別れと誓い
魔王は城のバルコニーへと着地をする。
だが地に足がついた瞬間にぐったりと倒れかかった。
前に抱えられたエレンにはその体が鉛のように重く感じられた。
「魔王さんっ?」
「だい……じょうぶ……だ」
ゴホっという咳とともに赤いものが口から吐き出される。
血だ…………エレンは彼の身体を改めて見る。
さっきまでは抱えられて分からなかったが、彼の背中には無数の矢が刺さっているのだ。
そこからは大量の血が流れ、床へと血だまりを作っている。
「そんな………」
自分のために…………エレンは泣きたくなったが、その頬をバシッと叩いてその気持ちを消した。
泣くことよりも今はこの人を助けたいのだ――――
助けなければいけないのだ。
「誰か、誰かいませんか!」
彼女はこれまで無いぐらいの大声を出し助けを呼んだ。
それに応えるように一人の少女が駆け寄ってきた。
「ダルクさん! 魔王さんが…………」
「とりあえず、そこの部屋まで」
彼女とその身体を支えて、魔王を一番近くの部屋まで運びベッドへと座らせる。
「魔王様。失礼します」
そう言うと、ダルクは魔王の身体から一気に矢を抜く。
ブシュっ、という音と血が部屋の中へと響く。
彼女は同じようにして、矢を次々と抜いていった。
その音がするたびに、エレンは心を痛める。
これすべてが自分を守る為に出来た傷なのだ。
エレンはタオルを持ってきて彼の傷口を懸命に押さえる。
自分の身体が汚れるのを気にせずに。
ダルクが最後の一本の矢を抜いた時にはベッドは赤く染まっていた。
彼女も返り血を浴び、真っ赤に服を真っ赤にしている。
そんなことを微塵も気にせず治療道具を用意し、傷口の消毒と止血を開始する。
だがいくら包帯を巻いても、その傷口からは血がにじみ出てきていた。
「ダルクさん……大丈夫ですよね!?」
エレンは居ても経ってもいられず彼女へと話しかける。
だが彼女は黙ったまま作業を続ける。
「ダルクさん…………教えて…………」
エレンは涙を目に溜めながら強く言う。
その言葉に心を動かされたのかダルクは口を開いた。
「この傷にはある種の魔法が施されていて、ここまで酷いと手の打ちようがありません」
彼女は静かに言った。
「そんな……」
エレンの目の前が真っ暗になる。自分を助けた為に、この人が死んでしまうなんて…………
「泣くな……エレン」
いつの間にか魔王は目を開けてこちらを見ていた。
それは死にかけているとは思えないほど強い目だった。
「ごめんなさい…………私のために」
エレンは泣きじゃくりながら、謝った。
だが、彼はエレンを傍へと寄せると静かに抱きしめた。
「魔王にも寿命がある。私は近いうちに死ぬ運命にあったのだ」
「そんな…………」
「だからかもしれない。自分の寿命が近くなり、私は長い人生で初めてこの世界が美しいと感じ始めたのだ」
エレンは彼の言葉に耳を傾ける。
その言葉を脳裏に焼きつけるように何度も何度も頭の中で詠唱しながら。
「そして、そなたと出会った」
エレンの髪を撫でる彼の手はとても優しい。
「今までゴミとしか思っていなかった人間はとても素晴らしいと思ったのだ。エレン…………そなたの唄はどんな美術品よりも美しかった」
「そんな…………」
「そして初めて他者を守りたいと思わせてくれた。魔王の私にもそんな気持ちを芽生えさせたのだ。そなたは」
魔王の息は荒い。血と一緒に生命力までもが流れ出ている様だ。
「だから今回のことはその礼だと思ってくれていい」
だが、彼の言葉は弱くならない。むしろ先ほどよりも力強いのだ。
「でも! 魔王様は私の…………大切な人なんですよ! なのに…………」
その時であった。
窓が割れる音とともに、部屋の中に何かが飛んできた。
それは矢であった。
先には油が染み込ませてあり、瞬く間に紅の火は部屋を焼いていく。
「きゃあ!」
慌てるエレンをなだめて、彼はエレンをもっと近くまで抱き寄せる。
魔王の周りは不思議と炎に飲まれない。
炎に囲まれても彼は話を続けた。
「大切な人か…………恨まれるのが魔王の性だと思っていたがな」
魔王は嬉しそうに笑う。その表情は美しいほどに穏やかだ。
「そうです。だから…………だから死んじゃいや……」
エレンはワガママを言うように彼に縋りつく。
そんなエレンの髪を魔王は撫でた。
子供をあやすような、とても優しい手つきだ。
「心配するな。死は終わりではないのだ。代々、魔王は死期に魔力を他者に受け継がせるのだ。そなたが良いと申すならば、私の魔力を引き継いでほしい」
魔力を受け継ぐ、それは一種の同化のようなものである。
力や記憶、そして何より、"魔王"ということを引き継いでしまう。
だが、この申し出にエレンはすぐに答えるのだ。「はい」と。
「本当にいいのか?そなたの足枷になるかもしれないのだぞ」
人間を捨てる事、それは今まで当たり前としてきた日常を捨てることだ。
それでも、この人が生きていたという印をこの世界へと残せるのだから。
そう考えエレンは迷いなく答えるのであった。
炎の熱さを感じるようになってきた。彼の魔力が弱まって来たのだろう。
魔王はエレンの額に手をかざすと、目を瞑る。
これから魔力の受け継ぎが始まるのだろう。
エレンは自分の中が熱くなり、同時に数々のモノが流れ込んでくるのを感じた。
これが魔力…………その膨大な量に頭の中はパンクしそうになる。
だけどこれが彼の存在した証なのだ。
エレンは取りこぼしをしないように、その力を内の中へと留めるよう努力する。
身体を動き回る魔力は徐々に動きを止め、エレンの奥底へと沈んでいく。
すべてのモノを渡し終え、魔王は息を吐く。
ぐったりと下がったその手にはもう先ほどまでの力強さはなかった。
「さあ行け。私はこの城の主として、ここに残る。ダルクはエレンについて行け」
「はい」
ダルクは一礼をし、部屋の外へと出ていく。
残されたエレンは小さく息をする魔王の傍へと寄る。
「私は、あなたのことを一生忘れません…………魔王さん……最後にひとつだけ……」
エレンは彼の唇にそっと口付けをした。
そして、静かに口を離す。
一秒ほどの出来事であったが、エレンにとってそれは生涯、最初そして
大切な人との最後のキスとなったのだ。
「さようなら」
涙を見せる事無く、エレンは部屋を立ち去った。
彼女の最期の言葉を聞き、魔王は笑う。
最後の最後にやっと理解できた気がした。
人間がなぜ、ああも美しいものを作れるということを――――