豪炎と終焉
カーン、カーンっ!
その音にエレンは目を覚ます。だが、部屋の中はまだ暗い。咄嗟に何かが起こったのだと感じ取り、ベッドから慌てて飛び起きる。
ダルクはすでに身なりを整えにかかっている。彼女もまた何かを感じたらしい。
「大量の魔力が放出されています。おそらく、噴火は間近ですね」
「そ、そんな…………」
「私は現場にすぐに向かいます」
「私も――」
「エレンは街の人々を安心させてやってください」
ダルクは厳しい口調でエレンの足を止めさせた。
「う、うん。わかった」
彼女一人いても、街の混乱は収まらないと思う。しかし、エレンが乗ることでケンブスのスピードは落ちる。それでは鉱山に到着する時間が遅れてしまう。ダルクはそのような理由でエレンを置いていくのであった。
言葉の裏に隠れた意味を受け取り、エレンはダルクを見送った。
着替えを済ませ、エレンが外に出ると、空がいつもと違うことに気が付いた。太陽が出ているにも関わらず、外は夜のように暗い。空を仰げば厚い雲のような塊があり、そこから降る黒い雪は街を一層暗く色付けている。
「灰……だ」
この灰は言わずとも火山から来ているのだろう。家から外に出た人々はエレンと同じように空を眺め、茫然としている。
「とにかく……何が起こったのか確かめないと…………」
行く当てもないのでとりあえず広場へと向かう。彼女が着いた時にはすでに男たちが招集されていた。誰しもが不安と緊張に支配され、強張った面持ちでそこに立っていた。
「皆さん。聞いてください。空を見て分かるように、噴火はもう間近です。おそらく三日として時間は残っていないでしょう」
三日、それはダムに水を溜めるまでに最低限かかる時間である。だからだろう。男たちの間に動揺が走ったのは。
「これから堰を切り、ダムに水を張ろうと思います。慌てず指揮に従い、作業をお願いします」
「おい、待てよ! ダムはまだ七割程度しか完成してないぞ! そんなもんで街は無事なのかよ!」
男の一人から声が上がる。
「…………現時点では推測すらできません。ですがここまで来たのならやるしかありません。後は神に祈りましょう」
「ちっ…………」
男たちは不満の声を上げるも、時間が無いことに押され、足早に仕事場へと出かける。
「ど、どうしよう…………と、とにかく私も何かしないと」
一人残されたエレンは自分にできることを考える。一番先に浮かんだのは、孤児院の子供たちの顔であった。小さい子供たちはこの事態にうろたえているに違いない。目的地が決まったエレンの足はすでにスラムへと向かっていた。
「あっ! エレン」
孤児院に行くと、ジョシュがすぐに出てきてエレンを迎えてくれた。
「他の子は?」
「ああ、大丈夫。ほら」
室内に閉じこもっているとばかり思っていたが、子供たちは中庭に集まり、空を眺めていた。その顔は何故か笑顔に満ちている。
「あっ、エレン! 見て見て、雪が降ってきた!」
灰を被り、彼女らはすでに灰色に姿を変えている。だが、その笑顔だけは曇っていない。
「うん。そっか。良かったね」
心配に反して、子供たちはいつも以上に元気であった。そんな様子を見て、エレンは安堵する。
「エレン。あそぼ!」
子供たちは我先にとエレンへと抱きついてくる。
「ごめんね。私やらないといけないことがあるの」
「えーっ」
「ジョシュ。この子たちをお願いね」
「うん。分かった」
「じゃあ」
「エレンも頑張ってね」
「うん」
短く返事をし、エレンは孤児院の門を飛び出した。
市街に戻ると、混乱はピークに達していた。荷物を持ち、避難をしようとする者。どさくさに紛れて窃盗を行う者。
警備兵は出払っているので混乱を抑える者がいないのだろう。逃げまどう人々の声とスピーカーから流れる市長の声により耳が痛い。混沌は混乱を呼んでいる。どうにかしなければ…………
「そ、そうだ! 市街放送を使えば…………」
