活気 ―終焉たる炎の輝きの如く―
その日の朝、中央広場は人の群れによって支配されていた。
「うわぁ…………ダルクちゃん見てよ! あんなにたくさんの人、みんな来てくれたんだ!」
色とりどりの群衆を見て、興奮気味に声を上げるエレン。
「スラムの人も来てくれていますね」
「えへへ。私の気持ちが伝わってくれてうれしいよ」
「さてと、私たちも彼の手伝いでもしましょうか」
ダルクの視線の先には簡易テントで書類の整理に追われているニコルの姿が映った。
「あはは。ニコルも大変そうだね」
エレンは後ろからニコルへと近寄る。気配も消さずに大胆に近づいたはずなのに彼は気が付かない。それほど忙しいからだろう。
「ニコルーっ!」
「わっ! び、びっくりしたぁ…………なんでしょうか、エレンさん…………」
「手伝いに来たよ」
「ありがとうございます。では、来た人の受付をお願いしていいでしょうか? 僕だけでは追いつかなくって……」
「おお、受付女とは……いいよ。やる」
エレンはニコルに場所を譲ってもらい、席に着く。
「えっと、この書類に住所とサインを記入させてください」
ニコルは書類の山を指してそう言った。
「分かった。ほら、ダルクちゃんも座って」
「はい」
二人が座ったところで大勢の人がこちらに向かって流れてくる。どうやら受付の開始時刻になったらしい。
「あっ、第一号のお客様が来たよ! ダルクちゃん、営業スマイルだよ。はい、にこっと」
「にこっ」
口から出た言葉に反してダルクはちっとも笑わなかった。
二人は懸命に受付という仕事をこなしていく。だが、いつまで経っても人の長い列は途絶えることはない。
「おっ、譲ちゃんが受付かぁ。頑張ってな」
「あっ、うん。おじさんも頑張って」
仕事中にエレンは何度もこのように声を掛けられた。それもその筈だ。スラムの講演の後からエレンは街のちょっとした有名人になっているのだから。
「さて、まだまだ行くよ! ダルクちゃん!」
言葉で気合を入れ、エレンは自分の仕事を着実に片づけていくのであった。
この時間から遡ること三十分。スラムの一角にて。
「ふぅ…………」
少女は水の入った桶を抱え、自分の家に向かっていた。
水の入った桶は重い。ただでさえ身体の小さな少女には尚更そう感じるだろう。しかし、彼女は嫌々水を運んでいるわけではない。これは少女にとっての日課だった。水は必要だ。料理にお風呂に。スラムに水道が出ればどんなに幸せだろうと、エレンの機能の言葉を思い出し夢想する。
「ただいま」
やっと家に着き、彼女は水を台所にある水瓶へと流し込む。
「ルシュ、お帰り。ご苦労様」
「うん。いいの」
少女は笑って、挨拶を返した。
ルシュは思う。朝からこんな幸せでいいのだろうかと。
エレンのお陰で自分の生活は百八十度変わった。あの日から父は酒を止め、自分に叱咤することもなくなった。生活は未だ厳しいが、ルシュは初めての生きがいを手に入れることができたのだった。
「ルシュ。すまんが、留守を頼む」
珍しくルシュの父は外行きの服に着替えていた。
「お父さん、どこに行くの?」
「仕事だ。いつまでもお前に貧しい生活をさせてられないからな」
大きな手で娘の頭を撫でると、彼は家を出ていった。
「エレンさん」
声を掛けられ、エレンは顔を上げる。そこには見たことのある顔の男が居た。
「あっ、ルシュのお父さんだ。どうしたの?」
「いや、私も働きたいと、思いまして…………大丈夫でしょうか?」
「そりゃ、大歓迎だよ! はい、ここにサインして!」
エレンは彼の鼻先に書類を押しつける。その元気に彼の顔にも苦笑が浮かび上がった。
夕方までに集まったのは総勢一万人の人々。性別、年齢、住処、位を関係なく、ダルゴン市民は立ち上がったのだ。
「すごい、書類の山…………明日から忙しくなりそうですね」
疲れ切った表情をするのはニコルだ。だがその顔には満足感も見える。
「エレンさん。すみませんね。一日じゅう手伝ってもらっちゃって」
「ううん。いいんだよ。好きでやってることだから。ねっ、ダルクちゃん」
「そうですね」
エレンはともかく、仏頂面のダルクは好きでやっているように見えないとニコルは思うのだ。
「さてと、私たちはもう一仕事やらなきゃいけないんだ。もう、手伝いは要らないかな?」
「ええ、大丈夫です」
「じゃあ、また明日ね」
その言葉を残し、エレンは足早にその場を去って行ってしまった。その足取りは普段と変わらずパワフルだ。
「エレンさんたちはタフだなぁ……僕も見習わないと」
