決着 ―もうひとつの元凶―
エレンの唄は街中に届く。それは心の中の魔性を呼び覚ます唄であった。
その唄を聞いた貴族や富豪は怪物へと変貌していった。
自らの心に住まわせた魔物と同じように醜悪で残忍な。
そして彼らの末路は王と同じだろう。
街中に響く、悲鳴と騒音。それはまるで唄のように聞こえた。
そんな唄を聞きながらエレンは森へと入る。
対照的に森の中はとても静かだった。降ってくる雪の音が聞こえそうなぐらいに静かだ。
エレンはたどり着いた。魔王の城へと。
城壁は燃えることを続けており、冬とは思えない熱気が顔へと掛かってくる。
今の力を持ってすればこの火災を消すことなど容易い。
しかしエレンはそれをしなかった。
「いいのですか? すべて燃えてしまいますよ」
いつの間にかエレンの傍に居たダルクは問いかける。
「ここは魔王さんの城。この中のものはすべて彼の物なの」
エレンは静かにそう言う。
その意味を理解したのか、ダルクも黙り、燃える城を見上げる。
城の中にあった数千という宝玉や絵は炎に巻かれその形を失っていく。
エレンの瞳に映る紅の炎はとても綺麗なものであった。
彼女はその炎を見つめながら唄を歌う。
それは魔王への鎮魂歌であった。
火の粉と唄は北風に乗り、宙へと飛翔し、消えていく。
だが、彼女の心に残った魔王との思い出は消えないだろう。
この血の臭い、炎の熱さ、心の痛み、すべてを忘れないようにしよう。
それがあの人が存在したという証なのだから…………
「ぐっ…………」
急にエレンは跪き、両手で肩を抑える。
「大丈夫ですか。エレン様?」
「からだ……が、熱い……」
まるで高熱を出した時のように節々が痛みだし、頭は何かが暴れ回っている様にズキズキとする。
「魔力の暴走ですね。すぐに休息を――――」
魔王に成り立てであそこまでの魔力を使ったのだ。こうなるのは明確であった。
ダルクはエレンを介抱するために横にしようとする。だが、その前に黒き森の中を睨んだ。
「エレン様。少しお待ちを」
ダルクは落ちていた兵士の剣を拾い上げると、それを何も無い空間へと投げる。
「ひゃああっ! 相変わらず怖ぇぇな」
その声はエレンも聞いた事があった。
「出てきなさい。アイキョウ」
ダルクは今まで見せた事の無いほどの目つきで森を睨む。
「くっくっくっ」
それに応じ、森からは老人が出てきた。
「何しに来たのですか? 用が無ければ去りなさい」
「用? あるぜぇ。アンタにじゃなくて、その譲ちゃんにな」
アイキョウはダルクの後ろで横たわるエレンを指差す。
「見てたぜぇ。その譲ちゃん魔王の力を受け取っただろ? それが欲しくてなぁ」
男は不気味に笑う。その挑発的な行為にもダルクは冷静だ。
次の行動をするために地面の剣を拾う。
「そんなことはさせません。アナタごとき、私が消します」
「そうか。じゃあ、やってみな。キキ…………」
アイキョウは構える。ダルクの向ける尋常じゃない殺気にも動じていない。
どちらも本気でやり合うつもりらしい。
「ダルクさんっ!」
エレンは彼女の身を案じて声を上げる。
「大丈夫です」
振り返らず、彼女はそう答えた。
そして、地を蹴り、男へと刃を振りかざす。
「甘ぇっ!」
斬撃は速い。しかしダルクが斬ったのは鏡。
その後ろには何もいない。
アイキョウは身をひるがえし、空中へと逃げたのだ。
「逃がさない!」
ダルクは追撃姿勢に入る。地を蹴り、空中へ飛翔する。
人間の時なら目にも止まらない二人の動きにも今はついていけるのだ。
エレンはアイキョウを見失わないように、二つの眼でしっかりと捕える。
「さあ、コイツを使わせてもらうぜぇ!」
ダルクの眼にはアイキョウが懐から何かを取りだしたのが見えた。
エレンもその様子を見逃さない。
彼が取りだしたのは手鏡。一度見た事がある。
自分が誤って割ってしまったものだ。
