出てからすぐに、ヴァロードの噂は国中に広まる。
その速度が尋常ではないことから王の粘着質な手回しがあったことは明確であった。
今滞在している街同様、どの街にいってもヴァロードは人々から後ろ指を指される。
そのことは大して気にしないが、勇者としての信用が下がり仕事が入ってこないのは痛手であった。
魔王を倒すだけが勇者の仕事ではない。徘徊する魔物を遊撃するのも勇者の仕事だ。
だが、その情報が入らなければ仕事をしたくてもできない。
この規模の街では強力な魔物が現れたら立ち打ちできないというのに呆れたものだ。
(やはり、違う国に行くべきか…………)
そう思うもこの三ヶ月、ヴァロードの足はほとんど進んでいない。
勇者を受け入れてくれる国など多数存在する。出ようと思えばスターシュを出て待遇の良い国を探せる。
だが――そうすればこの国からまた勇者が居なくなるのだ。
ヴァロードもスターシュの噂はよく聞いていた。
絶対王政を盾にし、王は都市部以外にも多くの税金を掛け、農民は重い税に苦しむ生活を送っている。
そのこともあってか、国の人口は減り、放棄された田畑は荒れ果てている。
その荒れた土地は魔物の恰好の住処になるのだ。そして魔物のせいでまた人口が減る。
減った人口の分を補う為に税が高くなる。
この悪循環は民や王の心を病ませた。王がある勇者を処刑してしまったのも有名な話だ。
これらの理由で勇者はこの国にはほとんど来ない。
本当にこの国を去るべきなのか、ヴァロードは悩んでいた。
また朝が来る。彼を起こしたのは空腹であった。
昨日ろくな食事をしてないせいか胃を内部から食い荒らされているらしい。
まあ、勇者の身体は多少丈夫にできているので空腹程度では死なないが――それでも身体は食料を欲して腹を鳴らす。
仕方がないので最後の携帯食料を取りだし口に含んだ。
味気ない乾いた肉の味だけが口に広がり、胃の虫はある程度大人しくなってくれた。
財布を確認したが、路銀は殆どない。しかし、ヴァロードは早速酒場へと向かう事にする。
朝の店内は静かであった。準備中にも拘わらずマスターは店を開けてくれたのだ。
目的が飲み食いではないのでそうしてくれたのだろう。
勇者が街に来ると人々は仕事の依頼をする。その仲介役となるのが酒場であった。
仕事内容を確認し、勇者はそれを請け負う。大抵の依頼は魔王や魔物の討伐。
しかし極稀に子供の子守りなどを依頼してくる人も居る。勇者を便利屋か何かと勘違いしているのだろう。
今の状況ではそんな依頼も受け負わなくてはならないと思うと正直心が重い。
三日ほど、この酒場で依頼を待っているのだが、誰一人として依頼をしてこない。
恐らくは王の仕掛けた噂がこんな所まで広まっているのだろう。迷惑な話だ。
今日の依頼も無いものと思い諦めてかけていた彼の耳にマスターからの吉報が届いた。
「今日は依頼が来ているぜ」
マスターはぶっきらぼうにそう言うと、柱に止めてあった小さな紙をヴァロードへと手渡した。
「マスター。これを依頼したのは?」
「子供だ。十ぐらいだったかな…………服装からして貧困街のやつだろ」
紙に書いてある字は汚く、所々間違っているが――なんとか解読できる。
内容を要約すると〝弟が病気なの助けてください〟ということらしい。
報酬金は銅貨五枚。一食になるかならないかの金額だ。
(病気か…………俺は医者ではないがな――――)
「おい、マスター。この依頼を請けるぜ」
「はぁ? アンタ正気か? その程度の仕事すんのか?」
「仕事は仕事だろ」
「いいが、仲介料は払ってもらうぞ。その子供からは一銭たりとももらっていないんだからな」
まったく、ここはぼったくりバ―か。どんな依頼であれ、仲介料が定額というのだから。
「いいだろう」
ヴァロードは財布から全財産を取りだし、バーのテーブルに置く。
