働く者。支える者
「開門!」
男の声により、街の大きな扉がゆっくりと開いた。待ち焦がれたように人々は外へと出ていく。
「うわぁ…………改めて見ると、すごい人だねぇ」
働きに出る男たちを兵士の詰所から見守るエレンはそう呟いた。まるで絨毯が動くように人々の波は街の外へと移動していく。
最期の一人が出るまではおよそ十分。エレンは飽きることなく彼らを見送ったのだ。
「よっし、私たちも仕事しようか」
エレンとダルクは目的の場所へと足を運ぶ。彼女たちの向かった先でも大勢の人々が賑わいを見せている。だがここに居るのは先ほどの屈強な男衆ではなく、可憐な女たち、そして少年、少女であった。
中央広場に集められた彼女らは、指揮する者の指示に従い、持ち場に着く。ある者は途方もない大きさの鍋で湯を沸かし、ある者は野菜を洗う。
「ふわああ……すごい量だねぇ…………」
「ええ、一万人の食事ですからね」
「もう、お腹すいてきちゃったよ」
「つまみ食いなどしないでくださいよ」
「し、しないってつまみ食いなんて!」
必死になる所が怪しいが、敢えて何も言わないダルク。
しばらくすると炊き込みが始まる。エレンも何か手伝おうとしたのだが、
「えっと…………ジャガイモってどうやって皮むきするんだっけ?」
包丁で危なげにジャガイモの皮をむくエレン。皮をむかれたジャガイモはつい先ほどまでの半分程度の大きさにまで姿を変えている。
「ふう、最近の娘は料理もできないのかい? ほら、貸してみな」
体格のいい奥さんが慣れた手つきでイモの皮をむいていく。
「すごいなぁ。私って刃物を扱うセンスがないのかな……」
「何を。いつももっと大きな刃物を扱っているではないですか」
ダルクは包丁で綺麗にニンジンの皮をむきながらそう言った。
「おおっ! そう言えば、そうだ。もしかして、魔剣ならば……」
「もしかしてとは思いますが――魔剣で野菜など斬ったら跡形もなくなると思いますよ」
「そ、そうだよね……魔剣で料理なんて笑えちゃうよね! あはははは……」
自分の浅はかな考えを見透かされて、エレンは笑いながら誤魔化しをする。だが、ダルクの呆れ顔は変わらない。
「そ、そうだ。ここにいても手伝えそうにないから、私、違う場所に行ってくるね」
そんなダルクから逃げるようにエレンは広場を横切り、違う職場へと辿り着く。ここでは炊けたご飯を握り飯状にする作業が始まっていた。
「これならば、行ける!」
勝算を胸に、エレンは簡易テントの中に入る。
テントの中では主に女性がコマネズミのように走り回っていた。そんな忙しそうな職場で目に入ったのは、ひと際、みすぼらしい服装をした少女の姿であった。
「ルシュ。熱いから気を付けてね」
「うん」
ルシュの隣りには若い女性が立っており、彼女おにぎりの握り方を教えている。
「あっ! エレンお姉ちゃん!」
しばらくそこで立ち尽くしていると、ルシュの方からエレンへと声を掛けてきた。隣にいた女性もエレンを見て、軽い会釈をする。
「やっほー、ルシュ。頑張ってるね」
「うん。お父さんも働いているから、私もここで働かせてもらったの」
「そっか」
ルシュの笑顔を見て、エレンは心底ほっとする。彼女は覚えたての握り方を実践し、器用におにぎりを量産していく。その顔は終始楽しそうだ。
「ルシュ。楽しそうだね。まるで親子に見えたよ」
「えっ? そんな、親子だなんて…………」
言葉に戸惑ったルシュだが、
「私もルシュちゃんの娘ならばいくらでも子供にしたいわ」
と、彼女も言ってくれた。
その言葉を聞き、ルシュは顔を赤くし、俯いてしまう。どうやら相当嬉しいようだ。
(親子か…………いいな…………)
ちょっと羨ましく思ってしまった。妄想をし、思考を止めていると、
「エレンちゃんも手伝いに来てくれたのですか?」
「えっ? う、うん」
妄想の途中で急に名前で呼ばれ、どもってしまう。
「じゃあ、私たちと一緒におにぎりを握らない?」
彼女は笑顔で誘いの言葉をエレンへとかけた。
「あっ、はい! やります!」
彼女の笑顔の誘いを断るわけはない。エレンは気合を入れ、そう返事をするのであった。
彼女からおにぎりの形を教えてもらい、ルシュとエレンはお手本通り量産を開始する。丁寧に握るルシュとは対照的にエレンのおにぎりはなぜか歪な形へと変形してしまう。
「むーっ……上手くいかないなぁ」
思い通りにいかない作業に悪戦苦闘しながらも、なんとか作業を続け、昼が間近になった時には無事に一万人分の弁当が出来上がった。
「はぁ……お疲れ様でした」
ルシュはかなり疲れた様子でその場にへたり込んだ。
「お疲れ様」
「お姉ちゃんもお疲れ」
「うん」
これでルシュの仕事は終わりだ。しかし、エレンの仕事はまだ終わっていない。腰を掛けることもなく、辺りをキョロキョロと見回す。弁当は丁寧に包装され、馬車の荷台へと運ばれる。それを運ぶことをもエレンは請け負っていたのだ。
「それじゃ、私はもう一仕事してくるよ」
「ええ。頑張ってね」
ルシュも今日おにぎりの握り方を教えてくれた女の人もエレンを笑顔で見送る。
「あっ、えっと……今日からスラムのバーで歌うので良かったら、聴きに来て…………ください」
エレンは女性へと掌サイズのビラを配る。これは昨日、マスターから宣伝用にと大量に貰ったものだが、忙しさのあまり存在をすっかり忘れていた。
「ええ、是非、聴きに行くわ」
彼女はビラに書かれた住所を場所と営業時間を確認し、笑顔で快く返事をしてくれた。
「じゃあ」
宣伝し終わったエレンは手を振り、控えている馬車の方へと走っていった。
(名前、聞いておけばよかったかな……)
彼女の顔を忘れないように、エレンは心の中のメモに笑顔の女性を描き込んだ。
「出発!」
兵士長の声を合図に馬車は一斉に走り出す。その数は約百。その荷には弁当や飲み物といった食料のほかに薬や包帯、タオルや衣服、そして予備の工事道具が乗せられていた。
足の速いケンブスはダルクの手綱捌きにより、集団のほぼ先頭に立っている。一方エレンは後ろの方でのんびりと走っていた。
「はぁ。ケンブスもこの子のように大人しければなぁ……」
素直に言うことを聞く雄馬を従わせ、エレンは晴天の街道を走って行った。
カーン、カーンっ!
