お唄を歌えば――
結局、空きっ腹を抱えてエレンは唄を歌い続けていた。しかしその態度は先ほどまでとは違い元気がない。お昼一食でえらい違いだ。
「エレン、今日は切りあげた方がいいのではないでしょうか?」
「うーん……どうしよう」
手応えなし、昼御飯なしでエレンは根を上げそうになっていた。そんな彼女の様子を覗いている視線にダルクは気がついた。
「エレン、あれを」
「えっ?」
エレンが指差された所を見ると、そこには先ほどの男の子がいた。壁に隠れながらこちらの様子を窺っているようだ。
「ほらっ、隠れてないで謝ってきなさい!」
「で、でも……」
誰かと話している声が聞こえ、観念したのか少年は広場のほうへと姿を表した。その後ろには初老の女性がいる。その手には見慣れたバスケットが抱え込まれている。少年は黙ってエレンに近づくと、そのバスケットを差し出す。
「あっ、返しに来てくれたんだ――」
エレンはバスケットを受け取ると早速ゴソゴソと中身を確認する。
「あっ……ない……」
だがそこにはサンドイッチはなく、エレンは期待を裏切られたと言わんばかりに寂しい声をあげた。
「ほらっ、謝りなさい」
後ろの女性は男の子の頭を下げるよう、催促する。
「ごめんなさい……」
男の子はつまらなそうに呟いた。
「エレンさん。ごめんなさいね」
何故、この人は名前を知っているのだろう? エレンがそう思い顔を覗くと、その人が昨日のシスターであると分かった。私服を着ていたのですぐには気がつかなかったのだ。
「この子も悪気があってやったのではないので許してもらえないでしょうか?」
「あっ、いいんですよ。別に――」
ぐぅ――
〝大した事ない〟と言う前に空気を読まずにエレンのお腹は見事に音を立てて鳴った。
「罪滅ぼしという訳ではないのですが、食事を御馳走したいと思うのですが――」
「行きます!」
彼女の言葉を受け、エレンはすぐに返事をした。おそらく奢ってもらう相手がスラムの住人である事を彼女は忘れていたに違いなかっただろう。
シスターに連れられ着いた所は教会の裏にある孤児院であった。建物の外観は古いが、敷地の面積は大きく、門を入った所には庭が広がっている。
「私はここでの院長も務めているのですよ」
そう言い、彼女は大した手入れされていない庭を進む。先の窓には人の顔が映っている。おそらく子どもたちだろう。ダルクの目線に気がつくと彼らはその頭を枠外へと引っ込めてしまう。
視野を大きく持つダルクに比べ、エレンの目指しているのは昼食だけのようだ。彼女は院長を追い越してしまう程の早足だ。
「さあ、ここから中へどうぞ」
院長は正面の一番大きな扉を引き、二人の来客を中へと招き入れる。
「おじゃましまーす!」
院内すべてに聞こえる様に大声で挨拶をし、エレンは玄関から建屋内に入る。
壁はひび割れ、どこか埃っぽい。築何年になるか分からないが、建て替え時なのは明らかだ。そんな感想をダルクは持った。一方、エレンは建物にさほど興味を示していないようで、黙って廊下を歩いて行く。十数秒歩いたところで、廊下の片側に扉が見えてきた。シスターが大きな扉を開けると、そこは食堂であることが分かった。椅子の数は三十ほど、そこに子供たちが付くのだろう。
「少々お待ち下さい」
院長はそう言うと食堂の先にある小さな扉に消えていった。
「よかったぁ。このままお昼ご飯抜きだったら倒れちゃったよ」
エレンは笑いながらキョロキョロと辺りを見渡した。食堂の所々には子供が描いたであろう落書きが多く見られた。
「これって、リンゴかな? それともナシかな?」
「ポツポツが描いてある点でナシではないかと」
「じゃあ、こっちはメロンとスイカどっち?」
「縞模様が無いのでメロンなのでは?」
壁画当てクイズをしているうちに院長が奥から出てきた。その手には木のトレイが持たれており、その上には湯気を立てたスープとパンが乗っていた。もちろん二人分だ。
「どうぞ」
彼女はそれを机の上に置く。その場所がゲストの席なのだろう。エレンとダルクはそれに従い料理の前に座り、机の上に並べられた皿を眺める。スープはタマネギとイモが入っているだけの質素なものだし、パンはカサカサとしている。
「うわぁ、おいしそう」
だが、エレンはそんな声を出し、食事へとかぶりつく。余程、お腹が空いていたらしい。その表情は無我夢中そのもの。空腹が最高の調味料とは良く言ったものだ。ダルクもそれに見習って、静かに食事をする。
「ふぅ……満足、満足!」
数時間ぶりの食事にありついたエレンはすっかり元気を取り戻していた。お腹が満たされた所でエレンとダルクは孤児院内を散策することにした。目的も無く歩いていると中庭で子供たちが遊んでいる様子が見えた。しかし、エレンの姿が見えると、子供たちはクモの子を散らすように逃げて行ってしまった。
「ああ、逃げられちゃった……ダルクちゃんが怖い顔をしてるからだよっ!」
「そんなことはないと思いますよ」
「うむむ……嫌われるのは少し悲しいかな…………よし」
エレンは少し考えた後、荷物を地面へと置いた。このような状況でエレンがする事は一つだ。
「ほらっ、ダルクちゃんも。楽にして」
エレンは肩に力を入れ、息を吸い込む――
彼女は歌う。その瞬間、空気が変わった――
彼女の唄は空気に乗り、辺りへと広がって行く――
唄につられたように子供たちが徐々に姿を現してくる。
エレンが口を閉じる――その瞬間にピタッと唄が止まる。
そして沈黙――
パチパチパチ……
誰かが拍手をした――
パチパチパチパチ――
一つの合図にするかのように子供たちは拍手をする。その拍手は連鎖するかのように中庭に響いた。拍手の中、彼女は恥ずかしそうにペロッと舌を出した。