街の名はダルゴン
夕刻前に目の前には街のゲートが見えてきた。夕焼けと同じ茜色に染まる門は遥か遠くにあるというのに、その姿を現している。その門の作り、大きさからして大層大きな都市である事が分かる。
「うわぁ……本当に大きい街だね」
エレンはただただ好奇心に身を任せて興奮しているようだが、ダルクの考えは違った。こういう街に入る場合、通行料や荷物チェックなどいろいろと面倒事は避けて通れないのだ。大抵の場合、門番が金を持ってそうな旅人を見つけては何癖を付けて、賄賂を要求してくるのだ。そういう事態が起こった場合、面倒くさい。その回避方法を頭の中で計算していた。
「エレン。ゲートが近づいています。降りてください」
「あっ、はーい」
エレンは言葉を素直に聞いて、荷台へと降りてくる。彼女が荷台の窓から外を眺めると、人、ヒト、ひと――――まるで河のように通行人が緩やかに列を成している。
夕刻前ということもあり、門の前には人々は我先にとゲートに近づこうと試みている。それもそのはずだ。街の近くとは言えど、夜の野外には魔獣が徘徊しているのだ。そんな危険な野宿を避けたいと思うのが当然である。
「すごいね。これだけの人が居るのに、どんどん進んでるよ」
「ええ。この街の収容力は並外れているみたいですね」
小さな城塞都市などでは旅人の数に制限が設けられており、門前で締め出されるなんていうこともしょっちゅうだ。外壁の外で野宿をする人が多くなれば、旅人をターゲットとした露店などが横行する。しかし、ここには露店はおろか、野営の準備をする人が誰一人として見当たらない。
ダルクが列に目をやると、いかにも貧しそうな人々が所々にいる。おそらく異国からの移民か行く当てもない浪人だろう。他の街では一目で入場を拒まれる人々が堂々と並んでいるのだ。「随分懐の広い街だ」と、ダルクは呟いた。
人の列に並んで数分。エレンたちの入場審査の順番が回ってくる。鎧で身を包んだ兵士三人が馬車を停止させるように言ってきた。
「パスを見せろ」
男は感情の篭っていない声で要件を言ってくる。
パスというのは一種の身分証明書で、この国では旅をする場合での携帯が義務付けられている。パスには名前、生年月日、出身地など個人情報が書き込まれているのだ。
ダルクはエレンの分と二人分の羊皮紙を見せる。これがパスだ。男はパスを受け取ると、ダルクの顔をマジマジと見る。そこに書かれた情報と彼女らの特徴を比べているようだ。とは言っても書いてあるのは年齢と性別と人種程度なので、それだけで判断できているとは言い難いだろう。
「よし、荷台を調べさせてもらうぞ」
今度は他の男に指示をし、荷台を調べさせるようだ。これは主にパスを持っていない密航人を見つけるためだ。
「こんにちはー」
エレンは荷台に乗り込んできた男たちに脳天気に挨拶をしている。当然の如く、その挨拶は無視された。
荷台で大方の荷物を調べられた後、許可が下り、二人の馬車は街へと入っていく。随分簡単に通れたというのが率直な感想だ。
「えへへ。偽造パスって便利だよねぇ」
エレンは荷台の窓から顔を出し、満足そうにそんなことを言う。
「エレン。まだ門が近いですよ」
「ごめん。ごめん」
ダルクに釘を刺され、エレンは両手で口を抑える。
そう、このパスは偽造なのだ。なぜなら二人に通常のパスは発行できないから。パスは通常出身地証明が必要なのだが、ダルクもエレンもそれができないのだ。だからこそ、三年前からこの偽造パスに頼って旅をしている。とはいっても精巧な偽造ではないので、バレて街を追い出されることなど多々あるのだが。
「でも、よかった。折角、久しぶりの大都市に来たのに追い出されるのは嫌だからね」
「そうですね」
ダルクはエレンの会話に応えながら、街の中の様子を確認していた。都市部という事もあり、工場やいろいろな店が立ち並んでいる。今歩いているのはおそらくメインストリートなのだろう。夕焼けに染まる街の中を様々な年代層の人々の群れが動いている。ここなら路銀を稼ぐことも可能だろう。
