祈りの唄と笑い声
子どもというの生物は慣れるのが早いと思う。スラムという悪環境で育った所でその性質は変わらないようだ。
「お姉ちゃん、名前は?」
「エレンだよ。こっちはダルクちゃん」
先ほどとは大違い。エレンとダルクを中心に子供たちが円を作っている。真中に向かい子供たちは無邪気に質問を投げ掛けてくる。それにすべて答えようとエレンは三百六十度回っている。二人で質問に答えれば労力は半分なのだが、ダルクが答える事がないのは分かっていたのでエレンはこの質疑応答を一人でこなす気である。
「ねーねー。こっちのお姉さんは何かできるの?」
突然、六歳ぐらいの女の子がダルクを指差してそんなことを質問してきた。本人に聞くのではなく間接的にエレンへとだ。まあ、しかめっ面で黙っているダルクに直接質問しにくいのは分かる。
「ダルクちゃんは何でもできるかな」
「ええ、人殺しでもなんでも」
その冷徹なる声に子供たちはビクッと身体を震わせる。質問した女の子も聞いてはいけない事を聞いてしまったのだと、青ざめている。
「こらっ、ダルクちゃん。みんな怖がってるでしょうが!」
すかさずエレンは開きそうな子供たちをフォローする。
「本当のことを言っただけです」
ダルクが小声でそんなことを呟いたのがエレンの耳には届いた。そう言うところが怖いのだとエレンは思うのであった。
「それより、エレン。もう一度歌ってくれない? ボクもう一度聞きたい!」
「あたしもーっ!」
質問攻めによりエレンが無害な存在だと知った子供たちは唄の催促をしてくる。
「はいはい。リクエストとあらば――」
子供たちを目の前にし、エレンは唄を歌った。子どもたちは聞いたことのない彼女の唄を聞き入っていた。数曲が終わった頃にはすっかり仲良しだ。
「お疲れ様です」
ダルクがコップに入った水を差しだして来たのをエレンは受け取る。唄を歌い続けただけに喉を通るその水はとても美味しかった。子どもたちはお祈りの時間らしく、ここには居ない。お祈りの時間をサボり唄を聞くという子供を諭すには随分骨が折れた。結局煮え切らない態度のエレンに代わりダルクが眼力により、子供たちを散らす結果となった。
「人気でしたね」
「うん。思った以上にね」
街で歌う時にはなかった子どもたちの盛り上がり方にエレンは驚きを隠せなかった。子供に唄を聞かせる機会は多くあるが、感心はしてくれるがここまで盛り上がってくれた例は無かったのだ。
「スラムですから。子どもたちも面白い遊びを探していたのかも知れませんね」
「ああ、なるほど」
エレンを見る子供たちの目は輝かしかった。まるで見たこともない動物を見ているかのような興味津々の目。
「うん。今日は来て良かったかも」
背伸びをしながらエレンは満足げに言った。
「そうだ。ダルクちゃん。教会に行ってみない? 丁度良い時間帯だし」
〝丁度良い″とは夕刻を指しているのだろう。彼女は昨日の女神像をまた見たいと思っているのだ。
「いいですよ」
「やったっ! 行こう!」
途端、腕を掴まれ引っ張られる。その勢いに思わず転びそうになる。そんなに焦らなくてもいいのにと呆れながらもダルクはエレンに手を引かれ、教会へと向かうのであった。
教会の扉を開けると、中では何やら子供たちがお祈りをしているようだ。祭壇の前ではシスターは女神像に祈りを捧げている。しかし、一部の子供はそれをいいことに椅子の下に屈み談話をしている。教会内が静かなだけあって、その〝ひそひそ話″はよく聞こえる。
「今度、院長先生のお布団にカエル入れてやろうぜ」
「それより、エレンにも何か悪戯しようよ」
内容はどこにでもいる子供の会話だ。
「エレン。悪戯されるみたいだけど、良いのですか?」
「んー。悪戯されたらやり返す」
「百倍返しですか?」
「いや、そこまではしなくていいよ。というか、ダルクちゃんはやり返さなくていいからね」
ダルクの目つきが厳しくなったのを見つけ、エレンは慌てて言葉を追加した。
「あっ!」
一人の子供がそんな声をあげる。その子はエレンのことを見つけ声を漏らしたのだ。みんなその声に釣られ、エレンの方を見る。
「エレンだ!」
「あっ、本当だ!」
子どもたちはお祈りの時間とも忘れ、エレンへと駆け寄ってくる。
「エレンもお祈りに来たの?」
「いやぁ……そういう訳では……」
「ほらっ、こっちだよ!」
「わっ、引っ張らないでよ!」
強引な男の子に引っ張られ、エレンは最前列の椅子へと腰を掛けさせられる。
「こらっ、お祈りに集中しなさい」
シスターも苦笑いを漏らしながら子供たちを席へと戻す。先ほどは教会内の席に広く座っていた子供たちが今度は中央に密集している。その中心はもちろんエレンだ。
「では、改めて――ほらみんな、エレンさんとお祈りをしましょう」
シスターはそう言って、手を組み、女神像を仰ぐ。エレンはそれに倣い手を組む。門の前で動かずにいるダルクはその様子を見守っていた。
「では、お祈りの唄を歌いましょう」
しばらくの瞑想の後、シスターがそう言った。子供たちは「はーい」と一斉に返事をする。それに続きエレンも同様に返事をするのだ。
子どもたちはエレンと共に唄を歌った。祈りの唄と賑やかな笑い声は世界が暗闇に包まれてからも、しばらく続くのであった。