対話
「あーっ! もう! アポイントメント、アポイントメント、うるさいなぁ!」
街中で少女は声をあげる。その大音量の透き通った声でエレンは街の人々の目線の的となる。
「エレン、街中です。ボリュームを抑えてください」
「だって! こっちは徹夜でレポートを仕上げたっていうのに、ちっとも分かってくれない!」
自分は早めにベッドに入ったというのに、エレンは徹夜の当人の如く怒りを露わにする。
「とりあえずは約束をするのが先ですね。とはいっても時間は掛かりそうですけどね」
市長に意見をしようなんて人は大勢いる。普通に待っていれば、いつになるかは分からない。
「それに調べ足りないことがありました。これから図書館に寄ってもよろしいでしょうか?」
「うん。いいよ。あーあ……ぶつぶつ……」
怒りが抜けないのか、エレンは何かを呟いて不機嫌そうに通りを歩く。そのすぐ後ろを歩くダルク。それはいつもの光景であった。
朝の図書館は静かだ。まだ利用客はいないらしい。カウンターには見慣れた顔の少年が座っている。手元が動いていることから何か書き物をしているらしい。
「おはよ。ニコル」
「あっ、おはようございます」
ごく自然に挨拶を交わす二人。
「今日はお早いですね」
「うん。なんかダルクちゃんが調べ物あるんだって――そうだ聞いてよ! さっき市長さんに会いに行ったら追い返されちゃったんだよ! これで二回目だっていうのに!」
誰も居ないことをいいことにエレンは大声で愚痴を言う。
「市長さん……ですか……」
「うん。スラムについての意見書を見てもらおうと思ってね」
「そうなのですか――――もし宜しければ見せてもらえないでしょうか?」
少し表情を強張らせてニコルはそう言った。
「うん。いいよ。ダルクちゃん、借りていくね」
彼女の返事を待たずにエレンは机に積み上げられた羊皮紙を持ってカウンターへと戻る。
「すごい量ですね…………失礼します」
パラパラと紙を捲り、ざっと目を通すニコル。その表情は真剣そのものだ。
「それ、ダルクちゃんが一晩かけて書いたんだー。すごいよね。字も綺麗だし――」
耳元でエレンがマシンガントークを繰り広げているというのに表情も変えずニコルは文章を追っていく。
「これを市長に読ませたいのですよね?」
「うん。そーだよ」
ニコルは少し間を置く。どうやら何か考え事をしたようだ。
「エレンさん。夕暮れ時に図書館に来てくれませんか? もしかしたら僕と一緒なら――」
「うん? もしかしてニコル、市長さんとお知り合い? やった! お願いね!」
「えっと、エレンさん――」
「夕暮れ時だね! 分かった。絶対に行くから! ほらほら、お客さんだよ」
「あっ、ちょっと……」
話を最後まで聞かずにエレンはダルクの元へと行ってしまう。もっと詳しいことを説明したかった彼だが、図書館の利用客が彼の足を拒むのであった。
図書館の利用時間が終わり、ニコルはいつものように施錠をし、敷地内に誰か残っていないか見回りをしていた。もう周辺には誰も居ない。もうじき夜なのだから、当たり前と言えば当たり前だろう。その油断が彼を驚かせることになる。
「やっほーっ。約束通り会いに来たよ」
「うわっ!」
物陰から飛び出してきた少女に情けない声をあげてしまった。
「そんなに驚かなくても……もしかして、ニコルって怖いのとか苦手?」
「ええ、苦手ですね――というか、エレンさん。いきなり飛び出さないで下さいよ」
「だって、ダルクちゃんが面白いほうが良いって――」
「私は何も言っていませんよ」
どういう経緯で彼女がそんなことをしたのかは不明だが、こうやって約束の時間に来てくれたのだ。頭に思い描いた計画をニコルは実行するのである。
