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魔王の歌姫  作者: 千ノ葉
魔王の歌姫 ―荒野に捧ぐ前奏曲《プレリュード》―
46/75

激昂の歌姫

エレンが市長と会ってから丸五日が過ぎていた。この日も彼女は孤児院へと足を運んでいた。ただの暇つぶしに思えるこの行為も、れっきとした意味がある。

子供たちに聞かせる場合、孤児院でしか歌わなかった唄を彼女は近くの公園で歌うことにしたのだ。これにより少しではあるがリピーターの住人が聞きに来るようになったのだ。

 子供たちの笑顔に影響され、暗かった住人たちもその場だけでも明るい表情を見せてくれる。その成果にエレンはスラムを変えていくことへの手ごたえを感じていた。

「はーい。今日はこれでおしまい」


 パチパチパチパチ――


 終了宣言時に拍手がなり、彼女は地面へと座り、ボトルの水で疲れた喉を潤す。歌った後の少休憩、これもエレンの幸せの一つであった。

 そんな休憩も束の間、事件は起こるのだ。

「エレーンっ!」

 孤児院と逆方向から走ってくる少年。その声と姿形で彼が誰だかすぐに分かった。

「およっ? ジョシュ。どうしたの、ルシュを連れてくるんじゃなかったの?」

「そ、それが、ルシュがどこにも居ないんだよ!」

 血走った瞳で彼はエレンへと状況を説明する。

「本当にどこにも居ないの?」

「探したけど居ないよ! 第一、昨日、約束したんだ。一緒にエレンの唄を聞こうって」

「そうなの? 分かった! 一緒に探しに行こう。ダルクちゃん、他の子を孤児院まで連れて行って」

「了解しました」

「それと次は午後の勉強の時間だからしっかりと勉学を教えて、それからお昼寝タイム、小さい子を寝かしつけてね。それから、えっと……もう、任せた!」

「……了解しました」

 細かいのか大雑把なのか分からない指示を出し、エレンは走る。すでにジョシュはスタートを切っている。彼に追いつくべく、スピードを上げスラムの方へと消えていった。

「ではみなさん、整列をして帰りましょう。列を乱さないように一列で」

「は、はいっ!」

 子供たちは威勢のいい返事をし、彼女の指示通りに孤児院のほうへと向かって行く。それはまるで兵隊さんの行進のようであった。



 走って三分ほどで約束の場所へと着く。しかしルシュの姿は無く、寂れた壁だけがそこにはあった。

「やっぱり来てない……ルシュ、どこに行ったんだ?」

「またお父さんのおつかいを頼まれたんじゃないかな? そんなに心配しなくても――」

「ダメだ!」

 いきなりの大声にエレンは肩を竦める。それほど唐突であり、覇気のある声だったのだ。

「母さんも、急に居なくなったんだ……俺を置いて……何も言わずに……」

 その時、エレンは見たのだ。彼の瞳から一筋の光の粒が流れ落ちるのを――

「ルシュ……」

 何の計算をしたわけではない。エレンは無意識に彼を抱きしめていた。

「大丈夫。ルシュは居なくならないよ……私が絶対に見つけ出すから」

「うん……」

 エレンは彼がすすり泣くのを止めるまでその場を一歩も動かなかった。ただ一心に彼の悲しみや不安を受け入れようと試みていた。

「ごめん…………なんか俺、恰好悪いな……」

「うん。そうだね。目が真っ赤だよ」

「っ――早く、ルシュを探しに行こう!」

 踵を返し彼は路地を足早に歩いて行ってしまう。その行動を可愛いと思いながらもエレンは彼の後を追う。



 彼女の居そうな場所を探したが結局その行為は無駄足となり、何の手がかりも得られず、エレンたちは路頭に迷っていた。

「居ないね」

「うん……」

 返事をしたジョシュの声は小さい。十中八九、不安なのだろう。しかしそんな時こそのエレンの明るさだ。

「じゃ、ルシュの家に行ってみようよ。もしかしたら病気とかで家に閉じこもっているのかも」

「うん……そうだね。最初に尋ねれば良かったかも」

 二人は気力を振り絞って、足を進める。


パカラッ、パカラッ――


 音だ。聞き覚えのある音。エレンはいち早くそれに気が付き彼の手を引っ張った。

「うわっ!」

 後ろ側からの引力によってジョシュの身体は簡単に前に進むのを止め、後ろへと退く。今さっき彼の居たであろう曲がり角から大きな身体が飛び出してきた。蹄を持つ獣。そう馬だ。

