エピローグ3:「処理済み」
物語は、感情が削ぎ落とされた場所でも続いていく。
誰かの破滅も、誰かの救済も、日常の処理の中に埋もれていく。
正しさは常に主観であり、真実は常に他者の外側にある。
人は、自分に都合のいい結末だけを“事実”として保存する。
この物語は、その保存と削除の境界線を描いた記録だ。
2027年 某日
十三時。
私はもう時計を見ない。
薬局の業務は十二時五十分に区切りがつく。
処方箋の枚数、レジ締め、在庫確認。
やることは決まっている。
感情を挟む余地はない。
一年前、私は判断を誤らなかった。
カフェでの出来事は、事実として整理できる。
公共の場での異常な言動。
被害の可能性。
第三者の目撃。
警察介入の妥当性。
以上。
怖かったかと聞かれれば、怖かった。
だが、それは評価対象ではない。
重要なのは結果だ。
接近は禁止された。
連絡は途絶えた。
私の日常は保全された。
それだけで十分だった。
彼との関係は、十年前から歪んでいた。
始まりが匿名で、継続が密室で、出口が存在しない。
四十代で、それを「愛」と呼ぶほど、私は無防備ではない。
必要だったのは終わらせ方だ。
後腐れなく、説明可能で、責任がこちらに残らない形。
彼はそれを、完璧に提供した。
警察での手続きは淡々としていた。
質問には事実だけを答えた。
感情は不要だった。
「不安定だったようです」
「最近、家庭環境が変わったと聞いています」
それで通る。
通るように、社会はできている。
十三時。
私はコンビニのイートインで昼食をとる。
野菜ジュースに糖質オフ高タンパク質のパン。
食後はどこかのカフェでコーヒーブラック。
健康管理は自己責任だ。
スマートフォンに通知はない。
SNSは削除済み。
mixiも、再ログイン不可。
消したのではない。
使わないと決めただけ。
過去に縛られるほど、時間は余っていない。
彼が何を思っているかは知らない。
知る必要もない。
私の人生に、もう関係がない。
私は被害者で、
私は正しい選択をした。
それで話は終わりだ。
十三時は、ただの時刻になった。
意味は削除済み。
私は席を立つ。
午後の予定がある。
人生は、次の処理に進んでいる。
(完)
ユキは前へ進み、たくまは影へ沈んだ。
どちらも自分の選択を「正しい」と信じ、そのまま生きていく。
世界は、結果だけを評価し、過程を忘却するようにできている。
残るのは、誰にも共有されないそれぞれの物語だけだ。
そして十三時は、もう二度と交わらない二人の時刻になった。