「僕と一緒に来てください。市長に会えますから」
「本当? やったね、ダルクちゃん!」
「じゃあ、行きますよ」
ニコルを先頭に三人はメインストリートを歩く。夕飯時で通りには食べ物の匂いが溢れている。その誘惑に惑わされながらも、エレンは目の前の彼の背中を追っていく。
「着きました。ここが僕の家です」
「おおっ、豪邸だ……」
発言の通り、目の前にあったのは普通の民家と比べると何倍も大きな家だ。
「いえ、そんな大したものでは……」
控えめにそう話し、彼は門をくぐり抜ける。家まで続いた道の脇にあるのは大きな庭。手入れの行き届いた植物が緑の園を彩っている。
「うわぁ……ニコルってお金持ちだったんだね……」
「いえ、それほどすごくは……父のお陰ですし、僕は何も……」
「へえー。ニコルのお父さんがお金持なのかぁ。こりゃ、美味しいものが食べられそう」
「エレン。晩御飯を食べてないからって、目的を取り違えないでください」
「だって、だって。ダルクちゃんだって、たまには美味しいものを食べたいでしょ?」
「しかし、常識というものがあります。知らない男の家に行って、夕食を頂いて。そんな状況では見返りに何を要求されたものか分かりませんよ」
「おおっ、そうか。可愛い顔してニコルも男の子なんだよね。気を付けないと」
「そ、そんな。僕はそんな目的で呼んだわけじゃありませんよ!」
ニコルは顔を真っ赤にしてダルクとエレンの会話を否定する。
「分かってるって。ダルクちゃん。たまにね、こんな冗談を言うんだよね」
「あはは……そうなのですか……」
引きつった笑みを浮かべるニコル。
会話が途切れたところで丁度、家の玄関に着く。インターホンを鳴らすと、すぐに扉が開いた。
「お帰りなさいませ、ニコル様」
中から出てきたメイド風の初老の女性は礼儀に従って挨拶をする。
「ただいま。彼女は僕のお客さんだから客間に通しておいて」
「分かりました、こちらへどうぞ」
女性に連れられて二人は客間へと案内された。メイドさんが居なくなった途端にエレンは部屋の中の散策を始める。
「すごーい。ビンの中にお船が入ってる! どうやって入れたんだろ? 空間移動の魔法かな?」
危なっかしい手つきで次々と備品を漁る。
「エレン。お願いですから、壊さないでくださいね」
「分かってるって――」
ガチャッ――
「お待たせしました――」
「うわっ! わわっ!」
登場したニコルに驚き、エレンは手に持った壺を落としてしまう。
「ふっ!」
まるでそれを予測したかのようにダルクが床へと飛び込む。
「おおっ! ナイスキャッチ! さすがダルクちゃん!」
「だ、大丈夫ですか……?」
ニコルは慌ててダルクの元へと駆け寄る。
「ええ。壺は無事です」
壺を両手で上げ健在をアピールする。
「いえ、ダルクさんの方は……」
「私は平気です」
凛とした表情で彼女は立ち上がる。服の汚れを払う仕草も可憐だ。
「で、ニコル。これからどうするの? もしかしなくても夕食?」
「はい。無理言って二食を追加してもらいましたので。食堂にご案内します」
「やったね。ダルクちゃん」
「本当に良いのですか? 私たちは市長に会いに来ただけのつもりなのですけど」
「はい。ち――市長の帰りはまだのようなので」
「早くー! 二人とも、今日は何かな? ステーキ? ビーフストロガノフ?」
テンションを三割増しでエレンは食堂に入って行った。
食堂ではすでに料理の準備ができており、三人は純白のテーブルクロスの敷かれた長机に座る。
「うわぁ……すごいなぁ……この雰囲気だけでよだれが出てきそうだよ」
「エレン、まずはナプキンを」
「はいはい。分かってますよーっと」