 馬と従者は何事も無かった如く、狭き暗い道を猛スピードで突っ切っていった。

「ふう、危なかった。ありがとうエレン…………エレン?」

「っ……!」

 彼女は厳しい表情で顔を強張らせて過ぎ去った馬車の様子を見ている。もう一度馬車を見たところで彼はその理由が分かった。運転席の男の服装。その黒を一度見たことがあるのだ。どこで――ルシュの家で。

「ジョシュ。ルシュの家に行くから」

「エレンっ!」

 先ほどとは段違いのスピードでエレンはスラムの複雑な道を掛けていく。後ろからの呼び声に答える暇もなく、ただひたすら走るのだ。


 すぐに家に着く。案の定、中からは人の気配がしている。

エレンは玄関のノブを捻る――開く気配は無い。鉤が閉まっているのだ。

だが次の行動は決まっていた。彼女は先ほどは籠めなかった力でドアノブを強引に回す。

錆び付いた金属はすぐに根をあげ、メキメキと木片を巻き込みながら地面へと落下した。

 部屋の中は暗い。昼間だというのにカーテン代わりのボロ布が日光を遮断しているのだ。そんな暗い部屋の中心に男が一人いた。

彼は軋み果てそうな椅子に座り、片手に酒の瓶を持ってどこか別の世界を見ている。

「おじさん! ルシュはどこ!」

 玄関先から叫ぶエレン。しかし、彼は何も答えない。ただただ何もない中空を眺め、酒を呷っている。

「おじさんっ!」

 無視されたことでエレンの怒りはヒートアップする。彼に詰め寄り真正面からその顔を見つめる――いや、そんな生易しいものではない。いつもの可憐な少女とは同人物とは思えない程の激怒を抱き睨みつけたのだ。

