街道 ―新たなる旅路―
朝が来る。鳥の声とともにエレンは目を覚ました。久しぶりにベッドで寝たおかげで身体の調子も良い。彼女が部屋の中を見渡すとダルクが静かに縫いものをしている。窓から射す朝日の下、黒髪の美少女はいつも以上に神秘的に見える。彼女が針を通すたびに、少しだけ黒い髪がふわりと宙を舞う。
声をかけるのを少しためらったが、ダルクが少し目線を変えた事に気づくと、エレンは彼女へと朝の挨拶をする。
「おはよう。ダルクちゃん」
「おはようございます」
彼女は静かにエレンへと頭を下げる。まるで水が流れ落ちる様に自然で優雅な挨拶だ。
「何を縫ってるの?」
「エレンのドレスの裾がほつれていたので」
そうだ。彼女が持っているのは自分のドレス。昨日まで着ていたものだ。
「そんなのいいに。毎回動き回るんだから、キリがないよ」
エレンは毎度のようにこう言うのだが、ダルクにとってドレスの手直しは日課のようになっていた。それに無駄な行為では決してない。ダルクがドレスを修復しなければ、エレンは三日に一度はドレスを新調しなければならないのだから。
「そんなことより朝ごはん!」
「はいはい」
エレンはいつものように自分の欲望に正直に答え、そんな声を上げた。ダルクはエレンが耐えられなくなり部屋から飛び出す前に椅子から立ち上がった。そして、化粧台の前に置いた自分の手荷物からブラシを取りだした。
「エレン。髪をとかすのでこちらへ」
「うん。お願いね」
ダルクはエレンを椅子に腰掛けさせると、その髪に櫛を入れる。無秩序に反乱を繰り返していた彼女の髪は驚くほどすんなりと櫛を受け入れ、すくたびに銀の髪は朝日を反射し光り輝く。その柔らかさは生まれたての朝日のようにも見える。
「終わりです」
ダルクの言葉を合図にエレンは椅子から立ち上がる。
「よし。おいしい朝ごはんを調達だ!」
エレンはドレスに袖を通すと、すぐに部屋を飛び出した。ダルクは慌てず、身の回りの整理をした後、飛び出した少女の後を追うのであった。
宿を出ると涼しい風が頬を撫でる。そんな清々しさが彼女に自然と背伸びをさせる。朝という事で昨日開いていた店にもカーテンが引いてある。もしかしたらちょっと早めであったのかもしれない。まあ、自分たちと同じで少し早起きな店もあるだろうと、エレンは足を進める。たまに会う小鳥に挨拶をしながらストリートを歩くと、料理屋の群衆を見つけた。幸運な事に何ヵ所かの店には「OPEN」の看板が掲げてある。
「さてと。どこに行こう? どこがいい?」
「どこでもいいですよ」
エレンがうきうきして店を選ぶのに対し、ダルクは呆れた声でそんなことを言った。
「もう、毎回それなんだから! じゃあ、私が責任もって美味しそうな店を見つけるから!」
勝手にそう決意したエレンは上機嫌に店を探す。そして良さそうなカフェを見つけるとそこに急行した。オープンテラスのテーブルに座ると、彼女はメニューの隅から隅までを確認する。
「おっ、ここ、美味しそうだよね?」
メニューも見せずにエレンはダルクへと質問する。答えようがないが、とりあえず頷いておく。ダルクはエレンほど食事にこだわってはいないし、エレンが食べたいものを食べさせたいとも思っていたから。
「じゃあ、座って」
エレンは椅子を引くと、ダルクを座らせた。そしてメニューを開く。もちろんダルクにメニューを押し付けるのも忘れていない。
「ダルクちゃん。決まった?」
「はい」
「私は――この三色サンドイッチでいいかな。ダルクちゃんは何を頼むの?」
「私はモーニングコーヒーのみで」
「えーっ! ちゃんと主食も頼みなよ! コーヒーだけじゃもたないよ?」
エレンはダルクの鼻先まで顔を近づけ、彼女へと言葉を発する。だがダルクは眉一つ動かさない。
「宿の保存食を食べたいと思いますので」
保存食といってもいつまでも食べなければ当然悪くなる。エレンの食べ飽きた保存食の処理は決まって彼女の仕事であった。
「だーめ! 店に寄ったんだからちゃんと注文しないと! 返事は?」
「はい……」
エレンの押しにダルクは「はぁ」と、ため息をつき、再びメニューに顔を近づける。
「んー。んんんー」
あろうことか、エレンも再びメニューを持ち、悩みだす。そしてすぐに、メニューを木製のテーブルの上に置いた。
「このアンチョビサンドなんていいんじゃないかな? ダルクちゃん食べれなくないよね?」
「はい。大丈夫です」
「じゃ、決まりで――すいませーん!」
エレンはメニューが決まり次第、店員を呼ぶ。いつものことながらダルクは彼女の行動力に呆気に取られてしまうのであった。
「はぁー、美味しかった」
店から出るとエレンは満足げな笑みを零す。そんな彼女と引き換えダルクは無表情である。機嫌が悪い訳ではない。これがダルクという人物の普段通りの表情なのだ。
「さてと、これから何しようか? 買い物? お昼寝?」
「買い物はこの先に大きな町があるそうなので、そこでしたほうがいいでしょう」
さすがにダルクもお昼寝宣言に対しては何も答えない。
「そっか。じゃあすぐに出発しちゃう?」
エレンは大きな町というフレーズに興奮したのか、目を輝かせながらそんなことを言ってきた。こうなればエレンが止められないことをダルクは知っている。急ぐ旅ではないが旅費などを考えると無駄な町に長居するのは賢くない。ダルクはそんな計算を巡らせ、彼女の意見に同意するのであった。
先ほどの集落でお昼ご飯を買い込み、エレンたちを乗せた馬車は街道を行く。荒野とは違い整備された道を馬車は快走していく。草原が近いのか植物や動物の数のだんだん増えて行っている気がする。エレンはいつものように馬車の上に上がり、遠くのほうを見つめた。
「エレン、町はまだまだ先ですよ」
運転席からダルクは屋根へと声をかける。
「うん。分かってる。でもこうやってると、風がいろいろな匂いを運んできてくれるんだよね」
ダルクの鼻には何も感じない。乾燥した空気だけが鼻腔から肺へと進入していく。エレンが何を感じているのか彼女は理解できなかった。
「あー、また難しそうな顔してる。こういうのは雰囲気で匂いとか感じ取るものなんだよ」
エレンは無表情な彼女に笑顔を見せ、そんな言葉をかけた。ダルクはもう一度、舗装された道を見る。なるほど――確かに雰囲気はある。街から来たのか行商の馬車や警備兵の一団と頻繁にすれ違うようになっている。確かに賑やかになってきているのだ。これはこの先に待つ街の吐息のひとかけらだろう。ダルクはエレンが屋根に登り遠くを見つめる行為の意味が少し理解できた気がした。