ニコルはその書類の山を睨み、整頓に移るのであった。
「こんにちは――じゃなくて、こんばんはーっ!」
「おう、エレンちゃん、いらっしゃい」
店に入った途端、威勢の良い初老の男性がエレンへと挨拶を返してくる。
「おおっ、店っぽくなってる!」
店の内装を見て、エレンは驚愕の声を上げた。それもその筈だ。ほんの数日前までここはただの廃屋だったのだから。
「いやぁ、苦労したぜ。机やら椅子やら全部取り換えなくちゃいけなかったんだからな。まぁ、街のバーのオーナーが安く譲ってくれたのがありがたかったな」
「これでバーが再開できるね」
「ああ、これもエレンちゃんのお陰だぜ」
ここの店の店主とエレンがあったのは三日前のことであった。エレンがいつものようにスラムを歩いていると一人の男が公園の隅の方で酒を飲んでいた。エレンは彼に気にせずにいつも通り唄を歌っていると、いきなり声を掛けられたのだ。
「おい、あんた。もしかして、歌姫か?」
「んー? 違うけど」
「違ってもいい。唄は得意なんだろ? だったら、ちょっとした儲け話に乗らねぇか?」
「へっ? 儲け話?」
「ああ。実はよう。俺は三年程前までスラムの一角でバーをやってたんだ。税金が高くて店を畳んじまったがな」
「ふむ」
「だが、俺には叶えていない夢があった。自分の店をこの街一の酒場にするってよぉ」
男は話の途中だというのに酒を勢いよく呷る。
「で、店を出すチャンスが再び来たってわけだ。今、街の連中は慌てて逃げやがってる。人気のバーも一軒、二軒と店仕舞いしてやがるんだ」
「へぇー。夜、静かになったと思ったら、酒場が止めちゃったからなんだ」
エレンは納得した様子で相槌を打った。
「そこでだ。俺が店を出し、どん底の住民を盛り上げようって寸法さ。だが、店を出しただけじゃ客は喰いつかねぇ…………だから、あんたの力が必要なんだ」
酒の勢いを使い、威圧的にエレンに近づいてくる男。普段ならば酒臭さに我慢できなくなり、一発ほどお見舞いする所だが、エレンは拳を引っ込め考える。
「スラムに酒場ができたら、活気が出るかな?」
「おう。出るに決まってる。なんせ、街一番の店ができるんだからな」
「ふむふむ…………決めた。私、やるよ!」
エレンは彼の言葉を承諾し、店の看板娘になることを決意したのであった。
店内を駆け巡り、席からの見え方を確認した後、エレンは満足そうに床から一段高くなっている場所に立った。
「ここで歌うのかぁ。いい感じかも」
やや興奮気味にエレンはそう言う。
「それでエレンちゃん。給料のほうなんだが、その、前言ってたようにタダでいいのかい?」
マスターは遠慮がちに聞く。
「うん。いいよ。その代わりさ。ダム造りで働いてくれた人には最初の一杯を無料サービスにしてくれないかな? スラムの人にも飲みに来てほしいし」
「ううっ……なんて良い子だ……俺にも娘が居れば、こんな感じなのかなぁ……」
「ちょっと、マスター。なに泣いてるの?」
「泣いてなんかいないさぁ。おじさんは嬉しくて、嬉しくて…………」
「そんな、大げさな――」
エレン、ダルクの協力もあり、店の準備は整った。労働初日の夜には店を開けるとマスターは言ってくれた。その言葉を聞き、エレンたちの今日の仕事はこれで終わるのであった。
「ふぁぁぁ…………ねむぅ……」
「お疲れですね」
帰り道、何度も欠伸をするエレンに対してダルクはそんな言葉を掛けた。
「まあね。ちょっと張り切り過ぎたかも」
こった節々をほぐしながら、エレンはもう一度大欠伸をする。
「今日の街って賑やかだったね」
「ええ、もうすぐ無くなるとは思えませんね」
「もう、ダメだよ、ダルクちゃん! そんなこと言っちゃ。無くらないように明日から頑張るのだからね」
「そうですね」
エレンの言葉を否定しなかったダルクだが、心の中では街の行く末が想像できていた。確かに今日集まった人数はダルクの考えていた以上であった。しかし、それを計算に入れても出てくる答えは同じだ。どう考えてもこの街は終わりであると悟っていた。
火は終焉に近づくほど激しく燃え上がる。今この街は、その炎と似ている。ダルクはそう思った。
「もしかして、ダルクちゃん。また難しい考え事?」
エレンはいつの間にかダルクの顔を覗き込んでいた。毎度のことなので驚きはしないが彼女の顔をつい茫然と眺めてしまう。
そこにあったのはいつもと同じ笑顔だ。不安の色も何もない。無垢な笑顔。
その笑顔を見ると、自分の中にある答えが間違っているのではないかという錯覚に陥ってしまうのであった。