エレンはある方法を思いつき、市長がいるはずの中央広場へと駆けだした。
広場では混乱を抑えようと必死に市長が声を張り上げているが、それは逆にパニックを広める要因となっているようだ。
「市長さん! マイク貸して!」
「エレンさん! 何を――!」
市長の傍まで行き、マイクを奪い取る。その強引な手法により市長は慌ててマイクを取り返そうとする。
「いいの。みんな静かにしてね――すぅ…………」
また、爆音を発するのかと思い、市長は耳を塞ぐ。しかし、そんな声はいつまで経っても聞こえてこない。手を外して見ると、美しい音色が聞こえてきた。音源を辿る――――
ふと横を見ると灰で真っ黒になった少女が唄を歌っているのだ。
エレンの声は電波に乗り、街全体へと広まる。その唄は人々の足を自然と止めてしまう。商品の奪い合いをしていた人も、我先にと逃げ出した人も、親とはぐれて泣いている子供すらスピーカーから流れる曲に黙って耳を傾けるのだ。
彼女が唄を止めた時、街全体は完全に寡黙していた。それはまるで無音のアンコール。人々はもっと唄を聞きたいと思ったのだろうか。いつまで経っても沈黙を守り続けている。
「はい。市長さんからのお願いです」
「は、はい……」
マイクを渡され呆気にとられた彼だが、すぐに使命を思い出した。咳払いをし、演説を開始した。人々はそこでやっと状況を把握し、それに伴い混乱は徐々に収束に向かうのであった。
ダルクが帰ってきたのは昼前のことだ。彼女は街の科学者、魔導師と共に会議室に呼ばれた。そこにエレンが居たのはダルクの指名があったかららしい。
「市長。私めから状況を説明しておきます。予想通り、火山は三日程度で噴火すると思われます」
「そうか…………噴火自体を止める方法はやはり無いのか?」
「ええ、残念ながら…………」
「それで、ダムで溶岩を止められるのか?」
「すべてを止めるのは無理でしょう。しかし、ダムにより街とは違う方向へと流れを変える可能性はあります」
「そうか。ご苦労だった」
彼は学者からの報告を聞き終えると、コホンと咳払いをし、正面を向いた。
「私は最後まで街を助けるつもりでいる。自分の命が惜しいと思う者は家族と一緒に逃げてくれ。しかし、最期まで戦う勇気があるものが居れば、この場に残ってほしい」
重役たちは顔を見合わせ、腹の中を探る。しかし、誰も席を立つ者はいない。全員が覚悟を決めたことで市長は強く発言をする。
「ダルゴン市長として友として、君たちを誇りに思う。一人でも多くの市民を助けるために尽力しようではないか」
彼の言葉に重役は声を上げ、それぞれの持ち場へと会議室を離れていった。
混乱は収束したが、それでも市街はざわめきに包まれている。居住局には大勢の人が群がり、パスの申請を求めたり、財力にものを言わせ、食料を買い込む輩も居た。兵士はならず者を捕えるために走り回る。そんな様子を見て、エレンは何もできない自分を嫌悪するのであった。
「エレン。そんなに気を張らないでください」
常時難しい顔をしているエレンを気遣ってか、ダルクは優しい言葉をかけてくれた。
「うん。大丈夫だよね。きっと…………」
エレンは頷く。彼女の言葉で少し心が落ち着いたみたいだ。その気持ちを保ったまま混乱する街を通り抜け、彼女はスラムの教会へと来ていた。
「こんな時ばっかり神様にお願いするのは、ズルいかな?」
苦笑するエレンに対しダルクは首を横に振る。教会の扉を開けると、中から讃美歌が聞こえてきた。驚いたことに教会には大勢の人が詰め込まれている。服装から推測するに彼らはスラムの住人だろう。しかし、中にはしっかりとした身なりの人までいる。
「さあ、この街の運命と輝かしい明日を神へと祈りましょう」
シスターの声で人々は目を瞑り、手を合わせる。老若男女、地位問わず彼らは祈っているのだ。この街の無事を。エレンはそれに便乗し、隅の方で手を合わせる。
(これだけの人が無事を祈っているんだ…………私が救ってみせる)
