魔王降臨 ―後編―
「絶対に逃がすなっ!」
広場の入口には20、30人程度の兵士が集まり向かってくる魔王へ対して突撃を行う。
「ふん」
だが、それは愚行だ。
彼が剣を振るうたびに肉片が宙を舞った。
一人、また一人と断末魔を上げ兵士は死んでいく。
エレンはその非現実的な場面を目の当たりにするも、目を逸らさなかった。
彼の眼は、自分に向けられている事が分かっていたから。
数十秒もしないうちに兵士は居なくなり、代わりに路上は紅い染料と肉の塊で埋め尽くされている。
「化け物だ…………」
突撃を命令した隊長は思うのだ。これが魔王と人間の力の差だと。
彼自体が死であることを――――
絶対的な力に、兵士たちは後退せざるを得なかった。
結果、魔王に広場への侵入を許してしまう。
「魔王さん!」
エレンは叫ぶ。
それに応じるように、魔王は処刑台の上に目線を送った。
「やつの狙いは処刑台の女だ! 逃がすな!」
指揮官の声に兵士たちは陣形を取り、魔王を囲む。
「だああああっ!」
屈強な戦士がサーベルを抜き、魔王の横を走り抜ける――――
すれ違った時、彼の頭は既に無かった。
無くなった首からは大量の血液が噴水のように噴出する。
「命を粗末にする愚か者は来るがよい」
冷淡な声。だが、その声はエレンがいつも聞いているものとは全く違った。
耳から入ったその言葉は身体全体を氷のように冷たくする。
「うっ…………」
先ほどまでの勢いも薄れ、兵士たちはたじろぐ。
ここに居る全員が等しく死の境界線に立っているのだ。
「っ…………ぐうううう…………この餓鬼ぃ」
一人の男がエレンに近づいてくる。
その瞳の色は明らかにおかしい…………
サーベルを抜き、その切っ先をエレンに向けている。
「お前が……お前がいるから、こんなことにっ…………」
うわ言のようにそんな言葉を呟き、フラフラと歩いてくる。
「ひっ…………いやっ……」
自分の危機を感じ、エレンは逃げようとする。
しかし、彼女を繋ぐ鎖はその男が持っているのだ。
鎖を引くとエレンの身体は男の方へと引き寄せられてしまう。
男はサーベルを振り上げる。
その研磨された刃には怯えた少女が映っている。
「きゃあああああっ!」
振り下ろされた剣の勢いに思わず目を瞑ってしまう。
痛みに怯え、身体を強張らせるが、何も感じない。
耳の奥に金属音が響いた。
目を開けると、そこに男の姿は無かった。
鎖を引かれる感覚も無くなっていた。
鎖の先には男の腕だけが力なくぶら下がっている。
この腕の持ち主はどこに行ってしまったのだろう…………などという考えが頭に浮かんだ。
よく動かない頭のまま、正面の広場に目線を戻すと、そこには手を伸ばした魔王の姿があった。
その先を辿ると、黒い大きな剣が片腕の無い男ごと鉄柱へと突き刺さっている。
目は見開き、如何に瞬間的に絶命したかを物語っていた。
「剣を手放したぞっ! かかれっ!」
それを好機だと踏んだ指揮官は突撃命令を下す。
剣の無い魔王を見て、兵士たちは果敢に飛び出した。
だが、結果は変わらない。
斬殺されるか撲殺されるか。死因が違うだけだ。
ついに処刑台の下まで来た魔王はその勢いのまま地を蹴った。
一跳躍で数メートルの高さを飛び、エレンの前へと降りたった。
「魔王さんっ!」
エレンは魔王に抱きついた。魔王は黙って彼女を抱きしめる。
「ごめんなさい…………私…………」
「気にするな」
魔王は、その瞳に涙を溜め謝る少女の頭をポンと撫でた。
しかし、その様子を見て、不敵に笑う者がいた。
魔王の侵入を許すこと。これも大臣たちの描いた通りのシナリオであったのだ。
魔王が広場に入った瞬間に魔導師たちに魔力を封じる結界を張らせていた。
その結界がようやく完成をしたのだ。
淡い紅い膜の様な物が広場の空を覆った。
魔王は何が起こったのかすぐに判断し、エレンを抱き寄せ、剣を柱から引き抜いた。
「エレン。目を瞑れ。絶対に力を緩めるな」
「はい」
手枷をはめたまま、彼の首に手を回すと、エレンの身体はいとも簡単に宙に浮く。
片手で支えられているというのに身体は安定しているし、体勢的にも苦しくない。
何よりも抱いてもらっているという安心感がある。
「いくぞ」
「はいっ!」
エレンの返事を聞き、彼は一気に処刑台から飛び降りた。
地面では当然のように兵士が待ち構えている。
相手は魔力を封じた魔王なのだ。名をあげる為に彼らは長槍を向け突進してくる。
「五月蠅い!」
魔王はエレンを抱えたまま、片手で剣を振り、兵士たちをなぎ倒す。
魔力を封じたと言えど魔王は魔王なのだ。その強さはまさに一騎当千。
彼はそのままエレンを抱え、広場を疾走する。
エレンは言いつけ通り、目を固く瞑り、耳だけで広場に響く断末魔を聞いていた。
広場の半分に差しかかった所で、空から矢の雨が降ってくる。
いつもなら魔力の壁を使い簡単に払える小さな矢でも今の彼にとっては脅威だ。
魔王は剣を振り、最低限の矢だけを撃ち落としていく。
矢の雨は止まない。それでも彼は走るのだ。
ただひたすら前へと。
後ろからの弓矢を受けながら魔王はそのまま走っていく。
時折、彼は苦しそうなうめき声をあげるが、そのスピードとエレンを抱きしめる手の強さだけは変わらなかった。
広場を抜け、結界を出たところで、魔王はエレンを抱えたまま急上昇した。そしてそのまま森の方へと飛んでいった。
「逃がしたか」
大臣はポツリとそんなことを口走る。
だがこれで終わりではない。森に潜ませた兵士へと連絡をするのだった。