現場では鐘の音を聞き、男たちは作業を放りだし、馬車へと一目散に集まってくる。お目当てはもちろん昼食だ。
「はいはい。並んでくださーい!」
エレンの馬車の荷台に並べた弁当はどんどんと数を減らし、すぐに完売してしまった。何故か隣のおじさんの荷台と比べると二倍以上無くなるのが早い。数分の間で手元に残ったのは、自分の分と指揮する人用の数食のみだ。
「誰かもらっていない人、いなーい?」
現場でしゃがみ込み、弁当を食べている人を掻き分け、エレンは穴ぼこの空いた不安定な地面を歩いていく。
「あっ、エレンさん。僕、貰っていません!」
そう主張したのはニコルであった。彼は見取り図を片手に、まだ工事が着工していない地面に立っていた。
ニコルは工事主任と話しの区切りを付け、こちらへ向かってくる。
「へえ、ニコルも頑張ってるんだね」
「ええ、こんな所で地学や力学が役に立つとは思いもよりませんでした」
若いながら彼は貴重な知識人であることを誰もが認めていた。だからこそ、ニコルはこの場で堂々と仕事ができているのだ。
「じゃあ、休憩タイムで。はい。これ」
「ありがとうございます」
彼はお弁当を受け取ると、近くにあった岩へ腰を下ろす。エレンもその隣へと座る。
「わぁ、美味しそう」
彼はメニューを見て、そんな率直な感想を述べた。
献立はおにぎり二つに、獣肉とイモとニンジンの煮物だ。決して量は多くないが、味は抜群である。
「あっ、そのおにぎり、私のだ」
「えっ?」
彼がおにぎりに着目すると、その形が歪んでいることに気が付いた。これこそエレンが握った証しだった。
「自分でも食べてないんだけど、どうかな?」
「はい、食べてみます…………」
口に入った途端、程良い塩気が舌を刺激する。形は多少悪いが、味は美味しい。
「美味しいですよ」
「やった! 褒められた!」
喜びを素直に表し、エレンも食事を開始した。
お昼休みは一時間ほどしかないが、男たちはその時間を有効に活用し、身体を休めたり、会話をして仲間を増やしたりしていた。
少し離れた所から、エレンとニコルはその様子を見て、彼ら自身も他愛の無い世間話で羽根を伸ばした。
カーン、カーンっ!
鐘が鳴らされた。あっという間に休み時間が終了したらしい。
「時間ですね。僕は作業の方へと戻りますので」
「うん。分かった、頑張ってね」
お互いに手を振った後で解散となる。これから街に戻る予定のエレンであったが、帰還手段は行きとは違っていた。なんでも怪我人を街まで運送するために馬車が必要だったので、エレンは快く馬車を譲ったのだ。そして、彼女が乗るのはいつもの荷台。大量のゴミと共に街へと向かう。
「ねえ、ダルクちゃんは昼休み、何してた?」
これはエレンが興味本位で聞いてみたことだ。いつもなら自分にベッタリな彼女がどう過ごすのか知りたかったから。
「なんてことありませんよ。十数回ナンパされただけなので」
「うわぁ…………サラッとすごいこと言うよ、この人……」
確かに男だらけの仕事場に彼女のような可憐な少女が居たら、誰もかもが声を掛けるだろう。
「んー。私は声をかけられなかったのに……同じ女としてちょっと悔しいかも」
「その代わり、ニコルとは良い雰囲気でしたけどね」
「えっ? そんな風に見えた?」
「はい。それは。青い恋を実らす、少年少女の構図でしたね」
「あはは。そんなこと言うなんて変なダルクちゃん」
エレンは笑いながら、馬車の窓から顔を出す。工事現場からは大分離れたというのに働く人は小波のように荒れ果てた大地を削っていく、そんな様子が見えるのだ。
「エレン、夕方までは少々休憩にでもしましょう」
「ん? 別にまだ働けるけど?」
「ええ、そうでしょうね。でも、まだまだ先は長いですよ」
「そうだね。せっかくダルクちゃんが休めって言うならば休もうかな。もちろんダルクちゃんも休憩ね」
「私は――――」
「ダルクちゃんだって働き詰めなんだから、たまには部屋でのんびりとしないと、ね?」
「分かりました。お言葉に甘えて」
会話が終わると沈黙が訪れる。ダルクが振り向けばすでに姫は眠りについていた。ゴミに埋もれながらの就寝はどうかと思うが、その寝顔はいつもの通り可愛らしいものであった。