自分の意志を確認し、エレンはひっそりと教会を出た。
教会の前、灰色の雪が降る中、エレンはダルクへと話しかけた。
「ダルクちゃん」
「なんでしょうか?」
「もしものことがあったら、私は〝行く″から。止めないでね」
エレンは普段とは違う声色でそう言った。言葉からは何の揺らぎもない強い意志が伝わってくる。
「もし承諾できないと言ったら?」
「それでも行くよ」
「ふぅ…………」
ダルクは深いため息をつき、少女の顔を見る。そこにはいつもの笑顔の少女の顔は無く、一国を救おうとする戦士の顔があった。
「分かりました。止めません。ですが、命だけは大切にしてくださいね。あなたにはまだやるべきことがあるのでしょう」
「うん。ありがと……」
エレンはダルクに対してお礼と笑顔を見せた。先ほどまで厳しい顔をしていただけにその笑顔は眩しかった。
それから三日、昼夜問わずにダルゴン付近の空は厚い雲に覆われていた。大抵の人々はダルゴンから遠く逃げ、残るのは旅費もない貧民と故郷を離れたくない人のみであった。それでもその数は約二万。約五分の一の住人が街と心中しようという覚悟なのである。労働者は不眠不休で働き続け、何もできない人も神に祈った。すべては未曽有の事態を乗り越えるために。
その日のお昼。エレンがいつものように広場で昼食を作っていると、足元に広がる微小の揺れに感づいた。周りの女衆はそのことにまったく気付かず、与えられた仕事をテキパキとこなしている。束の間の平穏もここまでらしい。ついに来るのだ。
エレンは握ったおにぎりを口に詰め、身を翻し、牧舎のほうへと駆けていく。
「エレンお姉ちゃん! つまみ食いはダメだよ!」
ルシュの声にも振り向かず、エレンは走るのだ。
ダルクたちが弾きだした計算では、溶岩が街に到着するまでの時間は約二時間ほどだ。それまでに何とかしなければいけない。広場を抜け、誰もいない石畳の上を走る。
「エレン!」
正門ではすでにダルクはケンブスに跨り、出発をする準備をしていた。走り出しているケンブスに駆け乗り、二人はダムへと向かうのであった。
街を出た所で爆発音が聞こえた。それは噴火の証だった。空は不気味に赤く染まり地獄のような空気が荒野を漂う。変化にも怯まずケンブスは速度を上げていく。
ダムに着くと、そこには大勢の男たち、それと市長やニコルが居た。労働者の男たちは街に残した家族を心配し、現場から離れて行っている。
「市長さん! 溶岩が来るよ! ダムは?」
「ええ。御覧の通り、水は張り終えました」
彼が言った通り、ダムは大量の水で満たされていた。それはまるで砂漠の片隅に存在するオアシス。不自然に削られた大地が水を蓄える様はなんと幻想的なのだろう。その全貌を見て、エレンは感動した。これが自分たちで造り上げたものなのだと。
だが、感動ばかりしてもいられない。エレンはすぐに声を上げる。
「市長さん。今すぐ街に戻って! 混乱する市民たちを助けてあげて!」
「ですが、エレンさん…………私はこの場で――――」
「もうっ! ここに居たって何も出来ることがないでしょ? 街の人はまだまだあなたの助けが必要なの! 分かる?」
すごい剣幕で寄ってくるエレンに彼はたじろぐ。
「父さん。行きなよ! ここは僕たちに任せて!」
「ああ…………そうだな」
市長は取り巻きを連れて馬車へと駆けこんだ。彼がいることによりいざという時の避難指示はできるだろう。
「エレンさん…………あれ……」
「えっ?」
ニコルの言葉にエレンは彼の指さした方を見る。遠くの空は豪炎で赤く染まっており、あの下には轟々と燃える溶岩が流れているのであろう。その赤は徐々にこちらに近づきつつある。その迫力に、周りにいた男たちに動揺が走った。
「なんだよ…………あれ……あの量を防げるはずがねぇ……」
その男の言う理由もわかる。ここからでもどれほど量が流れてくるのかが見えるのだから。動揺は恐怖を生み、兵士たちも逃げ腰になっている。