銀貨二枚と銅貨六枚。依頼の報酬より遥か高い料金だ。
「ふん。アンタは変わり者らしいな」
侮蔑を含んだ言葉を吐きながら、マスターは住所が書かれた紙をヴァロードへ手渡す。
これで契約完了だ。ヴァロードは軽くなった財布を胸元にしまい、酒場を後にした。
住所の場所へと行く。そこはやはり街の一角の貧困街であった。
住所に書いてあった場所には家らしきものが見える。家といっても廃屋に近い。
外装はボロボロで窓はガラスが割れ、板により塞がれている。だが、中から人の気配は感じる。
どうやら依頼主は家の中に居るらしい。
コンコン――
ノックをする。だが、家の中からは反応はない。キャッチセールスか強盗にでも間違われているのかもしれない。
「おーい。依頼を聞いて来たぞー」
仕方がないので声を掛ける。そうすると慌ただしい足音が聞こえてきた。
「勇者さま!」
「おっと!」
乱暴に開けられたドアを鼻先でかわす。ドアを開いたのは予想通りの女の子であった。
痩せているせいかかなり幼く見えるが、十歳程だろう。クリクリした目と短い茶色の毛が特徴だ。
「君が依頼を?」
「うん。そう。弟が大変なの! 一昨日あたりから熱が出ちゃって…………お医者様に見せようかと思ったんだけど、お金がないから――」
少女は藁にもすがる思いで、ヴァロードに依頼を送ったのだろう。
勇者が来てくれた喜びと弟が助からないのではないという不安がその表情から読み取れた。
「とりあえず、弟に合わせてくれ」
「うん」
彼女は家に入ると、ヴァロードを寝室へと案内する。
そこには彼女と同じぐらい、いや、さらに幼い男の子が横たえられていた。その表情は苦しそうだ。
ヴァロードは彼のおでこに手を当てる。かなりの高温が表皮を伝わってくる。
「熱以外の症状は?」
「えっと、食事を与えても戻しちゃったり、かなり多くの汗をかいたり…………あと、うわ言で寒いって言ってる」
(熱、吐き気、悪寒…………細菌性の病気かもしれないな。モルフィン草が利きそうだな)
「とりあえず、栄養のあるものと水分を取らせてくれ。あと、熱が酷いようならば、氷などで身体を冷やしてくれ」
「う、うん…………」
「俺はこれから薬を持ってくる。明日の朝には帰ってくる」
心配そうに見上げる少女の頭を撫で、ヴァロードは家を出た。
ヴァロードの足は街を出て、森へと向かう。
目的のモルフィン草は森の深部に生える草で、すり潰せば解熱鎮痛剤となる。
だが希少価値は高く、街で買えば途方も無い値段を要求されるだろう。だからこうして森へと足を踏み入れている。
森は穏やかだ。鳥たちの鳴き声だけで蠢く獣たちの気配は遠い。
どうやら魔族や魔物は居ないらしい。人工的に造られた道が奥の方まで続いている。
だがヴァロードは一種の違和感を覚えていた。
普通の人間ならば気が付かない程のごく小さな嫌悪感をも彼は見逃さなかった。
道を外れ、しばらく森の中を歩くと赤色に染まった石を見つけることができた。大きさは人ひとり分程度である。
その石が数十メートルおきに森の中へと配置されている。そこでヴァロードはこの石の役割を確信するのだ。
人避けの結界――結界とは魔力により他者の侵入を防ぐ、魔導師や魔王にとっての常とう手段である。
物理的な壁のようなものを作り出し他者を拒む結界や感覚を狂わせ、引き返すように差し向ける結界などがあるが、この結界は後者の方らしい。
簡単に言えば嫌な臭いを出して害虫を排除する虫除けのようなものだ。
とはいっても効力は殆どないらしい。まあ、この石の様子を見れば分かる。
風化や苔により魔力が削がれ、結界は脆い。あと数年も経てば、完全に消滅してしまうだろう。
ここに結界が張ってあるという事はこの奥には――――
ヴァロードは緩みかかった身体を緊張させ、石を超えて森へと入って行く。