鉱山へ
次の日の朝はあっという間に来る。ダルクに起こされたエレンはいつも通りの眠気眼でウトウトと着替えを済ます。その間にダルクは朝食の支度を済ました。今日は味付け肉とサラダ菜のサンドイッチだ。朝食を終えるころにはエレンの眼はパッチリと開いていた。必要最低限の荷物をまとめた後、二人は宿屋を出る。向かった先は牧舎だ。
「ケンブス。おはようございます」
「おはよー!」
二人は黒馬に挨拶をすると、彼女を牧舎から出し、餌をやる。大好物のニンジンを食べている間にエレンとダルクは二人掛りでブラッシングをする。食事が終わるころには黒馬の毛並みは綺麗に整っていた。
「じゃあ、準備万端だね。行こう」
「そうですね。夕刻までには帰らないとゲートが閉まってしまいますから」
「じゃあ、さっそく――」
ダルクの後ろにエレンは乗る。二人が小柄であり、馬が大きいことから二人乗りをしても窮屈とは感じない。
「せいやっ!」
掛け声と共にダルクは馬の腹を蹴る。それを合図にケンブスは走り出す。誰も居ない商店街を抜け、あっという間にゲート前に到着する。
検問であっさりと許可をもらい、扉が開かれる。目の前に広がるのは果てしない荒野。太陽から出る朝日の光が先の先までを照らし出している。風は穏やかで目を瞑れば、寝起きの街の鼓動を感じられそうだ。まさに絶好の疾走日和である。
「ねぇねぇ、ダルクちゃん。たまにはケンブスにも本気を出させてみようよ」
エレンはそんなことを言う。いつもなら彼女の意見に否定的なダルクだが、今回の意見には賛成だ。なぜなら馬と言えど、走らなければ感覚を忘れ足が鈍るからだ。それでは緊急時に対応できない。
「分かりました。掴まっていてください――はっ!」
気合の入った声に一段とスピードを上げるケンブス。
「うひょっ! いいねぇ」
長い髪を靡かせながら、エレンは上機嫌に言葉を紡ぐ。そんな耳元で叫ばれた言葉でさえこのスピードでは宙空へと置いていかれてしまう。痛いほどの風を受け、馬はさらにスピードを上げていった。
「ほいっ、到着!」
三十分程度で目的の場所に着く。ここが鉱山跡地らしい。目の前には大きな門があり、正面には太字で「立ち入り禁止」と書かれている看板がある。
「立ち入り禁止……か。どうしよう?」
「そうですね――あっちに廻ってみましょうか」
ダルクは正門から向かって右側を差す。その指示に従って、ケンブスはゆっくりと裏手へと足を伸ばしていった。
裏に続く道も厳重にフェンスなどが張られ、頑なに侵入者を拒んでいる。だが彼女はセキュリティの小さな穴を見逃さなかった。フェンス上方にある有刺鉄線が一部分だけ不自然に無くなっているのだ。
そこで馬の足を止めさせ、彼女らは数十分ぶりに地面へと足を下ろすのだ。
「はぁ、やっと降りれた……さすがに股が凝るなぁ……」
他人が居ないことをいいことにエレンはレディーとしては恥じるべき仕草を取る。一方ダルクは彼女を注意もせずに持ってきた鉤爪付きのロープを中へと投げ入れる。先端は見事に引っ掛かり、進路が開かれる。軋むロープを使いながら彼女たちは敷地内へと侵入する。
降りたところには数件の建物があり、その外形からそこが以前の詰め所であったことが分かった。
「うわぁ、本当に誰も居ない……まるでゴーストタウンだよね」
数件の建物の間を抜けながらエレンはそんなことを言う。以前は賑わっていただろう場所であるからこそ、人を取り除いてしまえば一層寂しく感じるのかもしれない。不気味な雰囲気を物ともせずに二人は鉱山の入り口を目指して進んでいく。
すぐに目的の場所が見えてきた。木工の壁で囲まれた通路は長く伸びていて、昼間だというのに奥には夜のような闇が待ち構えている。
エレンは鞄から小さなランプとマッチを出すと、火を起こし、光を作った。
「行こう。ダルクちゃん」
「はい」
元気の良い言葉を合図に二人は坑道へと入っていく。通路の幅は思った以上に広い。真中にはトロッコ用のレールが敷いてあり、エレンはわざとなのか、その淵でバランスを取り歩いていく。彼女がよろけるたびにランプの光がぶれ、光と暗闇を反転させる。
「うわぁ、なんか興奮してきた! 肝試しみたいだよね!」
「そうですね」
誰も居ないはずの鉱山なのに、エレンの声だけでなぜか賑やかに感じる。これが本当に肝試しならばペアはさぞかし心強いだろう。とはいっても今のペアはダルクなので、彼女は煩げにため息を付くのだが。
「エレン、少し待ってください」
「えっ? なになに? お腹すいた?」
「いえ。ここの鉱石を調べさせてください――――お腹が空いたのですか?」
「うん。すいた」
「はぁ……」
ダルクはため息を付き、自分のバックからクラッカーを出し、彼女に渡してやる。
「おおっ! さすがダルクちゃん気が利くねぇ」
エレンは通路の端にあった、トロッコの残骸に腰かけ、満足そうにクラッカーを口に運ぶ。
静かになったエレンを横目にダルクは調査を進める。