なぜあんなものを…………
「ぐっ!」
ダルクはその鏡を出された意味を瞬時に理解し、バックステップで間合いを離そうとするが遅かった。
手鏡から出た光がダルクの身体へと当てられる。
瞬間――――彼女の姿は消える。
ダルクはエレンの目の前で吸い込まれてしまったのだ。鏡の中へと。
「ぎゃはははっ! 良い様だぁ。クソアマがぁ! 俺と同じ気分を味わいやがれ!」
アイキョウは狂喜乱舞し、鏡へと罵声を掛ける。
「ダルクさんっ!」
エレンは起き上がろうとするが手足に力が入らない。
それでも目だけは懸命に前を向けた。
「くっくっくっ…………スマンなぁ、お嬢ちゃん。折角、あっしを出してくれたというのになぁ」
「ダルクさんに何をしたのっ!」
「なぁに。少し閉じ込めてやっただけさ。まぁ、一生出て来れないかも知れないがなぁ」
「ダルクさんを出してあげて!」
エレンは声を張り上げ、アイキョウと対話する。
エレンの怒りを受け流すかのように、彼は不気味に笑うのだ。
「出してか…………それはならねぇなぁ。なんせ、アンタを殺すには邪魔だからなぁ」
「殺す? なぜ……」
「おいおい。お嬢ちゃん。アンタ自分の貰ったものの価値を理解してないのかい? その力は魔族にとっちゃ喉から手が出るほど欲しいモノなんだぜぃ?」
アイキョウは"魔王の力"の事を言っているのだろう。
「魔王の旦那は寝首を掻いても殺せねぇが、今の魔王ならなぁ」
動けなくなったエレンに侮蔑の表情を向けるアイキョウ。その笑い方は腹立たしい。
「そんなにカッカするなってぇ。アンタには感謝するんだぜ? アンタが勝手に旅立って、勝手に捕まってなければ魔王の旦那は死ななくて済んだんだからなぁ」
「そんな…………」
自分のしてしまったことは理解していたつもりであった。しかし、その原因を改めて付きつけられた時、その重さが心を押しつぶすのだ。
「無駄話してても、なんだ。さあて、最期の仕上げとするか」
アイキョウは余裕の笑みを浮かべ、エレンを見る。
表情は大して変わって無いが、殺気が伝わってくる。
「くそっ…………」
危機を感じたエレンは剣を杖代わりにし、立ち上がる。
だがそれ以上の行動はできなかった。逃げる事も戦う事もできないのだ。
「その眼……本当に魔王なんだな…………くくく…………」
アイキョウは自分の絶対的有利な状況でもその眼光を見逃さなかった。
目の前に居る少女は紛れもない魔王なのだ。このまま飛び込んで一撃でも浴びたら自分の死は確実。
だからこそ近づかない。
彼には目立った能力などない。だがどんな魔族よりも狡猾だった。
そしてその知恵は今の状況でも生かされるのだ。
アイキョウは正面に鏡を作り上げた。その鏡はパズルのピースのように分割される。
「っ!」
エレンは咄嗟に構える。彼が何をするか分かったから。
その思考と同時に鏡はエレンに向かって飛んできた。
その先端は鋭い。容赦なく彼女の肉を引き裂くのだ。
「がはっ…………」
両手両足に貫通するほどの刺激を受け、エレンは膝を落としそうになる。
一瞬構えるのに遅れていたら部厚い鏡の破片は首筋を貫いていただろう。
痛い――――エレンはこんな痛みを生涯感じた事が無かった。
それもそうだろう。人間ならばとっくに死んでいる程の傷を受けたのだ。
彼女が生きていられるのは体中に満ちた魔力のおかげであった。
「まだ死なないとは、やるねぇ! たかが人間の癖に」
アイキョウは上機嫌に笑う。
エレンはアイキョウを睨む。唇を噛み締め、ガクガクと砕けそうな足を必死に支えるのだ。
「苦しいだろぉ? 今、楽にしてやるからなぁ」
アイキョウは先ほどと同じように、自分の前に鏡を出現させる。
あれが飛んで来れば、今度こそ死ぬ――――
「はぁはぁはぁ…………」
エレンは渾身の力で剣を持ち上げる。
剣閃も視線も定まらない。足腰にはもう力は残っていない。