まだ食事が運ばれてきていないというのに、左手にナイフと右手にフォークを持つエレン。
「まずは何が出てくるかな? コヨーテのステーキだったりして」
「まずは前菜からでしょう。それにコヨーテのステーキはもっと西側の国の特産品ですし」
エレンと居れば基本的に食事は明るくなるのだ。ダルクもニコルも呆れ顔ではあるが、このような雰囲気も嫌いではない。
「おっ、運ばれてきたーっ! おお、緑の物体! サラダだ、サラダ! やほーっ」
基本肉食系であるというのに、今日ばかりは目の前の生野菜のサラダに目を輝かせるエレン。そしてマナーなどお構いなしで野菜を口へと運ぶ。
「ふわぁ……美味しい! さて、次は何だろ?」
「あはは、慌てないで下さい。食事はゆっくり食べたほうが健康にいいのですよ」
「えーっ、私は一秒でも早く美味しいものが食べたいのに!」
料理が運ばれてくるたびにエレンは新しいリアクションをして迎える。ダルクはそんな連れを見て最初から最後まで呆れていた。
「ふう……ごちそうさま。いやぁ、美味しかったです」
デザートの二色アイスを平らげ、エレンはグラスへとスプーンを置く。
「御馳走様でした」
口を拭き、ダルクも食事を終了する。
「申し訳ありません。このような食事を頂いてしまって」
ダルクは改めて礼を言う。
「いえ、いいですよ。いつも一人で食事するので、楽しかったです」
ニコルはハニかみ、そう答える。
「さてと、宿に戻ったら何しようかな? 満腹だし良い唄が歌えそう」
「エレン、忘れていませんか? ここに来た理由を」
「ん? 理由――あっ、そ、そうだよね。食事するために来たんじゃないもんね」
完全に目的を取り違えていたらしい。彼女はオーバーリアクションで誤魔化しにかかる。
「というか、ここに来れば市長さんに会えると思ったのに、ここってニコルの家なんだよね? なんで? 遊びにでも来るのかな?」
「今に分かりますよ」
ダルクは静かに囁いた。
しばらく食事の余韻に浸っていると食堂の扉が開く。その音にエレンたちはそちらを向く。そこにいたのは中年の男性で口元に生えた髭が印象的だ。
「お帰りなさい」
彼へと挨拶をするニコル。
「ただいま。ニコル。お前がゲストを家に招くなんて珍しいな」
「急な話で申し訳ありません」
「いいのだよ。お前の客人なら大歓迎だ」
好意的な態度を示し、彼はテーブルへと着く。
「えっと、こちらはエレンさんとダルクさんです」
彼の紹介を受け、二人は軽く会釈をする。
「ねぇねぇ、この髭のおじさんってニコルのお父さん?」
「ええ。そのようですね。ついでに言うと市長さんです」
ここまでは小声でヒソヒソと喋る二人であったが、最後のワードを聞いて、エレンは大声で驚く。
「ええっ! ニコルって市長さんの息子だったんだ!」
もう気が付いていると思っていただけに、ニコルは苦笑を洩らす。
「紹介が遅れました。市長のダフロ・サンドバレーです」
彼の正体を知って、エレンのテンションは食事前並みに上がる。
「やっと市長さんに会えた! ううっ……ニコルのお陰だよ!」
「うわっ! え、エレンさん」
彼の手を取りブンブンと握手をする。その急な行動に彼は頬を赤く染めてしまう。
「で、エレンさん。私に用があるようですが、どんなことでしょう?」
状況を把握した市長はエレンへと目を向ける。特に警戒心を抱いていない好意的な視線だ。
「あっ、うん。あの。これを読んでみて下さい!」
エレンは冊子状になった羊皮紙を彼へと渡す。
「スラム改善の方法と鉱山復興についての意見書、か。失礼します」
市長はパラパラと紙を捲っていく。その様子からしっかりと目を通してもらっているらしい。エレンも瞬きすらせずに彼のことを見つめる。