「ちょっと、みんな落ち着いてよ!」
エレンは声を上げるが、動揺は一向に収まらない。
「あれ?」
その時だった。頬に何かが当たったのだ。冷たい――まさか。
「みんな、空を見て!」
「エレンさん? なんですか……あっ、雨――」
「そうだよ。雨が降ってるんだよ!」
なんという幸運だ。ダムを作り始めてから一ヶ月。まとまった雨は全くもって降っていないというのに。
「恵みの雨とはこの事ですね。このタイミングで降ってくれるとは」
ダルクはそう呟く。
「みんなの祈りが届いたんだね!」
「ええ。そうかもしれませんね…………」
ニコルは茫然として奇跡にも似た現象の中、空を仰ぐ。
「私たちも諦めちゃダメだよ!」
エレンの言葉に兵たちは我を取り戻した。そうだ。前線の自分たちが慌ててどうするのだ! 使命を思い出し、配列を組み直し、最終局面に備えるのだ。
「全員、ここから退避するぞ! 離れた所から成り行きを見守る! 街と鉱山の間に何人も入れるな!」
「おーっ!」
兵士長は部下に指示を与え、兵士たちの士気は一気に上がる。
「エレン。私たちも行きましょう」
「うん」
屈強な男たちの後に続き、エレンたちも現場を離れるのだ。
街と溶岩、その間にダムがある。そこから少し離れた高台にエレンたちは避難した。ここからならば街とダムの様子がよくわかる。そこで雨に濡れながら待つこと一時間ほど。
「来たぞーっ!」
兵士から声が上がる。その声通り、溶岩は姿を現した。先ほどの紅の輝きは無く、茶色く濁ったドロドロが街を目指し、行進を続けていた。
ダムまでの距離はもう殆ど無い。ダムを超えてしまえば、街まで障害物はない。文字通りここが最後の砦なのだ。
男たちは憎い者を見る目で溶岩を睨む。そうだ。この事態を恐れ魔物に媚を売り、都市を守ってきた。この流れを止めることが出来さえすれば、もう犠牲者を出すことも己が汚れることもないのだ。希望を胸に視覚の全神経を集中させた。
ついに溶岩の先端がダムへと着水する。その瞬間、ダムからは大量の水蒸気が噴き出す。その煙がカーテンとなって結果を覆い隠した。
「見えないよ! どうなったの? 成功した?」
「…………どうでしょう」
溶岩はダムへと落ち、その動きを鈍くする。だが、次から次へと煮え切ったマグマがその上を越えていく。
「な、なんてことだ…………」
兵士たちは膝を付く。溶岩は超えてしまったのだ――最後の砦を。
溶岩は勢いこそ衰えたものの、その流れは一つの街を飲み込むには十分であろう。
「ま、街が…………俺たちの街が……」
兵士たちは絶望の淵に立たされた。諦めて嘆く人が続出する中、その少女だけは前を見据えていた。
「ダルクちゃん。やっぱり私の出番みたい」
「ええ。そうらしいですね」
「うん。ケンブスを借りるね」
エレンは漆黒の馬へと乗る。
「エレンさん! どこに行くんですか? 今動いたら危険です!」
いち早く気づいたニコルは当然エレンを止めに入る。しかし、彼女は笑顔だけを残し、その場を走り去ってしまった。
「くそっ!」
ニコルはそのままエレンを追うつもりで馬車を走らせようとする。しかし、その前にはダルクが立ちはだかるのだ。
「ダルクさん?」
「退きません。今はエレンを信じてやってください」
「し、しかし、ダルク殿。エレン殿は何をしようとしているのですか?」
兵士長もダルクの元へと駆け寄り、疑問を投げかける。
「決まっています。エレンは溶岩を食い止めに行ったのです」
「そんな無茶な…………」
「とにかく、ここは危険になります。もう少し離れた所に避難を」
拒もうと思う者は多々居た。しかし、誰にも文句を言わせないようにダルクはその鋭い眼光を向ける。
「わ、分かった…………ここはエレン殿に任せてみよう。全軍、私に続け!」
「エレンさん…………」
ニコルはもう遠くへと行ってしまい、見えなくなった少女を見つめるのであった。