けれども――――諦めることはできないのだ。
「死ねぇっ!」
声と共に鏡がエレンを目掛けて襲ってくる。
その迫力に思わず、目を瞑った――――
普段の時間間隔ではもう痛みは自分の全身を襲っている筈だった。
けれど、痛みも他の感覚も無い。
もしかしたら、もう自分が死んでしまったのではないのか、と錯覚するほどであった。
目を開けると、そこは白い雪に覆われた森であった。
上に見える空からはゆっくりと雪が降り注ぐ。
息を吸えば、肺へと凍えた空気が侵入してきた。
白く凍える息を辿り、ふと、横を見ると魔王の姿があった。
「エレン。傷だらけだな」
彼は、優しく頬へと触れる。その体温は世界と異なり温かい。
「魔王さん。ごめんなさい…………」
エレンは彼の顔を見ずに頭を下げる。
「ふっ。まだ謝るか」
魔王はゆっくりとエレンの手を取った。
「後悔などいくらでも出来るぞ。長い人生になるからな。今は生きる事だけを考えろ」
「で、でも、私はこんなに傷だらけですし、身体も――――」
「大丈夫だ。お前は奴になど負けない。ゆっくりとだ。ゆっくりと魔力を解放しろ」
魔王は後ろからエレンの手を握り締め、魔剣を再度構えさせる。
「魔王さん…………」
エレンは目を閉じ、集中する。
彼から与えられた言葉は少なかった。
しかし、気持ちを奮い立たせるにはそれだけで十分だった。
深く息を吐き、目を開ける。
目の前には鏡の弾丸が映る――――
そうだ。
冷静になれ。
エレンは自分に言い聞かせ、剣を振る。
大剣の風圧に飛ばされ、鏡は空中で粉々になった。
「なっ…………まだ、そんな力がっ!」
勝利を確信していただけに、アイキョウの驚きはとてつもなく大きかった。
その隙を逃す訳にはいかない。
エレンはなりふり構わず、前へと出る。
「はぁああああああっ!」
「くそっ!」
その気迫に押され、アイキョウは鏡を正面へと出す。
構わずにエレンはその鏡を一閃する。だが、その後ろに男の姿はない。
「ぎぎぎぎ…………小娘と侮ったが、さすがは魔王の力――――」
後ろからの飛来音。咄嗟に振り向き飛んできた鏡を割る。
また別の方から――――
今度は回避に失敗し、肩口を切られた。
「ククク…………」
一度は驚かされたアイキョウだったが、すぐに違う戦術を練り、
エレンを狙う。先ほどよりも慎重に。
「アンタには驚かせられたが、今度こそ終わりだなぁ…………」
360度、どこから飛んでくるか分からない攻撃に対処する手立てなど
エレンには無い。
けれど、やることは何となく理解していた。
「地獄に行ったら魔王の旦那によろしく言っといてくれよ…………」
(集中しろ――――)
心の中からはそんな声が聞こえてきた気がした。
はっきりしなく幻聴かもしれない。
エレンは目を瞑る。
そうすることで視界は暗転する。
これでいいのだ。不可視の相手に視界などという情報は煩いだけだ。
聞くのだ――――
地を踏みしめる音――――
空気を裂く音――――
これらは自分の紡ぐ唄と何が違う――――
唄。それは自分の真後ろからするのだ。
そしてそれはアイキョウへの鎮魂歌――――
一筋の剣閃と断末魔。これが楽章の終焉の合図であった。
「ギギギ…………俺がぁ、人間なんかにぃ…………ががががぁっ!」
アイキョウは醜い悲鳴を上げ、この世から完全に抹消された。
「はぁはぁはぁ…………私は…………魔王だっ!」
エレンはそう叫んだ。
そして彼女の視界は歪む。身体が落ちてるのも分かる。
しかし、その身体は地面へとぶつかる前に柔らかい物に支えられた。
「申し訳ありません。エレン様。すぐに治療を致しますので」
目はもう見えなかったが、その声がダルクのものである事はすぐに分かった。
「ダルクさん…………よかった。無事で…………ごめんなさい。少し寝ます――――」
「ええ。ごゆっくり」
ダルクは自分の胸の中で寝息を立てる少女の頭をそっと撫でた。