「なるほど、良く書けていますね」
「でしょ? この意見書、苦労したんだよ。これでスラムも大丈夫になるかな?」
意見書を褒められたことで上機嫌なエレン。しかし市長の顔は厳しい。
「しかし、ここに書かれていたように鉱山を復興させるのは厳しいでしょう」
「えーっ! なんで」
子供のように頬を膨らますエレン。こんな場ではなかったら可愛い仕草なのだが、市長の眼は依然として真剣なのだ。空気が和むことなんてありえなかった。
「まず、第一に鉱山は立ち入りが禁止されていたはずです。あなたたちがこの都市の市民であったならば処罰されているところですよ」
「そ、そりゃ、黙って入ったことは謝るけど――それでもこうして無事だったんだし、中の様子も見て来れたんだし――」
「個人的な調査だけでは安全の断定はできません。正式な調査団を送って、安全性を確認できなければ――」
「じゃあ、早く送ってよ!」
エレンは完全に対立モードになっている。相手が市長だということも忘れ、怒りの籠った声を上げる。ダルクはあえて彼女を止めない。
「エレンさん。何故、そんなにスラムのことにこだわるのですか? 確かに貧困問題は重要です。しかし市の方でも救済策を打ち出しています。それにあなたはここの市民ではない。なぜそこまで首を突っ込むのですか?」
本質的な疑問を投げかける市長。その質問にエレンはこう言ったのだ。
「スラムの現状って分かる? 罪も何もない子供たちが大勢、お腹を空かせているの……疲れ切った大人の心には信仰も唄も届かない――私は嫌。同じ都市に住んでいるのに、不幸な人が居るなんて――みんなが見て見ぬふりをするなら、私が幸せを味あわせてあげるの」
感極まったせいか彼女の目じりにはうっすらと涙が浮かんでいる。そんな彼女を見て、折れたのは市長の方であった。
「ふぅ……分かりました。努力はしてみます。しかし、本当に鉱山を再開すること、スラムを救うことを実行できるかは約束できませんよ」
彼は言った。それはこの場を凌ぐために無理に繰り出した言葉なのかもしれない、しかしエレンは、「やった! ありがとうございます!」と、もう万事解決したかのように喜ぶ。そんな裏表の無い笑顔に市長の顔にも戸惑いが現れる。もしかしたら彼の中にあった罪悪感がそうさせたのかもしれない。
市長とニコルに見送られ屋敷を出た二人。エレンはご機嫌であった。しかしダルクの表情は浮かない。
「ん? どうしたの? ダルクちゃん?」
「いえ、いつもながら、エレンは強引だと思いまして」
「そうかな? でも結果オーライだし、いいんじゃないかな?」
「どうでしょうかね」
意見が素直に通ったと思うエレン、そしてそれを疑うダルク。二人の考え方は対照的だ。
「市長は何かを隠している。私はそう思います」
「隠し事?」
「ええ、それがどのような事か分かりませんが」
ダルクは基本的に相手が嘘をつく前提で物事を計っている。だからこそ嘘に敏感なのだ。
「大丈夫だよ。私は市長さんを信じたから。うん。何とかなるって」
何の根拠があって彼女がそんなセリフを言うかは分からない。しかし、その根拠の無い言葉と笑顔でそれが本当のことになる気がする。いつもダルクはこの現象を理解できないのだった。
「とりあえず明日からはやれることをするぞ! 市長さんに頼らなくたってできることがあるはずだ」
気合十分に叫ぶエレン。
「ダルクちゃんも気合入れてーっ! ファイトーっ!」
「ふぁいとー」
強制的に言わせられたのでやる気なくダルクは発言する。
「ダルクちゃん! もっと気合入れるの! ファイトーっ!」
すっかり周りも暗くなっているというのに大声を出すエレンにダルクはまた、いつもながらのため息を付くのであった。