 そんな怒りをぶつけられても彼は動じない。それもその筈だ。彼はエレンのことなど見ていないのだから。

 ブツブツと何かを囁きながら、彼は酒を呷る。口から溢れた液体は彼の服や床を汚す。それすら構わないと、彼は一心に酒を飲むのだ。

「っ、この!」

 怒りに任せ、彼を椅子から床へと跳ねのけるエレン。無理な体勢から倒され、その身体には痛みが走った筈だ。しかし彼の様子は先ほどと大して変わらない。

 激昂する彼女の眼にそれは留ってしまった。暖炉の中にある埃被った火かき棒。それを取り出すと憔悴しきっている男性の首にあてる。

「言え。ルシュは!」

 彼女がその気になれば火かき棒の先は彼の頸動脈を軽々貫くだろう。文字通り、命を握られた状態なのだ。

「っ……」

 エレンの動きは一つの動作で完全に止められたのだ。彼の眼、そこにある感情は――

「エレン! 何をやってるんだ!」

 後ろから声が掛かり、エレンの頭に登っていた血液は完全に下流へと下る。ジョシュの声を聞いたからではない。目の前の彼の悲しげな表情を見てしまったからだ。

「わ、私…………ただ、ルシュが……」

 火かき棒を後ろ手に抱え、ヨロヨロと二、三歩下がる。

「エレン…………それを渡して」

 手を出し、彼女へと近づくジョシュ。エレンは大人しく棒を彼へと渡す。

「ふう……」

 火かき棒を暖炉に戻すとジョシュは安堵のため息を付く。それはエレンが人を殺すのを見なくて済んだことだろうか、それともルシュの父親が無事で出たものなのだろうか。

「君か……確かルシュの友達だったな…………ジョシュとか言ったな」

「えっ?」

 彼は驚く。まさかルシュの父に名前を覚えてもらっているなど思いもしなかったのだから。

「すまない……私は罪を犯してしまった…………」

 ルシュの父はゆっくりと口を開く。

「私は……こんな酒を数本買えるお金でルシュを……娘を……」

 空いたボトルを震える手で握り締める彼だ。そこからは強い後悔が読み取れる。

「おじさん……ルシュは、ルシュは、どうしたんですか?」

「ルシュは……あの男たちが連れて行ってしまった……」

「――っ、どうして?」

 状況が把握できなく今度はエレンの代わりにジョシュが彼へと詰め寄る。

「〝売った〟そうでしょ?」

 静かな声でエレンはそう言った。

「ああ、そうだ…………」

 彼は懐から何かを床に投げつけた。音からして金属だ。傾いた家で転がる金属は暗い部屋で鈍く輝いている。その正体はジョシュもよく知っているモノ。そう金貨だ。

 三枚の金貨は柱に当たり小さな音を立てて動きを止める。それをスイッチにしたようにジョシュの時計の針も再び動き出す。

 〝売った″ジョシュの頭の辞書の中には売るという文字は物にしか使わないと記されているのだ。そのワードと意味を照らし合わせ、彼の脳裏にはまるで稲妻のような衝撃が走った。

「売ったってなんだよ! ルシュはアンタの娘だろ! 売ったって……」

 泣きそうな表情で詰め寄るジョシュ。その肩を掴みエレンは彼をなだめる。

「待って。もう彼は……」

 ルシュの父の瞳、それはルシュと同じ綺麗な水色をしており、そこには小さな水たまりができていた。

「ルシュは、行くことを拒まなかった…………知っていたんだ。自分が売られることを…………なのに最後は笑顔で〝いってきます″と」

「おじさん……」

 こんなところ(スラム)に生まれていなければ彼らは普通の家族として幸せに暮らせていたのかもしれない。そう思いエレンの目頭も自然と熱くなる。

「何故、私は…………力づくでも止めていれば……」

 〝失ってからその人の大切さに気が付く″そんな言葉で表わされるのだろう。彼の現状は――しかし、まだ手遅れではない。

「おじさん。馬車の行き先を教えて。ルシュは私が連れ戻すから」

「そんなことを……」

 できるわけがない。そう言いかけた彼の言葉を遮り、エレンは床に転がったコインを拾い集める。

「私を信じて。いこっ、ジョシュ」

「あ、ああ……」

 絶対的な一言を残し、エレンはその場を後にした。

「信じる、か」

 一人残された男はおもむろに部屋を掃除し始めた。こんな家では帰ってくる娘を迎えられないと思ったからだろう。



「あっ、エレン。おかえりー」

「ただいま」

 孤児院へと帰還したエレンは子供たちの歓迎を笑顔で受ける。

「ねーねー。エレン。ダルクお姉ちゃんにこれ編んでもらったの」

 その子は布切れで作られたと思われるぬいぐるみを一生懸命に提示する。

「あは。ダルクちゃん、縫物、得意だからね」

「エレンも何か作ってよーっ」

 布と針を持ってきてエレンに催促をする女の子。しかしエレンは

「ごめんね。お姉ちゃんたち用事が出来ちゃったの。また今度ね」

「えーっ!」

 ブーイングが上がる。エレンは笑顔を絶やさず孤児院を出た。

 

スラムから出る手前の道で急に足が止まる。タイミングを見越し、ダルクは会話を始める。

「エレン。怒っているようですが、何かありましたか?」

「さすがダルクちゃんだね。お見通しって感じか」

「ええ、人間の感情など単純ですから」

「そっか、じゃあ前置きは要らないね」

 スッと空気を肺に溜めるエレンその瞬間、周りの空気がどんよりと重くなる。その空気の中、彼女は言い放った。

「探して、ルシュを…………」

 いつの彼女の透き通った声とは違う呟きのような低く重い声で。

「それは頼みですか。それとも命令ですか」

「決まってるでしょ。命令よ」

「御意」

 返答と共に後ろにあった気配は消える。

「ふぅ……」

 それを確認し彼女はため息を付き、肩に入っていた力も抜ける。

「ルシュ、待っていてね…………」

 ポツりと呟き、エレンは再び歩き出した。



 それから夜まで街を歩き回ったが結局どんな些細な手がかりも手に入れることはできなかった。宿に戻るエレン。

部屋を開けてもそこには誰もいない。ダルクはまだ外に居るのだろう。きっと彼女のことだから今日は帰ってこないだろう。そんなことを考え、エレンはベッドへと倒れ込む。

「両親か…………」

 自然に出た呟きに苦笑を洩らす。未だに自分の中にある過去を振り返りそうになる。

「あーっ、ダメだ! 寝る。もう寝るからね」

そう宣言し、明りを消す。いつも居るはずの少女が今日は居ないことを寂しく思いながらもエレンは眼を閉じた。


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