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魔王の歌姫  作者: 千ノ葉
魔王の歌姫 ―始まりの唄―
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魔族という存在

食堂に入った瞬間に肉のいい匂いがする。

エレンの口の中はその匂いを嗅いだだけで唾液に満たされた。

期待したとおり、その日の夕食はとても豪華なものだった。

今日のメインディッシュはシチューらしい。

何の動物のかは知らないが、とても柔らかいお肉が入っており、その食感を口で楽しみながらエレンは食事を終えた。


夢中になるものが無くなると、この空間がとても静かなことに気が付く。

窓から見えるのは暗闇と庭へと降り注ぐ雪のみ。

幻想的な眺めだが、この壁を越えてしまえば一晩で人を凍え死にさせるほどの死の世界が待っているのだ。

そんな世界の真ん中で、こうして温かい部屋(くうかん)に居る自分自身を不思議に思ってしまう。

そして、この広い食堂にはエレンと魔王しかいない。その不可解さが静寂を増大しているのだ。


魔王は食事の前も後も黙ってエレンの方を見つめていた。

彼はエレンを観察しているようにも見えた。

穴が開くほどの視線を送られたら、普通の人は嫌になるだろう。

しかし、エレンにとってその視線は嫌悪を催すものではなかった。

もしかしたら自分は注目されても動じない人種なのかもしれない、そう思い、内心、苦笑した。

確かに思い当たる節はいくつもある。

例えば劇団でステージに上がっていた頃の話だ。

唄を歌っている時の客からの目線は心地よいものであった気がする。


だが、さすがに会話をしなくてはならないという焦燥感に駆られる。

静かな空間が嫌な訳ではない。

しかし、エレンは朝から思っていたのだ。誰かと話したいと。


食事を除いてエレンは一人であった。

魔王は食堂から出てすぐに行方不明になってしまうし、たまに廊下で見かけるダルクは雑用に忙しそうであった。

彼らとの会話は両手で数えられる程度だろう。

一日にここまで喋らなかったのは牢獄に閉じ込められていた時、以来だ。

こんなことが続いたらいつか言葉を忘れてしまうかもしれない。

自分の欲を満たすために言葉を探す。

ふとした拍子にある言葉が彼女の頭に思い浮かんだ。それはダルクが言った先ほどの言葉であった。


「あの……魔王さん」

「なんだ?」

「魔族は唄を歌えないって本当でしょうか?」

「例外はあるが基本的に魔族は唄を歌わない」


魔王は淡々と言葉を続ける。


「唄の美しさを理解できない魔族にとって、唄など歌えても無意味だからな」


彼はエレンにも考える時間を与えるようにゆっくりと話した。


「もっともセイレーンやマーメイドは唄を使い、他種を惑わずがな」


漠然とは魔族のことを知っていたが、こういうことを聞くと自分が知っている知識はほんの些細なものなのだと痛感する。


「逆に聞こう。人間はなぜ唄を歌うのだ。それになぜ音楽を奏でるのだ」

「えっと…………楽しいから、でしょうか」


自分なりの答えを言ってみるが、その答えが釈然としない事が分かる。

エレン自体は歌うことも音楽を聞く事も楽しいと思っているが、そうでない人などたくさんいる。

それなのになぜ、人間は音楽を奏でるのだろう。

逆に、魔族にとっての音楽の考えの方が合理的に感じる。

狩りや防衛に使えない物に興味を持たない。

それが生き残る為には必要なものなのだから。


「なるほど。音楽を聞いて、楽しむことができるとは人間は不思議だな」


エレンの抽象的な答えにも、どうやら魔王は納得したようである。

人間の価値観を知り満足そうにする魔王に対し、エレンは自分の浅はかな考えを彼に植え付けてしまったのではないかと、軽く出してしまった自分の言葉を後悔するのであった。


「魔王さんは唄などは歌わないのでしょうか?」


ばつの悪さに嫌気が差し、空気を入れ替える為にエレンは新たな質問を彼にした。


「私は歌えん。そなたや鳥のように自在に声を出すことはできないのでな」

「そうですか…………」


透き通る氷の様な声を持つ彼が歌えばどれだけ美しいか。

そんな幻想を抱いていたエレンだ。答えを聞き少し肩を落とす結果となった。


「しかし、私は唄の美しさならば感じ取れる。エレン。そなたの唄は美しい」

「あ、ありがとうございます」


見つめられ、そんな言葉を貰ったのだ。エレンは顔から火が出そうになる。

それを隠すために、エレンは大げさに顔を逸らす。


「どうした」と、彼はエレンの顔を追ってくる。どうやら、なぜエレンが顔を見せたくないのか分からなかったらしい。慌てて、「なんでもない」とエレンは惚けた振りをする。

エレンの様子を気にかけてか、彼はそれ以上の質問を投げ掛けて来なかった。


話題は、人間の美的感覚についての事に戻る。


「人間は弱いくせに、美術においては素晴らしい」


彼は食堂の一角を見る。そこには一枚の大きな絵が飾ってあった。

こんなに大きな絵が飾ってあるのに二日間も気が付かなかった自分の鈍感さに愕然とするエレン。

絵を見ていると、そんなことどうでも良くなった。それほど、この絵は壮大なのだ。


タイトルを付けるならば『神の降臨』と、だろうか。月並みだが。

絵の中央には神と思われる人物が大きく描かれており、天から洩れた光は彼を優雅かつ力強く照らし出している。

地上の人々は手を合わせ、降臨された神に祈りを捧げている。その表情からも彼らの歓喜が読み取れる。

絵のことは詳しくないが、絵の素晴らしさは、ひと目で感じ取れた。

エレンだけではない。子供に見せても、老人に見せても同じ感想を持つだろう。


「お前も分かるだろう。この絵の美しさを」

「はい…………」

「だが、普通の魔族にとってはこの絵は一枚の分厚い紙、同然なのだよ」


表情こそ変わらないが、魔王の声は寂しげであった。


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