街のためにできること
それから数時間後の夕刻。いつもなら活気のあるはずのこの時間帯。街は騒然としていた。中央広場にはおよそ千人の民衆が市長の言葉を待っていた。当然ながら広場にはエレンとダルクの姿もある。
「多忙の中、みなさんよくお集まりになってくれました。今日、このような集会を開いたのは他でもありません。この街の行く末についてです」
機械により拡張された声は街中至る所のスピーカーにより伝えられる。その範囲はスラムすら例外ではない。
それから市長は衝撃の事実を話し、市民は驚きを隠せなかった。その場で混乱が起こらなかったのは市長の話術のお陰だろう。しかし、市民にとってその晩は不安なものになっただろう。
そして夜が明けた。朝だというのに市議会の会議室には大勢の人が集まっていた。その構成員としては市の重役から学校の先生まで様々、街の知識人と思われる人が勢揃いしていた。このような人が集まった理由は他ではない。間近に迫った街の危機をどう乗り越えるのか話しあうためだ。
その席にはニコルとダルクの姿もあった。ダルクはエレンの強い要望により急きょ参加を決めたのだ。ニコルの場合は司書として図書館に通っている経歴が評価をされた結果らしい。
彼女たちが頭を悩ませている間、エレンはいつものように孤児院に来ていた。
「おっはよう! みんな!」
元気に声を掛けるといつも通り、元気に子供たちが出てくる――はずであった。しかし、今日は違った。
「あっ、エレン…………おはよう」
子供たちの様子は何か落ち着きない。おそらくは昨日の放送が原因なのだろう。
「エレン、街が消えちゃうって本当なの?」
誰もかが知りたい疑問を彼はエレンへと投げ掛ける。大抵の大人ならば誤魔化すか、希望を持たせるための嘘を付くだろう。しかし、彼女の場合は違った。
「大丈夫だよ。ダルクお姉ちゃんや市長さん、他の人が今、頑張っているんだよ。絶対にこの街が消えるなんてないから」
その言葉に嘘は無い。何故ならそうエレンが信じているから。
だが、現実はそう甘くは無かった。議会では急ピッチで話し合いがされているにせよ、これといった画期的な案が出る訳でもなく、最終手段の街を放棄するという方向性で話が進められていた。
しかし、この案にも致命的な欠点があることを市長たちは気づいていた。
第一に市民の受け入れ先がないこと――十万人近い人を受け入れる大都市はそうそう見つかるものではない。あるとしてもかなりの長旅を強要してしまうことになる。そうなれば先立つ物はお金と物資の量である。その結果、金のある人以外を見捨てる結果となってしまうのだ。
第二として住民に移動の意思がないことだ。ダルゴンで生まれたものは皆、ここを故郷と思っている。自分の故郷をみすみす捨てられる人などそうは居ないのだから。
この二点がある手前、どちらの方向性でも話は進まないのであった。
――だが、諦めない人がそこにいれば、事態は進展を見せるのである。
エレンたちがヨルムンガンドを倒してから五日が経った日の朝、いつものように市議会には市長ほかの人々が集まっていた。今日は珍しくエレンもその場に居る。彼女の目的は簡単だ。ダルクが解決策を見つけたというのでそれを聞きに来たのだ。
「みなさん、聞いてください。噴火から都市を守る方法が見つかりました」
少女の声に室内はざわめく。
「はいはーい。みなさんお静かに。これからダルクちゃんがちゃーんと説明するからね」
「エレン。その地図を広げてください」
「およ? これ?」
机の上を覆うような大きな地図を彼女は広げる。そこには街とその周辺の地形が描かれていた。
「みなさんもご存じの通り、ダルゴン近郊には大河が流れています。この河の水を利用してダムを作ります」
「ダムだと?」
ダルクの言葉にそこにいた人々は耳を疑ったに違いない。
「火山の噴火を水を張って塞き止めようというのですか? それには途方もない大きさが必要になりますよ。それに地図上じゃ近く見えますが、河まではそれなりに距離がある――不可能だ」
「ええ、それは分かっています。ですが、不可能って言葉を使うほど、難しいことなのでしょうか?」
知識人の台詞に全く押されず、ダルクはそう言い放った。
「そ、それは…………」
彼女の態度に押され、逆に男は黙ってしまう。