「あっ! あの店、美味しそう! あとで行ってみよ!」
ダルクが真剣なことを考えているのにも関わらず、エレンはいつもと同じように食べること、楽しいことばかり考えているらしい。彼女はそれに半ば呆れながら馬車を走らせ、宿を探すのだった。
夕暮れ時で宿を探すのは困難であると思っていたが、その思考は杞憂に終わった。苦労もなく馬屋付きの宿は見つかったのだ。決して値段は安いとは言えないが、この部屋の造りならば文句も言えないだろう。部屋の中は明るい装飾と清潔なベッドが二つ並んでいるシンプルな構造だ。先日に泊まったあの宿よりは遥かに綺麗で、居心地がいい。
手荷物を置くとエレンがダルクの顔を見つめてくる。その表情からして何か待ちきれないようだ。
「ダルクちゃん。さっそく――――」
「ええ、何か食べに行きましょうか」
ダルクはエレンの考えを見通し、彼女が気持ちを発する前に自分の口で代弁した。
「やったっ!」
余程嬉しかったのか、エレンは両手を胸の前に構え喜びを表す。もちろん顔には笑みが浮かんでいる。もし許可をしていなかったらエレンはどんな顔をしたのだろうか。
エレンはダルクを急がせるように、ストールを首に巻き、部屋を出た。いつもならばダラダラと支度をするというのに、食べ物が絡むと人が変わったように素早くなる。その単純な思考に呆れながらも、ダルクは後を追う。急がなければエレンに全財産を食べ物に使われてしまう恐れすらあるのだから。
都市の名前はダルゴン、この国で四番目に大きい都市だと宿屋の主人に教えてもらった。その評価の通り、町の中は田舎部の村々に比べて、ものすごい活気に満ち溢れていた。夕方の大通りには何の相談もしてないというのに数々の人々が集まり、列を成す飲食店までもある。街の中には様々な匂いを乗せた煙が漂い、食欲を擽るのだ。
「うわぁ。やっぱり都会はいいよね!」
エレンはいつもよりも一回り高いテンションでキョロキョロと街の様子を見渡す。見る人から見れば、田舎人のように見えるだろう。しかし、そんな人目も気にせずに、興味が向くままに彼女は店を巡っていった。
「ねえ、ダルクちゃん。このお店ってどうかな?」
エレンは一番近くの飲食店を指した。木でできた看板には鳥の彫刻がしてある。どうやら鳥肉料理専門店らしい。外まで油と香辛料の香りが漂っている。
「いいと思いますよ」
ダルクはそう言った。本音を言えば何でもいいのだ。
「それじゃあ、ここにしようか――――あっ!」
店の扉に触れる寸前、エレンは目にある物が目に入ってしまう。それは次の店の看板だ。
「東国の料理店だって! 異国の料理もいいかもっ! ねっ? どうかな?」
たまらずエレンはダルクへと意見を求める。
「いいと思いますよ」
「それじゃあ――――あっ! 向こうにもいっぱいお店がある!」
新たなる店が視野に入ってきて、またエレンは走り出す。それが十数回ループして…………いつの間にか人気の無い通りに出てやっとエレンの足が止まった。そこはとても静かで、先ほどの賑やかな音は遥か後ろの方で木霊している。人の会話も足音もここには届いていない。そんなことも伴って、ここは別の空間に感じるのだ。
「スラムですね。都市部では珍しくもありませんね」
ダルクは、きょとんとしたエレンに補足説明を入れる。だが彼女はそんな説明を聞いていたのか、そのまま歩みをやめない。足は暗闇の街へと向かっている。
「エレン。そっちに行っても何もないと思いますよ」
ダルクはエレンを止めるためにそんなことを進言する。だが興味に火を付けたエレンは止まる気配を見せない。
「そうかもしれないけど、何かある予感がするんだよね」
ダルクはその台詞を聞いて、ため息を付く。エレンがこのような言動をする時は大抵、悪いことが起こるのだ。
「ほらっ、早く、早く!」
エレンは足早に暗い路地を行く。今日何度目か分からないため息を付きながら、ダルクは後を追うのであった。




