白と銀の森にて
アイキョウ。彼と会った日からエレンの心には帰るという思いが強く宿っていた。
エレンは密かに食事中に食べ残したパンを部屋に持ち帰って蓄えっている。
旅に役立つと思った物はすべて部屋に持ち帰りベッドの下へと押し入れた。
ある晴れた日の夜。エレンは遂にここから出ていくことを決心した。
今まで拾い集めた道具をシーツで包み、それを首から掛ける。
エレンは布団をロープ状にしてバルコニーの柵へと縛りつけた。
ここから地面までは結構な高さがあり怖かったが、彼女は躊躇せず、柵に足を掛ける。
かじかむ手で懸命にロープを握り、慎重に下へと降下していった。
何とか無事に地面に降り切り、エレンは自分の部屋を見上げる。
エレンは手紙を机の上に残していた。魔王への感謝と謝罪の文章を記して。
ダルクがあの部屋に入るのは明日の朝のこと。手紙を読んだ二人はどんな顔をするのだろう?
心が音をたてて痛んだ気がする。
だが、あそこにはもう戻れないのだ。
ここまで来てしまった以上進まなければならない。
そう思い、エレンは深い雪を掻き分け、城を離れていった。
夜なので森の中は真っ暗だ。
小さいランプを持ってきたといえど、その光は自分の足元を照らす程度のものでしかない。
もしかして自分はとても無謀なことをしているのではないだろうか?
そうも思ってしまう。
しかし、それでも両親に会うという気持ちは変わらないのだ。
白く雪の積もった地面を一歩一歩、歩いていく。
庶民の着ない豪華なドレスといってもこの寒さの中じゃ、なんの機能性もない。
かじかむ手を温めながら、前に進む。
何となく後ろを振り返れば先ほどまで居た城が目に入る。
一か月ほどだったがあの城ではとてもお世話になった。
罪悪感や寂しさから、エレンの目からは涙があふれ出ていた。
その城へと一礼し、さらに森の奥へと進んでいく。
それからしばらく、頼りない明かりをぶら下げながら、彼女はひたすら前へと歩いていた。
手と足はこごえ、赤くなっている。
もう感覚はほとんど無い。
暗闇に覆われた森の中にどのぐらいいるのであろうか?
重くなった足を止めたいが、そんな余裕はないだろう。
身体は思った以上に冷えているのだ。
ここで寝てしまったら間違いなく死ぬ。
城から見た森は雄大で綺麗なものだったが、いざその中へと入って見ると自然の恐ろしさというものを身を持って感じる。
白銀の雪は足を取り、容赦なく体温を奪う。裸の木の枝は頬に当たり生傷を作る。
森の動物たちは不気味に吼え、エレンを驚かせるのだ。
城に居た時には怖いなんて思わなかった森が、今はとても怖いのだ。
二つの意味で身体は酷く音を立てて震えた。
その時であった。自分以外の何かの足音が聞こえたのだ。
いや、それは人のものではないのかもしれない。
ここは魔族の住む森だ。もちろん凶悪な生物もいる。
いつ怪物に襲われてもおかしくは無いのだ。
その恐怖でエレンは足を止め、近くにあった木に身を寄せる。
呼吸を抑え、自分の気配を消そうとする。
静かにしようとすればするほど、自分の鼓動が大きくなる。
その音に釣られるように足音は近くなってきている。
彼女は目を閉じて心の中で祈った。
それでも足音は止まらない。
気配が感じ取れるまで近くに来ている。
(お、お願い…………見つからないで)
足音は自分のすぐ近くで止まった。
止まってしまうと相手の位置が分からなくなり、一層の恐怖が押し上げてくる。
目を開けられずにいると自分の肩に何かが触れたのだ。
その感覚に驚いて目を開けると、そこにはある男性が立っていた。
夜に惑わされぬ白銀の髪、そして青玉のような蒼く透き通った瞳。
何度も見た顔であるはずなのに、エレンは彼に見とれてしまった。
「魔王……さん……?」
魔王はエレンの手を静かに包むと、何か呪文のようなものを唱え始めた。
驚いて何も言えないエレンは彼の行動にオロオロと、うろたえるばかりだ。
状況はすぐに変化した。彼に握られた手は淡い光に包まれる。その光はとても柔らかく暖かい。
まるで光の手袋をしたように――――
不思議なことに彼女の冷えた手は体温を取り戻した。
「あの……魔王さん」
エレンは今の状況を説明しようと口を開いたがそれ以上口は動かない。
決して寒さのせいだけではない。
魔王はなぜここにいるのか、とか。
勝手に出て行って怒っていないのか?
などと質問もしたいのだが、それを口に出せないでいたのだ。
彼は呪文をかけ終えると、来ていた銀色のローブをエレンへと着せた。
ローブに袖を通すと、不思議なほど暖かい。まるで暖房のついた部屋にいるような感覚だ。
「あ…………あの……」
身体が温まったところで、もう一度、彼へと言葉を掛けようとするが、また喉辺りでフレーズが消えてしまうのだ。
「森の出口まで送ろう」
エレンに代わって魔王はそう静かに言った。
「はい……」
エレンにできたことは小さく返事をし、頷くことだけであった。
魔王の後ろに続き、エレンは森の中を歩いていた。
森は先ほどの暗さが嘘のように輝いていた。
星や月からの光が木の枝に積もった雪に反射されとても幻想的だ。
その中を2つの影は静かに歩いていく。
エレンがこのように外を魔王と共に歩く事は初めてであった。
しかし、それも長くは続かない。
少し歩いたところで森の終わりはやってきた。
ここからは人工的な光の集団が見える。おそらくは村だろうか。
魔王はそれを確認すると後ろを振り返る。
言わずとも分かる。彼は行ってしまうのだ――――
エレンは何か言おうと必死に頭を回転させる。
ごめんなさい?
いや違う…………
「ありがとうございました」
エレンはこれまでにないほど深々とお辞儀をする。
その言葉と動作にすべてを籠めた。
「礼には及ばん。何かあれば、また訪ねるがいい」
その気持ちが伝わったのか、魔王は穏やかな台詞を残すと森の中へと消えていった。
振り向きもしなかったが、その後ろ姿は圧巻である。
エレンはその姿が見えなくなってからも頭を上げなかった。
しばらくして頭を上げると、ローブのポケットから何かが地面へと飛び出した。
それは金貨であった。
ポケットの中には大量の金貨が入っていたのだ。
その金貨を握り締めるとエレンは声を殺して泣くのである。