「どう。どう? ダルクちゃん。何か分かったの?」
猿ぐつわが外れたエレンはまた口を動かし始める。だが幸いなことにすでに分析は終わっている。
「これを見てください」
「わっ、真っ黒な石。何それ」
「これは燃料石です。それも純度が高い」
「ふへぇ……暖炉にくべてある、あれだね」
この時代の大部分の機械は蒸気で動かされている。その動力源の一つがこの燃料石だ。それがこの鉱山にはまだ多く眠っているのだ。
「まるで宝の山ですね」
ダルクはそんなことを呟いた。
「えーっ、宝の山ならダイヤモンドとかルビーとか出てきてほしいよ」
このコメントの差は価値観の違いだろう。エレンは床に落ちていた同類の黒い石を拾うと、一瞥し、それを通路の果てへと投げ捨てた。
「そういや、ダルクちゃんは宝石とか興味ないの?」
急な質問はエレンの得意分野。唐突に疑問が投げかけられる。
「興味はありませんが、綺麗だと思います」
「へぇー。ダルクちゃんには宝石とか似合うと思うんだけどな」
冗談なのか、そうではないのか、エレンは笑顔でダルクにそんな言葉を掛けた。ダルクはどんな表情をしていいのか分からず、無表情で通路の先に向かうのであった。
それから十分ほど、ゆっくりと歩を進める。目線の先には相も変わらず、薄暗い洞窟が続いており、変わったことといえば、だんだんと気温が上がってきていることだろうか。
「ムシ暑いね……団扇でも持ってくればよかったかな」
エレンはバサバサとスカートを持ち上げては下ろす。対照的にダルクは服装も表情も乱さずに先に見える暗闇を見据えている。
「エレン。気がつきましたか?」
「何が?」
「この洞窟は人工のものではありません」
「えっ? そうなの?」
エレンは辺りを見渡す。先ほどまでは木枠で囲まれていた通路が、一部分を境目に無機質な岩肌を露呈した道へと変貌している。たしかに彼女が言う通り、これは天然のものなのだろう。
「どこかの洞窟の横穴と繋がったのかな?」
「そうかもしれませんね」
「なんか、やっと、肝試しから探検って感じになってきたね」
どちらも今回の目的ではないというツッコミを心に留め、浮足立った少女の後を追うダルク。
「ふうふうふう……さらに暑い……」
息を切らしながらエレンは先を進んでいく。まあ彼女が嘆くのも無理はない。ここの温度はゆうに五十度を超えているだろう。湿度と合わさった外気は容赦なく皮膚を襲う。
「ねえ、ダルクちゃん……あっちに光が見えるよ! 外かな?」
「それは無いと思いますが……」
「でも、光ってるもん! ぜーったい、外だ!」
余程、この暑さから逃げ出したいのか、エレンは急に走り出した。仕方がないのでダルクも早足で彼女を追う。だが数秒で悲鳴と共に彼女の足が止まった。
「うわぁぁぁ! ダルクちゃん、ストップ、止まって、お座り! ハウス! えっと、お手!」
最後の方には言葉の意味が変わっていたが止まれということだろう。ダルクは足を遅め、歩いて彼女の傍へと寄る。
「どうどう……ゆっくりね」
エレンは地面にしゃがみ込んで慎重に何かを覗きこんでいる。ダルクも彼女越しにそこを覗く。その瞬間、強い熱気が顔面へと上がってきた。
「溶岩ですね」
「うん。私だって、それぐらい分かるよ」
縦穴の遥か下には紅く燃える溶岩が踊っている。その溶岩に向かうように大した舗装されていない道が続いている。
「この下まで行きますか?」
「……いい。熱いもん」
「そうですね。引き返しましょうか」
「うん。でも調査終わったの?」
「ええ、ガスも溜まっていませんし、鉱石も残っています。これならば復興の目途もたつと思います。この溶岩だけが気になりますが……」
「そうだね。暑いとお仕事も大変だからね」
エレンは踵を返し、その場から立ち去る。ダルクはその場にしばらく留まり、遥か下方の溶岩を見つめていたが、
「ダルクちゃーん! 何してるの?」
だが、エレンの声に彼女はその場を後にした。
「はぁ……シャワー浴びるっ! 絶対浴びる!」
調査を終えた部屋に戻ってきた途端、エレンは服を脱ぎだし、シャワールームへと突入した。どうやら余程、鉱山で汗をかいてきたらしい。ダルクは彼女を止めることなく、部屋の中の椅子に座り、羊皮紙に何かを書き始めた。
シャワールームからは鼻歌が聞こえてくる。まあいつものことだ。その唄を耳に入れながらペンを進める。
「ぷはぁ……気持ちよかった! 次はダルクちゃんの番だよー」
お風呂上がりの少女は頭にタオルを乗せ、いかにも上機嫌だ。しかし彼女の誘いには乗らないダルク。
「すいません。これを完成させてから入らせていただきます」
「ん? なになに? 鉱山復興についての意見書?」
表紙のタイトルをそのまま読むエレン。
「ええ。こういうものは早いうちにまとめた方が良いので」
「ふーん。頑張ってね。私は街の中を散策してくるから」
仕事をダルクに押しつけて、エレンは部屋を飛び出した。扉が閉じる音が聞こえてから、ダルクはため息を付くのであった。