「なるほど。ダルクさん、良いアイディアですね――しかし、彼の言い分も分かる。私たちに残された時間は少ない。しかも街の労働力は無限大ではないのです。つい昨日も、有力な土木工事会社が街を去って行きました」
市長は冷静な判断でダルクの意見を分析する。
「この意見以外は現実的ではないことも事実です。そんなことを言っている場合ではありませんよ」
「しかし、この都市を去る人が多い中、働き手を見つけられるかどうか――」
市長とダルクは真っ向から意見をぶつけ合う。
彼らの攻防戦を止めたのは先ほどまで発言が無かった少女の挙手であった。
「あのさ。私、難しいことは分からないけど、労働力ならあると思うんだけど」
二人が黙ったところでエレンは立ち上がり自分の意見を言った。
「スラムの人たちに手伝ってもらえばいいんじゃないかな? ほら、みんな仕事欲しがっているし…………家族含めた全員のご飯とか出してあげれば、働いてくれるんじゃないかな?」
「…………エレンさん」
「あれ? それじゃあダメかな? ならオヤツ付きなら――」
「良いアイディアですよ。スラムには職を失った人が大勢いる。みんなを都市で雇用すれば――ねっ、父さん」
ニコルはエレンの意見を褒め称え、最終決定権を持つダフロに問いかける。
「スラム……か。分かりました。その意見を検討してみましょう」
不安そうな顔をしながらも彼はオーケーサインを出した。
やることが決まったことで計画は急ピッチで決まっていく。なにしろ時間がないのだ。市長は大まかな計画が決まったその足でスラムの広場へと来ていた。
重大発表があるということでスラムの人々も広場へと顔を出している。しかしその場について来ていたエレンにはすぐに分かった。人々の表情は複雑だ。これは市長への強い不満を表しているのだろう。彼もそのことに気が付いているらしい。緊張した面持ちでマイクを握っていた。
彼は今の街の現状とこれから行われる計画について話した。万人に分かるように優しい言葉でゆっくりかつ情熱的に。
彼が言おうとしたことはスラムの人々にも伝わった筈だ。しかし、彼らの表情は依然として暗い。
「何が街を救うだ? いままで俺たちを散々追いやっておいて、こんな時ばかり頼りやがって!」
「そうだ、そうだ!」
一人が言った言葉により堰が切られ、不満の嵐がステージ上へと降りかかる。
「みなさん、落ち着いてください――」
市長の言葉は彼らを呷るだけで、何の効果も無い。声だけではなく、男たちの投石が始まる。
「市長、下がってください」
「ああ…………しかし」
護衛に守られステージを降りることをやむなくされた彼は口惜しそうな表情をする。
その時、ステージに残ったのはエレンだけだ。だが民衆の熱は冷めていなく、エレンに対してまで石が投げられる。
だが、飛来物に臆することなく、彼女はステージ中央のマイクを取った。そして――
「うるさーい!」
マイクがハウリングするほどの大声が一瞬で民衆を沈黙させる。
「そんなこと言っている場合じゃないでしょ! このままじゃ、この街が無くなっちゃうんだよ? なんで仲良く協力できないの? あなたも、そこの君も、同じ市民でしょ?」
――同時刻、市街地にいたダルクとニコルの耳にもエレンの声は届いていた。
「エレンさん…………演説しちゃってますね」
「ええ、ああ見えて、お得意ですからね」
ダルクはポツリと呟くと、また自分の作業に戻った。
「私はこの街に来て、まだひと月だけど、この街が好き。美味しい物いっぱい売ってるし、賑やか。スラムにだっていい場所がたくさんある。けど――それが無くなると思うと悲しい。みんなこの街が好きじゃないの?」
民衆は顔を見合わせて、エレンの問いかけを考える。
「この街はまだまだ豊かになる。それこそスラムの人も豊かになるぐらい。けれど、そのためにはあなたたちの協力が必要なの…………だから、だから、お願いします」
エレンは勢いよく頭を下げる。それを見て呆然とする市民。
「お願いします」
エレンに続いて市長も大きく頭を下げる。
自分たちを蔑んできた市長が今、この場で頭を下げたのだ。スラム住民は驚きで声すら上げられない。
パチパチパチ――
誰かは知らないが手を叩いたのだろう。拍手の音が聞こえた。
パチパチパチパチ――
連鎖したように拍手の音は広場全体に広がっていく。
ここでエレンは確信していた。自分の思いが伝わったのだと。